お寺の日本地図スポット早見表 ~寺院の歴史・課題も把握できる良書まとめ~
お寺の日本地図(名刹古刹でめぐる47都道府県)とは都道府県ごとの重厚な歴史をもつ格式の高いお寺を自分の足で取材されていった鵜飼 秀徳(うかい ・ひでのり)さんがピックアップがした寺院をまとめた書籍です。
この書籍はミャンマー系のお寺で9日間だけ出家して日本の仏教史を知りたいと思った私が日本の仏教界の全体像を把握できる書籍や資料で何か良いものはないのかと探っていた中で出会った良書です。
まさに全国のお寺を文章で巡りながら日本の歴史、お寺の抱える諸問題、同じ仏教であっても風土や環境による特性の違い、例えば信仰に土着的なものが混ざっているのか否かなど、広い視野でもって日本のお寺のあれこれを把握することへに役立ちました。
書籍を通じて改めて日本の歴史とお寺の歴史は切っても切り離せないほど大きな重要を果たしていることを確認できます。
当記事では、お寺の日本地図に掲載されている都道府県別のお寺を軽く引用をつけて掲載しました。
自分に興味のあるお寺がもしあれば書籍の方も手をつけてみてはいかがでしょうか。
また、ただ簡易的に書籍の内容を引用しつつまとめるだけでなく書籍では表現しづらい地図や公式サイトのURLリンクなどのメディアを貼りつけて、より簡易観光MAPとして参考になることを意識しました。
都道府県別にまとめていまして、もし訪問前により詳しく知りたいお寺があればぜひお寺の日本地図(名刹古刹でめぐる47都道府県)にて詳細を読んでみてください。
興味のある都道府県のお寺からだけかいつまんで読むことも良いですし、フィーリングで気になるところをピックアップして目を通してみるのも良いかと。
寺院の歴史の始まりと記録
仏教の歴史は6世紀から始まります。しかし欽明天皇(きんめいてんのう)時代に伝来したものの、実際に仏教が普及し国内で寺院が増え始めたのは聖徳太子が普及させた平安時代から。
歴史的な資料に関してもこの頃からのものが多く理由は文書保存されるようになったのも8世紀以降になってからだからといいます。
しかしそれでも史実と伝説が入り混じった文書、戦争や自然災害による記録の破壊、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などによる文化財の破壊によって不明確な部分も未だに多いといわれます。
そのため現役の住職でもその寺の詳しい史実を知らなかったりも。
お寺の日本地図では比較的に記録が残っており歴史的に重要性が高く住職から境内まで全体的に基準値の高い寺院に絞って掲載されていました。
47都道府県の寺院
北海道 有珠善幸光寺(うすぜんこうじ)
アイヌが居住していた関係もあり普及しはじめたのは17世紀から。
アイヌへの仏教布教した有珠善幸光寺では文字をもたないアイヌのためにお経を歌の形へ変えてアイヌにも和人の文字を読めるように印刷して普及させた。
コメント:アイヌと仏教という特殊環境において土着の文化に対応した形で仏教を普及させている歴史が特殊で非常にユニークな歴史があり興味が湧きます。
青森県 賽の河原地蔵尊(さいのかわらじぞうそん)
青森県の寺院数は470で東北で最小。しかし恐山を始めディープな霊場がある。本書では河原地蔵尊を取り上げている。
GoogleMapで画像を確認してみてもただならぬ気配がある。
仏教、神道、土着信仰の混じった霊場のお寺で、特定の宗派に属しておらず、地域の地蔵が信仰対象となっている。
また住職もおらず講中という20名の結社が管理している。しかし祭日に口寄せするイタコが絶滅しそうになっており現在残り1人になっている。
コメント:イタコの方が絶滅しそうになっていて文化継承者が途絶えてしまいそうなのは残念な状況。政教分離の関係で国から補助するなども難しいと思います。
岩手県 黒石寺(こくせきじ)
岩手県は禅宗系6割弱のエリア。
岩手の天台宗の黒石寺は蘇民祭という1000年以上の長い歴史のある裸祭りがある。
行基、坂上田村麻呂、円仁の3名が建設に関わったとされる。これまで5回燃やされ再建を繰り返す。蝦夷の集落地が点在していたエリア。
蘇民祭の縁起はスサノオが宿泊したお礼に疫病予防の護符を渡したことがきっかけといわれる。
コメント:1000年という歴史は非常にインパクトが強いです。これ以上の長い歴史を持つ日本のお祭りは他に存在するのでしょうか。
一方で1000年の歴史に対してここ10年、20年の人々のコンプライアンス意識の変化により全裸ではなく褌をつけて行うようになったり褌一丁の男が掲載されたポスターが駅に掲載できないとJRから拒否されたりしており現代の日本人における歴史より目の前の意識を優先する傾向が気になってしまいます。
