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世界の恋人と言わしめる魅力

昨年末、祖母が他界した。享年96。大往生も大往生。
でも、欲を言えば100まで生きてほしかった。
まだまだたくさんおしゃべりをして、おいしいものを囲みたかった。
大好きで憧れのひと。ラブおばあちゃん。

決して楽な人生ではなくて、たくさん苦労してきたと思う。
祖母は広島で生まれ育った。若手看護師として勤務していた18歳の夏、原爆が落とされた。
祖母の勤める病院にもすぐに応援要請が出て、詳細もわからないまま現地に向かった。現場が近づくにつれてそのむごさに言葉を失い、着いてからは、仲間たちと泣きながら救護活動をしたらしい。のちに読んだ手記にあった。
間接被曝しているので、被爆者手帳を持っていると聞いたことがある。

わたしには想像もつかないくらいひどく壮絶な経験をしたからなのか、持って生まれたキャラクターなのか(たぶん後者が強い)、祖母はチャーミングで、好奇心旺盛で、日常の中に楽しみを見つけるのが上手。
感性がいつまでも若々しくて、ファッションや気になる芸能人の話でよく盛り上がった。
物事の良い側面をいつも自然に捉えて、生活を軽やかに楽しんで、きっとそういうところがいろんな人を惹きつけていた。
祖母と出かけると、気づくと誰かとおしゃべりしていて、「どなた?」と聞くと「知らんひとよ」と返ってくることは常。
その昔、祖母が友人に付き添って辛辣で有名な占い師に会ったとき、頼んでもいないのに勝手に占われて、たくさんの褒め言葉を並べた挙句、
世界の恋人!天から金が降ってくる!
と締められたらしい。それくらい、魅力的なんだな。
わたしにも少し備わっていてほしい。

いつもお玄関を季節のものでかわいく設えていた
このときは春先なのでおひなさま

祖母の家は遠方で、飛行機でないと会えない距離だったけれど、子どもの頃は春休みと夏休みに遊びに行き、就職してからも同じように春と夏に会いに行った。(春休みと夏休みが取りやすい職種でほんとうによかった!)
祖母にとっての孫は自分を含めて4人いるのだけど、大人になって遊びに行った回数はわたしが段違いに多いと思う。競うものではないけれど。
祖母はわたしのセンスが好きだと言ってくれて、遊びに行くといつも隅々までファッションチェックされた。
誕生日に似合いそうなブラウスを贈ったときには、「貴女のセンスがとても好きなので嬉しい」と手紙をくれた。この手紙は宝物。
貴女っていう書き方がいいな。粋だな。

新型コロナが猛威をふるいはじめた年の3月にも遊びに行った。
行こうと思った日程の中に昇任の辞令交付式があったのだけど、当時の上司に相談して(少し微妙な顔をされつつ)あとから職場に送付してくれるようになったので心置きなく飛んだ。そりゃ紙ぺらよりおばあちゃんでしょう。
結局辞令交付式も中止になったし、その直後の4月に緊急事態宣言だったので、このとき行っておいてよかったと心から思う。

その後の3年半の間で、一人暮らしだった祖母はグループホームに入った。
一人暮らしのときは、県外に住んでいるわたしたちが行くとデイサービスを2週間利用できなくなるとか、グループホームに入ってからはそもそも面会ができなくなるとか何やら様々な制約があり、そしてわたしも出産やら何やらあり、ずっと会えなかった。
そして昨年11月。家族旅行として、夫と子と3人で祖母の住む県に行くことになった。
祖母のお世話になっているグループホームで面会予約をして、初めて家族を会わせる予定だった。でも予定の1週間ほど前、入院したので面会はキャンセルと連絡が来た。
楽しみにしていた分落ち込んだけれど、お見舞いに行けるのでは?と思い立ち、いろんなところに連絡して、わたし1人でだけどお見舞いに行けることになった。
兄の家族の写真と、わたしの家族の写真を持って、少しドキドキしながら会いに行った。
3年半ぶりに会う祖母は、幾分か痩せて、最後に会ったときとは別人のようだった。
でも、わたしの顔を見るなら「あっちゃん?あっちゃんやねぇ、よく来たねぇ」と言ってくれた。声は弱々しかったけど、しっかり分かってくれた。
「いつ来た?」
「今日だよ」
「なにで来た?」
「飛行機だよ」
と何度か同じ会話を繰り返しては、
「あっちゃん、かわいいねぇ」と、何度も言ってくれた。
「おばあちゃんもとってもかわいいい」と何度も言った。
「あらまあ〜」と喜んでいたのがほんとうにかわいかった。
そして、わたしが付けていたシルバースプーンのリングを指して、「これがとてもいいねぇ」と褒めてくれた。
それはわたしが出産したとき、自分と子に何か記念になるものが欲しくて選んだものだったので、なおのこと嬉しかった。

