181112_美しいかみ

十六歳、自由の髪、真鍮色。

 わたしが通っていた高校は校則がゆるい進学校で、頭のいいギャルやらイケメンと呼ばれる男の子たちがこぞって受験をした。
 わたしはギャルでも何でもなく、というかむしろ優等生というやつで、おさげこそしていなかったが黒髪がきれいだと思っていたし、メイクなどしない素の顔が一番きれいだと思っていた。いま思い返せば、そういう女の子がヒロインになっている少女漫画の読みすぎもあったと思う。高校に入ったらサッカー部の女子マネをしてなんぼのもんじゃと思っていたくらいだった。(あほらし)

 だから、わたしがその高校を受験したのは校則のゆるさとは全く別の理由…その高校が普通科以外に英語+第二外国語の授業や留学プログラムが充実した特別科をもっていた…だったが、まあ入ってしまえば周りに感化されるもので。
 入学すると二年生、三年生のかっこいい先輩たちが、それはもうかっこよかった。明るめのカラーリングでショートカット、某大型洋服店で買ったと思われるオレンジ色のカーディガンに個性的な缶バッジをたくさん付けた「THE・ゴーイング・マイ・ウェイ」な先輩、栗色をした肩下ストレートヘア(遠目からでもサラサラだとわかる)に首元には小さいペンダントのネックレスが下がった女性らしい先輩もいた。「栗色って本当にあるんだ。漫画とか小説とかで、男子がときめいた女子の髪色のことをよくそう言っていて、なんかいやらしい表現だって思ってたけど実在するんだ。…確かに、少しいやらしい。」。先輩たちの姿は、少女漫画を教科書に拵えられていたわたしの「女子高校生像」を原子レベルまで分解&分解、再構築&再構築していった。

 そんなわけでわたしも手始めに黄色いカーディガンを買った。これは手っ取り早かった。わたしと同じように真面目な目的で入学した友人の中では早めの開花であった。
 それを着て初めて登校した日は
「おお!黄色!おまえが黄色!」
 とみんな口々に言い(正確には言葉に出すよりも先に目で訴えていた)、驚いた。ふふん。新しい自分を拓いた快感と、友人からの驚嘆及び尊敬の視線を集めた優越感。たまたまだが、中学を卒業する頃からの彼氏がいたことも、友人からの尊敬度合いを押し上げていた。ふふふふん。

 しかしそれは早速、そしてあまりにもあっけなく他の人のものとなる。
 誰が最初だったかは忘れたが、みんな次々と髪を染め始めたのだった。右を見れば茶髪、左を見ても茶髪(あるいは黄みがかった茶髪)、気がつけば「栗色」のやつもいるじゃないか。友人たちは恍惚とした表情で
「ちょっと恥ずかしいけど、やっぱ髪染めてみてよかった」
 と言っていて、わたしにはそんな友人たちが、その髪色・髪型が似合っているかどうかはさておいても、とても可愛らしくどこか自信を得た瞳をしているように見えた。

 さて、わたしは優等生であったので髪と言えど自分の身体の一部を意図的かつ科学的に変えるという行為をするには、親の了承を得ねばならないと考えた。何よりおこづかいくれているの、親だし。恐る恐る母親に問うたところ、二つ返事で
「いいよ。」
 と言われた。というか、「いいよ」と言われた記憶もほぼないくらい、なんの抵抗もなく受け入れられたのである。
 そうして簡単にピンクがかった茶色に髪を染めた。ピンクっぽくしたのは、周りと同じ感じになりたくなかったからである。美容室の大きな鏡の中に現れた新しい髪型を手に入れたわたしを見ると、友人たちのようにどこか自信を得た瞳をしていて、それがとても嬉しかった。


