181110_京都帰り空

明日も、つむぐのです。

 「自分が書いたものをどんな人にも見てもらえる場所に置く」ことを始めて、もうすぐ3ヶ月になっちゃう。

 夏の終わりに始めたはずなのに、いつのまにか外出前にはハンドクリームを塗り、お風呂を出たらぬくぬく靴下を履く季節になってしまった。

 一人暮らしを始めて7年目(えっ、うそ、びっくり)になりますが、やっぱり得意料理ふゆバージョンは一人鍋です。
 2~3年前から、「こなべっち」とかいう名称で一人用の鍋の素が各社から販売されているので、いろいろ買い置きをしていますが、ごま豆乳鍋だけは常備です。

「ひと世帯のあり方や、そもそもの人生設計の仕方ってのの変容がこういうところからも分析できるのかなー」
 なんて、クタクタになった白菜をつつきながら思う。


 ここは、最初は自分の葛藤を吐露する場所だったけれど、
 気付けばいい写真をアップしたり、自分が夢中になっているものを紹介したり、ひとにあげたイラストの端っこを載せてみたり。そしてそれらを地下鉄に揺られながら眺め返す自分がいたり。

 「自分のものを誰にでも見てもらえるよう発信する」ことがスタートで、いつ、「発信する」だけでは足らず、
「誰かに、届けたい」
「誰かに、受け取ってもらいたい」
「誰かに、みてもらいたい」
まで、いったんだっけ。

 季節の移り変わりとともに。
 半袖が長袖に、さらに上着を羽織るように、と変わったように。とても自然な心情の変化、というよりは流れ、でした。

 下心的な、あんまり面白くないものなのかなーって思うこともあるけれど、下心も大事なわたしのこころの一つですもんね。

 「みてもらいたい」のこころの流れも、まずは自分がみてあげて。受け止めてあげて。
 明日もきっと書くのです、つむぐのです。

この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。