アトリエダンタンのもの。
ますます大事にしようと思った

すこし話すと息苦しくなるようで、あんまりたくさんは話せなかった。でも顔が見られてほんとうによかった。
また来るね、とバイバイして、家族が待つ宿に向かう途中、もしかしたらこれが最後なのかもしれないとほんのり思いながら涙が出た。
それから2週間ほどして、退院が決まったと連絡が来た。でもその数日後、数値が思わしくなくて退院は延期になった。
そしてそのさらに何日かして、ここ数日が山だろうと連絡が来た。一時は退院の予定だったのに、歳を考えると仕方ないとは言え信じたくなかった。
そしてここからの家族たちの結束というか想いというか、なんて言ったらいいかわからないんだけど、まだ逝かせないぜ!みたいな気概がすごかった。
子どもや孫はみんな東京近郊に住んでいるのだけど、全員がすぐさま飛行機や船でお見舞いに駆けつけた。
わたしは家に子どもを残していたし、いとこたちもそれぞれ多忙で日帰りだったけど、みんな一目でも会いたい気持ちが勝って無理やり予定に捩じ込んで会いに行った。
兄に至っては、当初は日帰りの予定だったのを延泊に延泊を繰り返し3泊くらいしていた。あんたもおばあちゃんラブだね〜。
あんまり人が来るもんで病院のみなさまに顰蹙を買いつつ、毎日誰かが会いに行っていた。おばあちゃんがいままでみんなに与えてきた愛だな、と思った。
そして意識がなかったところから、簡単な会話ができて、すこし笑顔が見られるまで快復した。山と言われてから10日ほど経っていた。みんな、このままよくなるような気がしていたし、そう思いたかった。
でも、経口摂取ができず点滴だったところから、それも血管が細くなって入らなくなってきていて栄養の取り込みが難しく、いよいよお別れを覚悟しないといけないらしかった。
主治医の先生と伯父で、最期をどのように迎えさせてあげたいかという話になったときに、希望を言えばお世話になった施設で過ごさせてあげたい、でもこの容態でそれは難しいですよね…と話したら、ぜひやらせてほしいと施設の方がおっしゃっているんですよ、と言われたらしい。
経口摂取できなくて看取りの段階の人なんて、めちゃくちゃ大変で負担が重くなるのに。さすがの愛されキャラ。
でも、退院した次の日、入院先でコロナ陽性が出てしまったとのことで祖母も検査をしたら、無症状だけど陽性が出てしまい、病院に戻った。
そしてその翌日、眠るように旅立った。あと数日はこの世にとどまってくれると思っていたので、かなり驚いたし悲しかった。
報せを受けたとき、たまたま実家に行っていて両親と一緒に悲しめたのが幸い。そう思うと、おばあちゃんは計算済みだったのかもしれない。すごい。
この期に及んでコロナにやられたのか、と悔しくなったけど、お医者さんの見立ては違ったらしく、死亡診断書には「老衰」と書かれていたらしい。
プロがそう診断してくれるなら、そうなんだろう。
すごく立派な卒業証書みたいな気がした。老衰なんて超憧れちゃうよね。

葬儀には、子どもとその配偶者、孫とその配偶者、ひ孫が全員集まった。みんな大事な家族を祖母に会わせたいと思ったらしい。なかよし。
語弊があるかもしれないけど、とても賑やかで素敵な葬儀だった。
我が子は葬儀の間、終始住職さんの真似をするなどしてヒヤヒヤしたし、隣ではいとこの子どもが数珠を吹っ飛ばしていた。ほんとうにそういうことする子がいるんだ、、と思い、笑いを堪えるのが心底大変だった。
たぶんおばあちゃんは、そんな賑やかしさを、にこにこしながら喜んで見てくれていたと思う。
家族葬だったのだけど、「明日の告別式には家族以外も来るからくれぐれも失礼のないように」と話していた喪主の伯父の足元は、ずっとスニーカーだった。
うん、総じてよい式だった。

わたしはちょこちょこ祖母と電話をしていて、留守電の録音をすべて残していた。
のだけど、去年の春にスマホをキャリアから変更したときにとっておいた留守電もすべてなくなってしまった。これにはかなり落ち込んだ。
どんなに検索しても、それを復元する方法はないらしく、記憶のなかにある祖母の声をずっと憶えていようと思った。
葬儀やらなんやらいろんなことが落ち着いたクリスマス翌日、何気なく留守電を開いたら、なぜか全部戻ってきていた。
嬉しくて泣いた。夫がすごく優しい顔でこちらを見ていた。
なんだったんだろう。おばあちゃんからのクリスマスプレゼントだったのかな。
またいつなくなるかわからないので、即座にボイスメモに保存した。これでもう大丈夫!
でもまだしっかり残っている。ほんとうに謎。

まだまだ実感はわかないし、祖母を思っては涙が出ることもある。
でも、おばあちゃんが遺してくれたことや見せてくれた背中を、これから先も大切につないでいきたい。
会いたい人には会いに行って、思っていることは言葉で伝えて、そういうことに時間を使おうと思う。

おじいちゃんと好きな歌をいっぱい歌って、行きたいところに自由に行っておくれ〜
たまには会いにきてね。ラブ!ずっとラブ!


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