 そのピンクがかった茶色が毛先のあたりだけになってしまったころ、わたしは学校の近くで男の人に声をかけられた。
 見知らぬ異性に声をかけられるなんて初めての体験だったが、振り返って、ナンパではないと瞬時にわかった。「異性」として見られているかどうかくらいは、その頃には判断できた。「何が目的かわからんなー、やばいやつだったらどうしよう」と思いながらその人の自己紹介を上の空で聞いていると、
「カットモデルやってくれませんか?」
 という言葉だけがスルスルと耳の中まで入ってきて、神経をたどり、頭の中でネオンサインとなってピカーンと点灯した。
「もでる?」
 きけば、高校生をモデルにしてその技術を競う若手美容師のコンテストがあり、わたしにそのモデルをお願いしたいのだという。
 モデル。それまでの人生・生活・趣味・その他諸々とはかけ離れた言葉だったが、途端にドキドキしているわたし、何かが始まりそうなそれに期待しているわたしがいた。
 コヤマというその美容師から名刺を受け取り、返事を保留したい旨・受ける受けないにせよ連絡はする旨を伝えてその日は別れた。

 さて、わたしは優等生であったのでモデルという人様の前に出る行為を引き受けるには、親の了承を得ねばならないと考えた。今度は二つ返事というわけではなかった。
「怪しい団体じゃないの?それ。」
 ああ、わたしは確かにこの人に育てられたのだと刹那に思った。
 母と一緒にコヤマさんに渡された名刺に書かれた美容室、および説明されたコンテストについて検索した。どうやらその美容室は複数店舗展開しているおしゃれな美容室…いわゆるサロンと呼ばれる店の一つであって、コンテストもすでに何度か開催されており高校生をモデルにしたカットバトルはイベントの目玉になっていることがわかった。
 ここまで確認できたところで許可が降りた。自分の娘がモデルとして声をかけられたこと自体は母親として嬉しかったようで、コンテストを見に来ることも同時に決定した。

 モデルを引き受ける連絡をしてすぐにコヤマさんの美容室に呼ばれた。
 コンテストはおおよそひと月後で、当日は制限時間が設けられており仕上げのカットをするのみとし、事前に髪を染めたり大体のフォルムにはカットをしておくのだという。二週間後にブリーチと下地のカラーをし、三週間後にもう一度カラーとおおよそのカット、その週の土曜日がコンテストというスケジュールだった。
 ブリーチとは何か聞こうとしたとき
「カットのイメージはね、ロンドンの男の子なんだ」
 とコヤマさんはにこっと笑ってわたしを見た。
 実に嬉しそうに見つめられたので思わずわたしもでれっと笑い返してしまったが、流石に聞き逃しはしなかった。
「男の子ですか?」
 コヤマさんはまたにこっとして頷いた。
 そして、わたしが怪訝な表情に変わったのだろう、コヤマさんはくるりと焦りの表情に変わった。彼はちょっと早口になってイメージについて説明し始めた。

 コヤマさん曰く。
 その「ロンドンの男の子」はまだ成熟しきっていない年齢であることも手伝って、格好良さと可愛さと美しさの相まった中性的な魅力を備えている。いつも周りの目をひいているのに、本人はそれに拘らず石畳の街を歩く。
 彼の髪は金髪と一言で済ませるのは難しく、透明感のなかに深い青や緑、グレーを垣間見せる妖艶な色をしており、短いながらも毛先は動きを持って弾んで、ぼうっと見つめ続けたくなってしまう。そうだった。
 さて、わたしは優等生であったがそれ以前に、少女漫画を教科書にしてしまう程度のロマンチストでもあったので、そのイメージ設定をいたく気に入ってしまった。
 中性的な魅力?いいではないか、いいではないか。簡単な言葉では形容しがたいそんな謎めいたイメージをわたしが背負えると見込んでのオファーだと思うとなお嬉しい。変えてもらうのは髪だけなのに、なんだかわたしもそんな人間になれるような気がして、むふふ、と笑ってしまった。


 あっという間にブリーチの日がきた。作業時間は大分かかったけど、わたしは授業後でぐったり疲れていたので実際の所要時間よりも短く感じた。
 二回目のシャンプーが終わり、鏡の前で頭のタオルがほどかれたときびっくりした。びっくりした。(とてもびっくりしたのであえて言葉を重ねた次第)
 マッキンキンだった。「金髪という言葉で済ませるのは難しい」ってどこの誰が言ったのだ、とつっかかりそうになったが、もちろんブリーチは脱色のことでこの後に色を入れるカラーリング行程があることは教えられていたのでぐっと飲み込んだ。事前に知らされていても、はちゃめちゃに驚いたのだった。
 それから下地のカラーといってちょっと暗めの色を入れられたようで、マッキンキンはマッキン、くらいに落ち着いた。

