不登校は積極的に生きよう

今どき、不登校を登校拒否という逸脱行動とみなし、これを矯正しなければならないという意見は、すでに旧弊なものとして淘汰されました。
しかし、その代替となる不登校のキャリア・プランには、普遍的な共通の認識が未だ確立されず、さまざまな親子が試行錯誤を繰り返しながら日々を送っているのが現状です。

では、不登校の子供の将来は、どのように設計するのが最善なのでしょうか。以下において、不登校の生徒のキャリア・プランを考えてみます。この文章により、孤独な立場である不登校の迷いや悩みや苦しみが、少しでも解消されれば幸いです。

たしかに、さまざまな事情により、学校に通えないことは大きなハンデキャップであるかもしれません。学校は、単に学習の場ではなく、多くの場合一つの共同体であり、コミュニケーションや友人関係を調達する場でもあります。したがって、学校が無ければ、そのような練習ができず、成長が阻害されるという考え方があります。

しかし、そのような考え方は、いささか不登校が持つ可能性を少なく見積もっているのではないでしょうか。結論から言えば、不登校は悪でもなければ不幸でもありません。たとえ学校に行けずとも、生徒は日々成長して、幸福を目指す権利があるのです。

そもそも、教育とは生徒の能力と幸福を増進するために設計されるべきです。その観点から考えるかぎり、仮に学校に通い続けることにより、何らかの原因で生徒が萎縮して不幸を感じるならば、登校の理由は既にその時点で失われたと言うべきです。したがって、不登校であることは悪いことではありません。

また、勉強が遅れる点に不登校の懸念があるかもしれませんが、それは塾や家庭教師でいくらでも補うことができます。また、自学自習の方法として、本を読んだりノートを書いたり、またスタディサプリを試聴したりするなど、現代では豊富な選択肢が存在します。

いじめられるなどの理由で、意欲が根本的に毀損されてしまった事例では、休息とカウンセリングが必要ですが、そうでなければ学力面でのハンデキャップは、限りなく少なくなっていると考えます。

したがって、このような代替学習が出来るかぎり、不登校の前途は洋々たるものです。
不登校の生徒のキャリアは、決して毀損されることはなく、むしろ学校の生徒を上回るパフォーマンスを示すようになることでしょう。なぜなら、積極的不登校の生徒は、学校に1日登校するよりも、より教育的な生活を送っているからです。

とはいえ、不登校は、未だに学校のレールからの逸脱と見なされている点、その痛手がすぐに治るわけではないと言いたくなる気持ちも、わたしには良く分かります。

したがって、不登校の子供に必要なのは、まずは休息です。ただし、両親がただ見守るだけでは、かえって子供への関わり合いがなく、子供の側で見放されたと感じることもあり得ます。それゆえ、両親は、保健室登校を提案したり、一緒に勉強をしたりするなど、適度な交流を図ることが重要です。

その上で、不登校であっても元気に成長できるように、一緒に考えかつ行動していこうと、両親が子供を導きかつ支えるならば、何ら不登校であることは以降の人生のハンデキャップにはならないことでしょう。

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