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音楽をやっていなかった。

曲をつくらなくなったのはいつからだろう。

バンドは続けている。
でもそこでは自分が歌詞からメロディーから作ることはなくて、せいぜいアレンジを考えたりするくらい。

ソロで活動していた時なんか、寝ても覚めても音楽のことを考えて、いつも曲づくりをしていて、携帯のメモには歌詞ばかり書いていた。
オーディションに出たり、ちょっとした結果を出したり、レコーディングをしたりCDにしたり。
対バンライブもやって企画ライブもやって、ワンマンライブもやった。
自分で言うのもあれだけど、けっこう本気で音楽に向き合っていた。

そんなだったのにもう今となっては、
歌詞が出てこなくなって
メロディーが出てこなくなって
人前で歌いたいと思うことがほとんどなくなった。

音楽とか音楽活動なんてものは、あえて辞めるものではないと思っている。
でももしかしたら、僕はすでに音楽を辞めているのかもしれない。

なんで辞めているのだろう?
理由がなくなったから?
デビューとか売れるとかライブをしたいとか認められたいとか、すごいと思われたいとか、思わなくなったから?
社会人生活が長くなるにつれて忙しくなったから?
仕事は仕事で楽しいから、それで満たされているから?
そうだ。それが1番近い気がする。

満たされている。
だから、音楽してない。
てことは、音楽をやっていた時は、満たされるために音楽をやっていたんだ。
満たされるってのは多分、認められるということ。
認められて、自分で自分に納得できるということ。
多分そんな感じ。

幸か不幸か音楽で売れることは自然に考えなくなって、すんなり社会人に移行した。
それでもやっていることは音楽の時と同じで、認められるために仕事をしてきた気がする。

詳しくは割愛するが、自分の仕事の質やプロジェクトをある程度コントロールできる年齢というか経験をしてきて、仕事でもある程度満たされているのだろう。

満たされていない、と思うことがまず、少なくなった。
これはいいことだ。欠乏や不足を感じてながら何かを求めても、それは執着に近く、心がぎすぎすするからだ。
そういうことなくいられていることは、しあわせだということなのかもしれない。

でもなんだろう、音楽をやっていない自分のなんとなく違和感があるのは。
ずっとやってきたから?ギターが部屋に置いてあるから?バンドは続けているし、サポートでギターを弾く依頼をもらったりするから?
つまり音楽はいつでもちかくにあるのに、自分としては音楽をやめているから?あの日の音楽を。

そうか、だから自分にとっての音楽というものがフワフワしているのかもしれない。

認められるための音楽。
これな昔の僕の音楽だった。
今は認められている。
てことは、なんのための音楽にする?
という問いだ。
わかった。

なんのための音楽か?
これをやめたい。

音楽は音楽でいい。目的も理由もいらない。めんどくさい。まじめくさい。つまらない。
あえていえば、意味なんてない音楽でいい。

伝えたいこととか、この曲の意義とか、この曲でこうなってほしいとか、そんなのはもうよくて
自分が書きたい曲をとか、伝えたいことをとか、どんな曲調でとか、そんなのももうどうでもいいかな。

やりたくてもやりたくなくても、それが音楽だ。
もともと意味なんてない。
説明なんてできなくて、聴きたい時に聴いて、弾きたいときに弾いて、でいい。
もっというと、聴きたいとか弾きたいとか明確な願望でもなんでもない気がする。

気づいたら弾いてる。
気づいたら聴いてる。

そんな本能に近い感じ。
やっぱり、音楽は辞めるとか辞めないとかそういうもんじゃないわ。
始まりも終わりも曖昧なんだから。
曖昧なものに始まりも終わりもいらない。

なるほど。
音楽は辞めてなかったな。
だって、別にはじめてもなかったんだから。

ここから、音楽がはじまる気がする。

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