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新年、そんなに悪いもんじゃないよ。

新年あけましておめでとうございます。
新年早々気持ち悪いくらい、気持ちのいい青空ですね。わたしはいま実家にいますが、このあたりは雲ひとつない晴天です。

わたしは一年の中で一番年末が好きです。
誕生日よりも、クリスマスよりも。
大掃除で家中がぴかぴかになったりとか、お正月に向けてあれよあれよとスーパーが空っぽになっていったりとか、普段の数倍の車がパチ屋に停まっていたりとか、手が痛くなりながら年賀状を書いたりとか、ベロベロになって言い合う「良いお年を」とか。
そんな慌ただしさが、わたしは好き。

昨日のNHK紅白はすごかったね。
「平成終わりますよー!!新しい時代が来ますよー!!オリンピックはすぐそこですよー!!全員しゅーごー!!!」
って全力で訴えてきた。やられた。

で、今日は元日。
お正月は、翻ってそんな好きじゃありません。

親戚一同の集まりとか晒し者にされるし、毎年何か大きなイベントがあるわけでもないのに抱負を聞かれるし、父が機嫌を悪くしないか気を遣ってばかりだし、冬休み終了のカウントダウンが始まってしまったし。お年玉ももうもらえないし。
白味噌のお雑煮食べて、黒豆食べて、スポーツ王見てりゃいいのさ。

っていうのがベースにはあるんですけど、今年はちょっと風が吹いている気がするんです。
その風はひと月前くらいから吹き始めて、ヨーロッパひとり旅から帰ってきて確信に変わりました。

わたしは、感情が遅れてやってくるんです。
例えば、とある異性に感謝の意味でハグされて、そのときは「ありがたいな」って思っても、帰りの電車でふっと「ちょっといやだったな」って気持ちが沸き起こる。その感情の処理に困りつつも仕方ないので放っておいたら、相手はまた同じことを別の日にしてくる。

そして時に感情がわからなくなる。
いつも「何でもいいよ」「好きにしていいよ」と言っていたら、自分の感情が遅れるどころか、生まれることさえ諦めてしまった。ひどいときはショートケーキとチョコケーキ、どちらが食べたいのかさえわからない。

まわりの人が褒めてくれることが、わたしの心を満たしてくれていたからそうなりました。
でもいつしかズレが生じていて、「わたし」の操縦者はわたしだけど、その支配者はわたしじゃなくてまわりの人々になっていた。

そんなわたしだってことがわかった2018年。
よく頑張っているねって、抱きしめてあげることができた2018年。

わたしの人生は、わたしのものだから。

どこで生きるか、
だれと生きるか、
なにをして生きるか、
どういう経済で生きるか、
わたしが選んでいけばいい。

ゆったり、あせらず。
わたしのサイズとわたしのテンポで、わたしなりに。


本年も、こないなイコカをどうぞよろしくお願いいたします。
これから待ちに待った白味噌のお雑煮と黒豆を頂いてまいります。やったね。

この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。