参照:岩手伝統の裸祭りポスター 「きわどい」とJR東日本が拒否
宮城県 瑞巌寺(ずいがんじ)
宮城県は14世紀半ばより曹洞宗の勢力が大きくなる。
その中で臨済宗の瑞巌寺(ずいがんじ)は江戸の頃から仙台藩伊達家に手厚い庇護を受け伊達政宗により再建されたお寺。
国宝2件と重要文化財7件ある。
瑞巌寺のある松島は日本三景の1つであり松尾芭蕉が美しさに絶句した場所。極楽浄土をイメージして作られている。
東日本大震災の際には被害を避けることができ、被災者の避難所としても機能した。
瑞巌寺が伊達政宗に再建される前は、円福寺、さらにその前は延福寺と呼ばれ円仁(えんにん)が開いたといわれる。
秋田県 蚶満寺(かんまんじ)
秋田はおよそ半数が曹洞宗で主勢力。寺院は677箇所で全国でも少ない方。
蚶満寺(かんまんじ)はアイヌと交易し、海産物をもらいコメを輸出していた歴史がある。円仁が開祖したといわれる。
寺のある象潟(さきかた)の海は絶景ポイントで松尾芭蕉もわざわざ迂回して見にきた場所。小林一茶や司馬遼太郎も魅了されたと言われる。
しかし19世紀に鳥海山の火山性の地震により地形が隆起して寺が崩壊。当時の住職の努力によりお寺が再建された。
山形県 立石寺(りつしゃくじ)
立石寺(りつしゃくじ)は芭蕉のおくのほそ道の蝉の声の俳句で有名な山岳信仰のお寺。
1000段以上の階段がある。室町時代の守護大名最上氏から庇護を受けていた。
口紅などの素材である最上紅花は円仁などが立石寺に持ち込んだ説がある。
最上紅花の製法は現代でも変わっておらず世界から高品質さで評価を受けている。
コメント:立石寺(りつしゃくじ)は別名、山寺とも呼ばれ、観光協会がハイキングや瞑想のガイドを行なっているそうです。
絶景を楽しみながら歴史に触れられる良い機会ではないでしょうか。
福島県 恵隆寺(えりゅうじ)
会津地方は五大仏都のひとつ。
古代寺院が多く古くから観音信仰がある。恵隆寺の縁起は欽明天皇元(540年)の渡来僧の青岩(せいがん)によって開かれたとされかなり歴史がある。
恵隆寺は真言宗豊山派のお寺。
源平合戦により標高401mの麓の里へ移転させたと言われる。2018年になって発掘調査で全身のお寺が発見され歴史的に前身が証明される。
歴史的に会津三十三観音の巡礼コースを徒歩で男性が1週間から10日かけて巡るものがあり、近年でもタクシーで巡るコースがある。
一方で会津地方は人口減少に伴い檀家数の減少と無住寺院も増加している。
空き寺の管理が困難となり文化財の毀損や盗難、自然災害に対処できない状況もある。
コメント:日本の仏教の始まりは欽明天皇時代であることを踏まえると恵隆寺は日本史における最古クラスのお寺です。全国の中でも珍しい貴重なお寺になります。
しかし一方で周囲のお寺は無住寺になりつつあり、歴史にとって重要なお寺も経済的な理由で管理が行き届かなくなっているため何かしらのテコ入れがないと厳しい状況になっています。
無住寺院に関していえば盗難に関して重要な文化財は別のところで保管する、監視カメラを設置するなど一定の管理基準でもって予防できないかとエンジニア(Web・IT)の視点からすると考えてしまいます。
そのようなことをお話しできる機会があれば良いなとは思っています。
茨城県 長勝寺(ちょうしょうじ)
茨城は歴史的に天台宗と真言宗の密教系が過半数の勢力。
水戸藩が密教系の仏教を抑える目的で廃仏毀釈をおこなった歴史があるため県の寺院数は1300ヶ寺になった。
その中で残り続け、源頼朝が開いたとされる名刹が長勝寺(ちょうしょうじ)。
禅宗らしい芽葺きの本堂が特徴。長勝寺の鐘は名鐘として知られ国の重要文化財になっている。
栃木県 輪王寺(りんのうじ)
仏分離政策で切り離されたが徳川家光の墓所があるのが輪王寺(りんのうじ)。日光の社寺の一つ。円仁が開いたとされる。
2020年に80億円、13年かけて改修工事をしている。
埼玉県 歓喜院(かんぎいん)
埼玉は2266寺院と多めにある。
歓喜院(かんぎいん)は埼玉の東照宮と呼ばれ60年かけて作られた豪華絢爛なお寺。2万人の喜捨(募金)によって改修が行われた。
現在は2012年度に国宝指定。
群馬県 水澤寺(みずさわでら)
北関東は密教系(天台宗と真言宗)が多い。
北関東は地形的に世俗的な空間から切り離されており、山間部に僧侶の集団がいたことに関係していると言われる。
水澤寺(みずさわでら)は家成の末っ子の娘が後妻に殺されそうになった際に手観音像が命を救ってくれ、そこから水澤寺を作るに至った。
