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食事に対する考え方と、魚を食べる事について


私は基本的に興味をもったことには一直線に向かう癖があり、「とにかくやってみよう」精神が強い。
2年前までは雑食(添加物も健康のことも何も気にせずに肉、魚、加工品など好きな者はすべて食べる)だった。

それから弟の影響や、本の影響を受けて現在は肉、魚、加工品は食べないヴィーガン(食事面だけ)になった。
理由は色々あって、健康の為、脳の為、精神面の為…。
話出したらキリがないのでこれは割愛する。

ヴィーガンで1日一食。こんな生活がホントにできるとは思っていなかった。
晩御飯は「8種の野菜のサラダ」「自然農法玄米」「ミックスナッツ」。

こんな食事内容になったのも「良いといわれることをすべて取り入れたらどうなるんだろう」という興味からだった。

当初は3歩進んで2歩下がるように、お菓子を自制したら3日目にはリバウンドで爆食いを繰り返すありさまだった。
肉に関しては、食べなくなった途端にみるみる体重が減ってお通じがすこぶるよくなったのを覚えている。

お酒は元々そんなに好きではなかった為、辞めても何ら支障はなかったが甘いものを断つのはなかなかむずかしく、実は今もミックスナッツを食べる時に「砂糖」ではないものの「てんさい糖」と、ココアと塩を混ぜてチョコ味にして食べている。

厳密にその部分でも甘味を取り除けば、更に脳の機能を向上させることが可能だと思うが何事も「完璧」というのは堅苦しいものだ。

「惜しい」くらいの今の食生活がちょうどいいように思う。
(これが自分に都合の良い言い訳であることは言うまでもない)

話がそれてしまった。

「魚を食べる事」について。
生まれて来て、気付いたら食べ物として既に食卓に並んでいたため、魚をさばくことも特に罪悪感はなかった。
ただ内心、魚の血や匂い、内臓を見ると「気持ち悪い」と思っていた。

昔から潔癖よりの綺麗好きで、小学生の頃クラブ活動でバレー部に入っていたが、大き目の円柱状のドリンクポットから、使い回しできるプラスチックのコップを皆でまわして利用する時も、コップの利用に躊躇したくらいだ。
(恐る恐る口をつけたのを覚えている)

昔からなんとなくの直感に従うタチで、親がさばく様子は遠目から見たことがあるが「なんか気持ち悪い」という理由だけで、さばき方を覚えたいと思ったことはなかった。
むしろさばく必要があるなら食べなくていいと思っていたから、個人的に魚より肉が好きなことも相まって社会人になると好んで魚を食べることはなくなった。

たまに食す程度で、私にとっての魚は「調理がめんどくさそうで、肉よりおいしいと思えないから食べなくても良いもの」だった。

そのため、昨年も魚を食べたのは数えるほどしかない。
昨年、外食の時はヨガ創始者の沖先生の教えにのっとり、その場の空気を乱すことが無いように肉も一度だけ口に入れた。

肉も勿論、動物(牛や鳥)の命を奪って食卓に並ぶもので、魚も命ある生き物である点では同じなのだが、魚には手足がなく生物学的に人間と離れてるからだろうか。
まな板の上にそのまま横たわっていても鳥や牛が殺される時より罪悪感を感じにくい。
(手足が生えてたら食べる気も失せるだろうが)

私がヴィーガンに興味をもったのは「肉をたべなくてもタンパク質不足になることはない」ことを知ったからだ。

小学生の頃、動物が肉としてスーパーに並ぶまでのシーンを見たような記憶がある。
「かわいそう」と思いつつも、「タンパク質不足になるから食べないといけないんだよな」と幼ながらに思った。

肉料理は実際おいしいし、3年前までは毎日のように肉を口にしてたし、なんなら「焼肉最高」の精神で
兄からのお歳暮も肉尽くしだったのが今となっては真逆の食生活をしている。

YOUTUBEで「痛みを感じる動物が殺されるときの悲痛な念のようなものが肉に籠るらしいから、食べることで、その念を自分の中に取り込んでいる」などの説もあったのも食すのを辞めた要因だ。
(実際に肉を食べてる人は精神的瞬発力が高い傾向(カッとなりやすい)などが確認されている)

そういったわけで「食べなければ死ぬ」のでなければ、今後も肉は食べる予定はない。
動物が痛みを感じることは、殺されるときのリアクションから予想がつくものの、屠殺の時リアクションのわかりにくい魚はどうなのか。

そもそも食べる予定がないのに調べることが不毛だが興味があった為しらべてみた。

詳しくは上記のサイトを見てみてほしい。
結論として「魚は痛みを感じる」とある。

私としては「痛みを感じようが感じまいが、積極的に食べる予定はないから関係ない」と言ってしまえばそれまでなのだが、「死に際の念」のことを考えるとスーパーに並んでいる魚にも少なからず、そういった念がこもることになる。

念の話は、あくまで迷信にすぎないと思うが実際私は肉を食べなくなってからアタマに来てカッとなることがなくなった。
イラつくとしても感情を抑えることができる。
ただ、社会には怒りの表現を表に出さないと舐め腐ってくる輩もいる為、面倒だが計算の上で怒りの演技をすることは大切だ。

この迷信を信じるかどうかは、その人次第だし、ある説では人間が排出したプラスチックのゴミが波に揉まれて小さくなり、魚の体内に取り込まれているからそう言った意味で魚を食すのもあまり良くないと聞く。

この間、職場の先輩との付き合いで寿司を食べた。
抵抗はあったが2年ぶり?に食べる寿司はどれほど美味しいのか興味もあったから口に含んでみたが…特段感動も何もなかった。
社交辞令で「美味しい」と発言はしたものの「ああ、寿司ってこんな味だったな」くらいのものだった。

個人的には空腹が最大のスパイスだと思っているし、野菜に勝る体の浄化作用を持った食物はないと思っている。

誰が何を好んで食べるのかは自由だし、反対する気もないが諸々の事を踏まえた上で、現在体調が優れなかったりするのなら「何かを+して食べる」よりも引き算で考えてみるのも良いのではないかと思う。




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