 翌日友人たちはわたしを見るなり、タオルを取ったときのわたし以上に驚いてくれた。
「ちょ、カーディガンより黄色いやん!!」
 自由な生徒たちをいつも(生)温かく見守っている先生方もさすがにわたしの髪が金色になったことに驚いたようで、
「どうしたの…。」
 と心配げにきいてきた。
 友人たちは「自分には勇気がないとかある」とか、先生たちは「あなたはそんな奇抜な色にするとは思わなかった」とかどうとか、きゃあきゃあペラペラと言っているのを聞いているうちに「これはまずかったか」と思ったが、なぜか彼らはみんな最後に
「でも、とっても似合う。」
 と言った。
「似合う?」
 思わぬ反応にわたしはキョトンとしてしまった。
 確かに「ロンドンの男の子」のモデルとして声を掛けられ嬉しいと思ったがそれは、コヤマさん脳内「ロンドンの男の子」の前をたまたまわたしが通りがかり、たまたまコヤマさんが彼とわたしを空目して、たまたまわたしが許しを得たからモデルを引き受けた訳で、第三者から見てもそのイメージとわたしは似合うなんて思ってもみなかった。
 「へえ、そうなんだ。わたしこの髪色、似合ってるんだ。」


 二度目のカラーリングと大方のカットを済ませた翌日、わたしはコヤマさんと一緒にステージにあがった。わたしたち以外に参加者は二十組くらいいた。
 ステージに上ってみると、数分前に見上げていたステージと自分がいま立っているステージは本当に同じものなのか疑った。わたしたちを照らすライトは想像の何倍も眩しくて熱かった。
「あついね。」
 コヤマさんはわたしに目を合わせることなく、もう間もなく開始のアナウンスがされるカットの準備をしながら言った。コヤマさんが言っているのはライトのことではなかった。
「あついですね。」

 カット時間の十五分はあっという間だった。
 わたしは主に前髪のカットをしてもらった。少しずつ視界が開けてきて、同時に少しずつ観客が増えていった。たくさんの人がこっちを見ていたとわかったが、不思議なことに母親とも、友人とも、誰とも目は合わなかった。
 何度も視界を左右上下に移動するコヤマさんの眼差しはとても真っ直ぐで、途端に「ああ、これはコヤマさんの人生なんだな」なんて思った。
 十五分間が終わる頃、実はちょっぴり淋しかった。

 カットが終わると、そのままモデルは指定されたルートを歩くことになっていた。スタート地点の舞台袖には他の企画で使われた姿見が置かれていた。わたしは歩き出す直前に一瞬、だがしっかりと、鏡をみた。
 真鍮のような色の、クリンとしたショートカットをしたわたしがいた。
 いつかの友人より、わたしより、自信に満ちた瞳で、口をキュッと結び、こちらを見ていた。
 コヤマさんが説明してくれた「ロンドンの男の子」の複雑な魅力を体現できていたかは判断つかなかったけれど、そこにいたわたしはいつになく凛としていて、大きな自由で満ちていた。
 これからどんなわたしにでもなれる心地と、どんな外見になってもわたしであれる心地がした。


 コンテストの結果はコヤマさんの満足いくものではなかったようで、その日の夜打ち上げだと言って連れて行ってくれたタイ料理屋さんで少ししょぼんとしていた。
 力不足だったなあと申し訳ない気持ちと、コヤマさんはしょぼんとしなくていいのにという気持ちがマーブル模様の重たい雲をつくってわたしの肺の上の方を覆っていた。
「せっかくモデル引き受けてもらったのに、ごめんねえ。」
 わたしを家まで送るためのジンジャエールを飲みながらコヤマさんは言った。
 鏡を一瞬見たあのときの感覚を生み出したコヤマさんは十分にすごい美容師さんだということを伝えたかった。でもわたしはそれをどう言葉にしていいのかわからなかったし、そもそも十六歳の小娘がそんなことを説いてもコヤマさんの立場がなくなるだけだしなと思えて、
「わたしはとても楽しかったです、ありがとうございます。」
 ということと、ここのヤムウンセンは美味しいということを伝えることが関の山だった。
 またコヤマさんに会えるのなら、あのヤムウンセンを食べに行こうと誘おう。


この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。