途中で天台宗になったがそれまでは天台宗と三論宗の混合だったとも言われる。
東京都 金剛山正福寺(しょうふくじ)
震災と空襲で巨大寺院は焼失している。
その中で臨済宗の金剛山正福寺(しょうふくじ)は国宝指定されて残っている。
鎌倉幕府の北条時宗が死にかけそうになった時に夢うつつの中に現れた僧侶に救われたことを縁起として建てられた。
稲村坦元という禅僧が文化財保護の活動を戦前から戦後に続けたおかげで地蔵党が発見された。
神奈川県 建長寺(けんちょうじ)
1255年の建長7年に開かれた建長寺(けんちょうじ)。
鎌倉は日本五大仏都の一つされる。臨済宗の鎌倉五山は今でも観光地として有名。
中でも建長寺は純粋禅の寺として日本で最初期の坐禅道場となっている。禅寺の名称はここから始まる。
栄西が博多に日本初の禅寺、正福寺を開き、臨済禅(天台宗や真言宗の密教の修法が混じった兼修禅)を広めたのに対し、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)は栄時代の純粋禅を建長寺に取り入れている。
鎌倉時代、臨済宗の勢力の押さえ込みなども踏まえ幕府による寺院の格付けが行われ、「官寺」になった。
建長寺は一位の格付け。由緒ある寺である一方え常に新しい要素を取り入れてきた側面もある。
例えば03年時にサザンオールスターズのライブ開催やコロナ禍におけるお寺のスペース貸し出しの寺ワークや、ITベンチャー企業カヤックの株主総会の会場として貸し出したりしており温故知新を大切にしている。
コメント:公式サイトの方を見ると坐禅を一般向けに開催していました。
毎週金曜・土曜の15:30より1時間開催しているそうです(拝観料の五百円と坐禅の手引き百円)
https://www.kenchoji.com/zazen/
6月と12月は1泊2日の泊まりがけで修行もできるそうなのでチャンスがあれば名刹で泊りがけで坐禅のできる貴重な体験ができるようです。
千葉県 正中山 法華経寺(せいちゅうざん ほけきょうじ)
千葉県は山梨県と同様に日蓮宗寺院や信者の多い地域。
日蓮宗の七大本山のうち3つが千葉県にあり、特に江戸庶民の信奉を集めたのが正中山 法華経寺(せいちゅうざん ほけきょうじ)。日蓮が最初に開いた寺院でもある。
日蓮宗の僧侶にとって大聖地であり100日間の荒業(あらわざ)の修行の道場もあり、全国から僧侶が集まる。
荒業は祈祷するための資格を得るための修行。400年前から行われている伝統行事。
睡眠時間は1日2〜3時間程度、10秒ほどで食べ終わるお粥と梅干しのような簡素な食事を1日二回だけ。
冬場に水行を1日に七回行い残りの時間は法華経を何百回と読経する。
法華経寺には国宝の聖典が保管されている。法華経寺の聖殿はパコダの建造物が特徴的。
山梨県 栖雲寺(せいうんじ)
栖雲寺(せいうんじ)は遊行僧でもある禅僧、中峰明本に弟子入りした業海によって設立された。
岩坐禅とよばれる中国の達磨大師の坐禅手法を取り入れ現在も続けている。現在の麺の形状をした蕎麦の発祥地でもある。
山梨県といえば日蓮宗の総本山、身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)が有名な一方で全体の3割だけが日蓮系のお寺にいなっている。
過半数が禅宗系の寺院になっている。業海は当時の武家向け臨済禅に対して批判的で権力と関わらないスタンスを生涯貫いたとされる。
武田信満の菩提寺となることで武田家の庇護を受け寺領を拡大していった経緯がある。
栖雲寺(せいうんじ)には仏教、キリスト、マニ教を融合させたマニ教の絵画も保有しており非常に稀な組み合わせの絵画なので他では見られないものとなっている。
コメント:一般向けにも岩坐禅の体験会を開催している。月末の日曜日に毎月開催。
岩坐禅の参加詳細:http://www.tenmokusan.or.jp/message.html
長野県 善光寺(ぜんこうじ)
善光寺(ぜんこうじ)。
無宗派で日本最古の絶対秘仏であり546年以降、誰も中身を見ていない。どこの宗派にも属さない日本仏教の原点とされる仏像として祀られている。
この仏像は仏教が伝来した6世紀、白済からもたらされたとのこと。現在は天台宗と浄土宗の尼寺の2つの宗派で運営がなされている。
日本最古であるため「一生に一度は善光寺詣り」というキャッチコピーが生まれているほどで年間600万人をこえる参拝客がいるのも凄まじい。
ここは尼僧が歴代の住職となっている珍しいお寺でもある。
北条家に庇護され寺領を拡大し、善光寺の名前を借りたお寺があ119箇所になった。寺院のフランチャイズ化になっている。
松尾芭蕉も何度も訪れて句を読んだとされる。
岐阜県 横蔵寺(よこくらじ)
横蔵寺(よこくらじ)。即身仏が一般公開され安置された珍しいお寺。
国の重要文化財の仏像が22体ある。岐阜では「美濃の正倉院」と呼ばれている。即身仏は全国で17体確認されている。
即身仏とは、〈厳しい修行の末に体内から脂肪や水分を落とし、身体内の窒素率を消耗しつくし、腐敗雑菌の発生を防ぎ朽ちない身となり土の中に入って断食死し、その後数年後に掘り出されたもの〉(瀧水寺大日坊ホームページより)という。
コメント:日本に即身仏があることに驚きました。
エジプトのミイラと異なり過酷な修行を経て無駄な脂肪を落とし尽くした先のいわば天然のミイラですが、そんなことがあり得るのかと昔の修行僧はとんでもない覚悟があったのだなと感心します。
静岡県 尊永寺(そんえいじ)
尊永寺(そんえいじ)。静岡県は半数以上の寺が禅宗の「禅宗王国」。半数が曹洞宗。
戦後は農地開放で土地が奪われ寺院経営が厳しく寺族がホステル経営との二足草鞋をしているほどだった。
高度経済成長期で参拝者が増えなんとか景気を回復させた。
愛知県 日泰寺(にったいじ)
愛知県の寺院数は国内最多。2位が大阪。浄土宗寺院が多い。
愛知の日泰寺(にったいじ)は釈尊の真骨(仏舎利)が日本で唯一祀られている。一方で歴史が浅く明治時代後期に設立された。
したがって神仏習合しておらず無宗派となっている。
日本を代表する仏教寺院の中でも一生に一度は訪れたい場所となっている。
なぜなら釈迦の遺骨があるからだ。
インドの釈迦族の墓が発見されその遺骨も見つかり各国へ遺品と遺骨が引き渡された。
そしてタイに渡った遺骨に対して祝賀行事にて日本人の大使館の稲垣氏が懇願して遺骨の一部を引き渡してもらったことが遺骨の渡ったきっかけとなる。
ただし、当時のタイ国王から専用の寺を立てるように言われてできたのが日泰寺。
現在まで、日泰寺はどの宗派にも属さない単立寺院であり続けている。
運営は天台宗、浄土宗西山深草派、臨済宗妙心寺派、曹洞宗、真宗大谷派、法相宗など一九宗派の管長が、三年交代の輪番住職制を取っている。現在は曹洞宗の江川辰三管長(總持寺系)が第三四世住職をつとめている。
釈尊の近くで眠りたい、と墓や永代供養を求める人も少なくない。
実は奉安塔に隣接する境内地は、一般人でも墓所として求めることができる。例えば過去帳に記して五〇年間の供養を続けてくれる永代経料は、二五万円と相場に比べてかなりお手頃だ。
なにより、釈尊の墓の隣で永遠の眠りにつけるということを、多くの日本人は知らない。
参照:歴史│覚王山 日泰寺│お寺の成り立ち,日泰寺歴代住職,タイとの交流
コメント:まさかこのお寺に骨を埋めることができると知らない人が多いだけで認知されれば供養してもらいたいと思う人は沢山いるだろうと思います。
自分も死んだらこのお寺で供養してもらいたいです。が、その前にまずは訪問したいですね。
新潟県 種月寺(しゅげつ)
越後を代表する禅道場が種月寺。
新潟は2700寺あり浄土真宗が最大勢力。親鸞が流罪となったのは越後国府。そのため真宗勢力が大きくなった。
一方で曹洞宗は四箇道場で禅僧を多く輩出。曹洞宗は中国の道元由来の宗
派。
種月寺は四箇道場の一つである。
戦前までは徳川家より庇護を受け広大な農地をもち、子供の戦時中は託児所などとしても機能したが戦後の農地改革で衰退してしまう。
種月は禅語の「耕雲種月=雲を耕し月に種える」から取られている。これは、「雲を耕し、月に種をまくように、苦労を厭わずにひたすら禅に徹せよ」という意味である。
1950年以降、農地改革によって修行僧は食っていけなくなり僧党は取り壊された。
富山県 瑞泉寺(ずいせんじ)
北陸三県(富山、石川、福井)は真宗王国と呼ばれるほど浄土真宗系の勢力が大きいエリアになっている。
蓮如の熱狂的な不況により信者が増大、1488年に一向一揆が勃発。真宗勢力は権力者にとって脅威となり織田信長に滅ぼされるまで自治国家が100年間続いた。
特に富山の瑞泉寺(ずいせんじ)は本党が国内トップ5の規模になる。
瑞泉寺は1390年の後小松天皇宛の難解な国書を綽如(しゃくにょ)が解読したお礼として立てられることとなった。
石川県 那谷寺(なたでら)
那谷寺(なたでら)は「自然こそ神仏」の白山信仰と結びついた密教系寺院の歴史を持つ。
白山は富士山、立山と並んで日本三霊山に数えられる。
白山は、深山幽谷に入って神と一体となる修験道場の場にもなり、その勢力は和歌山の熊野修験と二分するほどのものであったという。
だが白山信仰の詳細は、明治初期の廃仏毀釈によって記録等が失われたことなどから、謎の部分が多いのが実情である。
那谷寺は洞穴の岩に石造の仏像が飾られているのが大きな特徴となっている。
コメント:土着信仰に神仏習合した美しい景観スポットが幾多もあり素晴らしいです。公式サイトの方で写真をたくさん掲載されています。
福井県 若狭神宮寺(わかさじんぐうじ)
福井は曹洞宗をもたらした道元の故郷。
一方で浄土真宗の本拠地。親鸞の嫡流、蓮如が一五世紀に越前吉崎に赴き、布教の本拠地(吉崎御坊)とした。曹洞宗は2割ほど。
若狭神宮寺は、神仏習合の古態をいまに伝える稀有な寺院。ここでは日本の本来の宗教混淆の姿を、観察することができる。
若狭神宮寺(わかさじんぐうじ)の水脈は南90kmの東大寺へ水脈が続いていると言われる。
縁起によれば神宮寺は七一四(和銅七)年、法相宗の神願寺という名称で開闢。
若狭神宮寺は今でも仏と神を一緒に祀っている。
例えば、先述のお水送りの儀式は仏事というより神事の要素のほうが強い。
なんとも不思議なのは、本堂(室町期、重要文化財)の向拝や山門、仁王門には、神社の結界の証であるしめ縄が張られていること。
住職によれば、若狭神宮寺では、柏手を打つのが正しい参り方だという。
一八七一(明治四)年にここ小浜の地でも廃仏毀釈のうねりが押し寄せ、社殿は全て毀され、御神体の差し出し命令が出された。
しかし、身代わりを差し出すことで難を逃れ、御神体は本堂内陣の神域に秘蔵されているという。
京都府 広隆寺(こうりゅうじ)
言わずも知れた仏教の総本山の京都では、大本山の主要教団だけで36ある。
広隆寺は国宝20点、重要文化財が48点にも登る場所。中でも飛鳥時代の弥勒菩薩半跏思惟像(みろく ぼさつはんかしゅいぞう)が有名。
弥勒菩薩は釈迦の入滅後56億7000万年後にこの世に現れるとされている。
京大生が頬擦りして小指を破損してしまったことがある像。
奈良県 飛鳥寺(あすかじ)
飛鳥寺は日本最古のお寺。
本尊の飛鳥大仏も日本最古の仏像とされている。
将来的に国宝になる可能性がある。飛鳥大仏の台座は奈良時代の頃から一度も動かされていない可能性があるとされている。
飛鳥寺は現在、真言宗の末寺の一つとなっている。
日本書紀には飛鳥寺で606年より花まつりが行われ現在までに続いており日本仏教史の源流に当たるお寺となっている。
大阪府 四天王寺(してんのうじ)
過去の多くの名僧は四天王寺に憧れ訪れている。
なぜなら聖徳太子が蘇我氏が勝利することを条件に創設させている古刹だからだ。
大阪は全国で2番目にお寺の多い都道府県の1つ。
四天王寺は日本における仏法興隆の聖地でもある。そして社会に開かれた寺院であり無宗派になっている。
四天王寺では日想観が盛んであり、落日を眺めながら極楽浄土の世界に心を浮かべながら念仏を唱える修行になっている。
後白河上皇が法然と共に日想観を行ったそうだ。
しかし1934年に室戸台風によって大きな損壊を被った。
しかも1940年に五重塔が再建されたものの大阪大空襲でまた破壊された。
63年にようやく鉄筋コンクリートを一部に用いながらもなんとか再建させたという歴史がある。
四天王寺は長らく宗派にとらわれず一般の人たちにも開かれた寺院だった。
六宗兼学の別格本山として扱われ、敗戦後に無宗派となったが戦後までは天台宗に属している。
三重県 金剛證寺(こんごうしょうじ)
三重県は浄土真宗が強い。
伊勢神宮は江戸時代まで神仏習合だった。
信長を苦しめた一向一揆の三重県。一向一揆といえば石川だ伊勢長島も信長を一向一揆で苦しめた。
金剛證寺(こんごうしょうじ)は江戸時代まで伊勢神宮参りと共に参拝するものとして人気だった。
縁起は598年に小野妹子を送り仏舎利を奉納したとも伝えられる。
検証はできていないが小汚名できれば日本最古の部類のお寺になる。
金剛證寺(こんごうしょうじ)のある朝熊山は霊山である。
江戸時代に伊勢参りが大流行したことに、祈祷師の影響力があった。祈祷師が神宮や金剛證寺のツアーを組むことで参拝者が増えて流行していったという。
コメント:現代社会だとインフルエンサーや芸能人がきっかけを作り流行させることがよくあります。
江戸時代も一部の影響力のある人(祈祷師)が関与して金剛證寺が栄えたということなので共通するものと現代でも参考にしたいものもありました。
滋賀県 櫟野寺(ふくしょうざん らくやじ)
人口あたり寺院数で全国トップになっているの滋賀県。過半数は浄土真宗。ついで浄土宗が多い。
一方で知名度の高い天台宗も多い。中でも福生山 櫟野寺(ふくしょうざん らくやじ)は古刹の天台宗となっている。
平安時代の仏像20体以上いる。独自の信仰形態があり、裏に甲賀の信仰があった。
3.2メートルの高さを持つ十一面観音菩薩坐像があっり日本最大となっている。
神道と仏教の入り混じった霊木信仰が垣間見える。豊富な文化財を保有しているものの末寺扱いになっている。
和歌山県 道成寺(どうじょうじ)
和歌山県を代表する道成寺(どうじょうじ)。1300年の歴史がある。真言宗の開祖、空海が開き117もの塔寺院を抱えている。
国宝は3件、重要文化財は11点もある。
平安時代中期に修行僧の集まる環境がつくられ(伽藍[がらん]の整備)、多数の仏像が設立→寺院が衰退→能や歌舞伎で寺を復興させていった流れがあった。
岡山県 西大寺(さいだいじ)
岡山県はもっと裸祭りが盛んで日本最大規模だ。日蓮宗寺院が南東部に多い。全体的には真言宗が多い。裸まつりでは1万人が宝木(しんぎ)を巡って争奪する。
そのため寺院も祭りに合わせた特殊な構造になっているのが特徴的。
西大寺(さいだいじ)は修行をしていた安陸上人が夢のお告げで龍神と出会い、「この犀角を持って、聖地に納め、その上に御堂を建て、天下泰平を祈る道場とせよ」と言われたことで建立されている。
それゆえに、元の名前は犀載寺(さいだいじ)となっていて現在の西大寺は後鳥羽上皇によって改号されたものである。
ちなみに西大寺といえば会陽と言われる。裸祭りは企業がスポンサーとなっており地元経済と結びついている。
広島県 佛通寺(ぶつつうじ)
6割の寺院が浄土真宗系の安芸門徒の寺院。
かつて広島城周辺に真宗寺院を集めることで経済と兵站のメリットとして寺町を形成された経緯がある。
原爆によって大きな被害を受けた。
佛通寺(ぶつつうじ)は日本屈指の参禅道場をもつ大本山で知られている。
寺を開いた愚中禅師(ぐちゅうぜんし)は善の本来あるべき姿を愚直に追求した人物として知られている。
深山幽谷に籠って禅に集中できる環境がある。
縁起は1397年に室町時代の武将に愚中が招かれて開かれた。
愚中禅師はバイリンガルであったことと、歴史的に禅と権力は結びついてきたため政治に取り込まれそうになっていたもののそれを拒み、純粋な禅へと回帰させる方向へ動き続きた。
鳥取県 三佛寺(さんぶつじ)
鳥取は天台宗の2つの寺院で有名。
大山寺と三徳山 三佛寺(さんぶつじ)。両者ともに山岳修験の聖地だったが、中世は僧兵を抱えていた歴史もある。
断崖絶壁にある投入党は現在も建築手法が不明な部分もある。
投入党の登山は数年に一度死者を出しており複数人で登山と下山をしなければならない。
縄で止めているわけでもなく平安後期あたりから現在まで自然災害などに遭わずに残り続けている。建築方式も神社建築になっている。
島根県 鰐淵寺(がくえんじ)
鰐淵寺(がくえんじ)。島根は古事記の舞台となった土地。宗派は過半数が浄土真宗と浄土宗になっている。
島根県の仏教の特徴は修験文化。出雲大社と集合していた古刹が浮浪山鰐淵寺。(出雲市の天台宗)。
紅葉の名所にもなっている。出雲大社と鰐淵寺はどちらもお互いに立場を大切にした上で発展してきたが、戦国時代後に、幕府の政策によって自領を減らされ僧坊が廃絶し、1667年に神仏分離が行われて関係性がなくなってしまった。
しかし逆にもしこの時期に分離されていなければ廃仏毀釈によって取り壊されていた可能性もあったと考えられる。
山口県 瑠璃光寺(るりこうじ)
戦国時代に政治的な利用で真宗寺院が庇護された。しかしそれを先導した毛利元就は臨済宗を信仰していた。
瑠璃光寺(るりこうじ)は曹洞宗で美しい五重塔がある。
日本三代名塔の一つであり京都の醍醐寺と奈良の法隆寺に肩を並べる。
瑠璃光寺は少林寺拳法と柔道のルーツとも言われている。
瑠璃光寺は護身術として少林寺拳法を僧侶に取り入れたと言われている。
少林寺拳法は明の陳元贇(チンゲンビン)が来日して、瑠璃光寺に一時滞在したことで伝授されたとのこと。
ついで瑠璃光寺の末寺である、江戸の麻生にある国昌寺(こくしょうじ)で浪人三人に柔術を伝授している歴史がある。
香川県 善通寺(ぜんつうじ)
四国といえばお遍路だが、八十八か所のうちの八十か所は真言宗系寺院になっている。
諸説あるが理由は空海が巡礼を始めたからであると言われる。
中でも特別な霊場が空海の生まれた場所であり、空海が直々に開いた善通寺である。
唐で2年間の修行を終えてからの帰国後、善通寺を建立している。
修行していた唐の青龍寺を模している。
そして空海は真言宗を設立。天台宗が台密で真言宗は東密と呼ばれる。
こうして2大密教時代へ突入したが空海の没後は衰えていった。天台宗かっら鎌倉新仏教が生まれた後も空海の有力な後継者は見つからなかった。
現在もお遍路において善通寺は特別な場所となっている。
愛媛県 前神寺(まえがみじ)
愛知県は禅宗寺院の比率が大きい。全体の4割になっている。臨済宗系が一番多い。
一方で地域信仰において、石鎚山の前神寺(まえがみじ)が有名である。空海が修行した場所とも言われている。
霊峰石鎚山の7合目に山岳寺院があったが過酷すぎて江戸時代に里に移動された。
廃仏毀釈で一度滅んだが住職と檀家などの熱心な活動で再建され、現在も真言宗石鉄派として石鎚修験を行なっている。
徳島県 丈六寺(じょうろくじ)
お遍路では最初に発心の道場と呼ばれる徳島県の古刹をめぐる。
次に高知県の修行の道場。愛媛県の菩提の道場、最後に香川県の涅槃の道場。
徳島県は密教系の寺院が多い。禅宗寺院の割合は1割だ。
丈六寺(じょうろくじ)は禅宗寺院で戦国時代以来の歴史がある。
観音堂は和と唐の折衷のデザインになっている。長宗の陰謀により血飛沫を上げた後の血天井なども残っているのが特徴だ。
歴史的な価値の大きさから阿波の法隆寺とも呼ばれる。
高知県 土佐国分寺(とさこくぶんじ)
高知県は367寺と少なめになっている。ワースト3になっている。
高知県とワースト2位の宮崎県は廃仏毀釈後にあまり復興されなかったためである。
一方で高知県の信仰は神道に依っており、神社は2163社ある。
近年では発掘により巨大寺院があったことが窺えるのが土佐国分寺。
全国に国分寺はある一定の基準を持って建てられていることが特徴的で住宅街に近すぎず、参拝までに遠すぎずの場所を指定されている。
そこで土佐国分寺も高知県に建立されることとなった。
廃仏毀釈の当時は、全体の6分の4が廃寺された。
福岡県 善導寺(ぜんどうじ)
名刹の多い福岡は唐や宋の入口となっていたことも関係している。
善導寺は浄土宗の法然の直弟子がひらりた格式の高い寺院。
日本屈指の念仏道場で全国から信者が集まっている。
縁起は1192年。建立したの聖光だが母が出産とともに絶命しその生い立ちもあり9歳で出家している。
法然の直弟子であるものの念仏は師匠を超えて正しく相伝したと言われる。主に九州を中心に布教した人物である。
母親が難産だったため安全の護符を古くから発行している。
佐賀県 大興禅寺(だいこうぜんじ)
佐賀には奈良時代の古代寺院跡が廃寺として見つかっている。
大興禅寺(だいこうぜんじ)はその中でも未だなお残っている古刹。行基と円仁が再建したことで知られている。
中国、長安の密教寺院をモデルにしており127段の石段がある。
円仁は大興禅寺を密教の道場にする目的で長安を模倣したとされる。
佐賀は珍しく廃仏毀釈の時代にあまり厳しくなかったとされ、神仏習合の宗教形態が守られている。
一方で福岡の太宰府天満宮は神仏習合の場所であったものの神道の神社として神仏分離させられた。
そのときに太宰府天満宮の文化財の避難先となったのが大興禅寺である。
長崎県 興福寺[唐寺](こうふくじ)
キリシタンの街の印象が強い長崎県。一方で日本有数の規模の寺町を形成する仏教の町だった。
長崎は、江戸時代に日本初の華僑の菩提寺(唐寺)が建立さっれた地域。その名も興福寺(こうふくじ)である。1620年を縁起とする。
興福寺は華僑の拠点となると福建省の中国の土着信仰と仏教が混じる形で融合していくこととなった。
しかし1945年に原爆により倒壊してそのままとなっており復興していない。
熊本県 正覚寺(しょうがくじ)
熊本は日本の宗教の縮図と言われる。キリスト、仏教、神道が溶け込んでいる地域である。
天草のキリスト教である南蛮寺は幕府が破壊してその後は、正覚寺が建立された。
寺には十字架の墓跡が残っている。天草では戦国期から江戸初期にかけてキリスト教が普及した。
天草の僧侶の中にはキリスタンに改宗したものもいた。南蛮寺の最盛期は3500人の信者がいたとされる。
大分県 羅漢寺(らかんじ)
大分は特に国東半島が歴史的に神仏習合の色が濃いエリアとなっている。
国東半島の歴史は8世紀初期の山岳寺院群の六郷満山に遡る。そこと肩を並べるのが羅漢寺である。
釈迦如来から弥勒菩薩までの石仏が3700体超えで存在している。
宮崎県 法華岳寺(ほけだけじ)
廃仏毀釈が厳しかった地域。国内で沖縄の次に寺院が少ない。廃仏毀釈でほとんど破壊されている。神社は数が多い一方で古刹は数えるほど。
法華岳寺(ほけだけじ)は貴重な古刹の一つである。
日本三大薬師に挙げられる。しかしげんざいはまだ再建中である。
鹿児島県 感応寺(かんのうじ)
鹿児島県は明治初期に寺院が完全消滅した。
そのため国宝、重要文化財が一つもない。鎮国山 感応寺は破壊を免れた仏像を有している。
本尊は住職に隠され再建に10年を費やしてようやく復興する。
そして廃仏毀釈が落ち着いた空白地帯に浄土真宗が進出していった。
現在の鹿児島のお寺のほとんどは明治以降のものになっている。感応寺は禅の古刹になっている。
沖縄 桃林寺(とうりんじ)
檀家制度のなかった地域。1872年より琉球国から鹿児島県に組み入れられた。
そのため檀家制度などは歴史的になかった。しかし少数の仏教寺院は存在する。
廃仏毀釈で元々少なかった寺院がほとんど廃寺となったため、戦後以降の新しい寺が多い。
全国で最もお寺が少ない都道府県である。
沖縄では葬式時にとりあえず紹介された寺を選んだやつを選んで形式上の信者となる。
桃林寺は一つも寺院がないことに危機感を抱いた薩摩藩が建立するも、津波、戦争、台風に依ってたびたび破壊と再建を繰り返している。
沖縄には琉球神道と呼ばれる土着信仰がある。
お寺の日本地図はさまざまな知見が得られる
終わりに
寺と日本史のつながりは教科書にもその視点で描かれていないため新しい視点をたくさん得られました。
総じて日本は宗派同士が交わることなく勢力を直接的でないものの争ってきており歴史的にそうなっていることをそのような記載が直接あるわけではないが浮き彫りになっている本だという印象です。
環境、人、信仰、政治によって地方ならではの形で仏教が伝わり続いていることを47都道府県の実例を通じて知れたことは今後に活かせそうです。
今後の活動においてもその地域のお寺の文脈を知っていると最適なアプローチを取りやすくなります。
また武田家、徳川家や北条家といった政治力のある家系の庇護を受けたお寺及び宗派は勢力を拡大している傾向があり政治の力無くして普及しなかった面も歴史的にあることが知れました。
現代人はお寺の歴史を知る機会が少ない
過去に神社でバイトしていたこともあり、自分が仏教に興味を持つ以前は神社に参拝することはよくあったのですがお寺にはいつ行ったら良いのかわからず全く触れる機会がありませんでした。
唯一行ったのが受験期に気合いを入れるために伺った近くのお寺での冬の滝行(10秒くらいだけ)です。ちなみに滝の流れとともに落第しました。
しかし学校の頃にお寺エピソードを教わっていればもっと触れる機会はあったらだろうと思います。
学校の授業でお坊さんを呼んで坐禅会くらい開催すれば良いのにと。
苦しいお寺のマネー事情
お寺は現代では政教分離の政策もあり特別な庇護を受けることはないことと、農地改革によって自給自足が困難となってしまったこと、長期的な不景気のため、構造的に寺は縮小傾向にあります。
お寺は税金で優遇されているから儲かっているという発信をたまに見受けますが生活するだけの売上もないお寺が大量に発生しており税金のような話どころではありません。
都心部の不動産などで余裕のあるお寺の話だけが目立っていて残りの過半数おお寺の実情が隠れてしまっているのではないでしょうか。
そうした世間の印象と実態とのギャップの差でもお寺の運営に良くない影響を与えている気がします。
そんな寺院ですが、引用させていただいたように地域によって土着信仰、神道、寺院の交わり方がそれぞれ個性があり重要な歴史も受け継いでおり面白いです。
ただ知るだけでも興味を持つ人、触れ合う人の母数が大きくなるり再興することへ繋がることでしょう。
困難のなかった名刹はない
書籍の最後の方で鵜飼さんは長い長い歴史の中で困難のなかった名刹はなかったと言われています。
ほぼ全ての古刹が過去に政治、環境、いろいろな要因によって滅びるか、滅びそうな危機に陥った歴史を経験しているからです。
さて、現代は資本主義化と景気悪化による廃寺が問題となっているが昔も情勢が大きく変わり寺院が庇護にされなくなると一気に衰退してしまっていた。
建築物の老朽化とコストのかかる改修工事、および宗教法人を悪用する企業などを踏まえて取り壊さざるを得ない寺院も少なくないようです。
しかし単純に比較できるものではないですが、こうした苦難も過去にそれでも僧侶や信者たちの協力によってなんとか現代にまでバトンを回し続けていることを踏まえると継承しようとする意志さえあれば案外なんとかなるかもしれません。
昔の戦時中などに比べると命までは奪われないという点では有利ですし。昔は僧兵のように破壊されるか戦うかを選ばざるを得ない時代もありましたので現代ならではの優位性を活かしてうまくいけばと願っていますし何かで役に立てればなーと私は模索中です。
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