181129_からっぽちゃんの手

からっぽちゃん

 東京に来て2年と8ヶ月。
 営業(ウー)マンとして主に都内、ときどき九州やら中部やらをぐるぐるして2年と5ヶ月、うち後ろ3ヶ月は休職(継続中)。
 おかげさまで、何度か使った駅のあるき方とか、満員電車に乗るコツとかなんとなーく身体が覚えたようです。

 例えば東京駅は。
 JR改札内には入らず丸の内・八重洲間を行き来したい場合、南北に一つずつある自由通路を使います。
 これを知ってればとりあえず南北どちらか目指して歩けばいいけれど、知らない場合ワタワタしちゃいます。一歩間違えると、目線が吊り看板を追ってしまって改札外に居るのに改札内看板を捉えてしまう。
 わたしは、心得た道なき道をスンスン・かつ無心で東京駅構内を移動していると、何も知らない観光客の人たちの困惑顔が突然目に飛び込んできたりします。ちょっと見つめていると、「ああ、新幹線に乗りたいのかなぁ。」とわかったりします。

 例えば朝の満員電車では。
 まず女性が多く並んでいる列の後ろに位置取ります。そういう列が見当たらない場合でも必ず女性の後ろに付く。もう一つのポイントは自分が一番うしろにならないこと。
 電車が入線、ドアが開きます。すでにいっぱいで、1~2人入れるかな?くらいに見える所へグイグイと、しかしピッタリ前の人にくっついて突進します。そして一番最後に乗る人というのは必ず押す人です。そうじゃないと乗れないですから。自分は前の人を押す勇気はないので、後ろのひとに押し込んでもらいます。
 なお、両手は胸の前にお祈りポーズにしておくことによって、不運な被害者にならない・意図なき加害者にさせないようにします。もちろんリュックはおなか側に背負う(この場合腹負い?)。発車してから、たくさん人が下車する駅につくまではなるべく息を殺して周りの人に迷惑をかけないようにして、また自分もいらぬ不快感を抱かないようにするため目を伏せて。

 妹や友だちが東京に来た時、こんな具合で駅や電車を使いまちを歩いていると
「すごいね」
 と、言われます。言われたわたしは満更でもなくて、ちょっと得意げに
「そうでもないよ、慣れだよ。」
 なんて返してみたりする。
 そう。このまちや、このまちを縦横無尽に走る交通インフラに順応している自分は、このまちを捌いているようで気持ちがいい。

 でも、からっぽだ。
 得意げなわたしは、空虚なのです。

 東京駅で、ひとの海の中 無心で歩くわたし。
 満員電車で、目を伏せ身体を縮ませ 到着を待つわたし。
 からっぽなのです。

 ありゃまあ。

 からっぽなわたしを見つめて、
「どうしようねえ、からっぽちゃん。」
 と声をかけました。

 最初はもうずーっと黙っていて。体育座りをして黙っている。
 仕方ないので、1mくらい距離を空け、同じように体育座りをしてみる。同じように膝小僧が合わさるところを見つめてみたり、ふと空を仰いでみたり。
 少し、距離を縮めてみる。すると、別に嫌がるわけでもなくその様子を確認してまた視線を膝に戻されました。

 そんなことの繰り返しをして、話ができるようになってきました。
 大分長いこと時間かかりましたし、もうちょっとかかりそうですけど、少しずつ相談をしている最中です。

「べつにトーキョーがわるいわけじゃ、ない。と、思う。」
「でも、静かだったらいいなあ、と、少し思う。」

 なかなか教えてくれないし、声も小さいしで、聴き取るのが大変。
 やっぱり待つしかなさそうです。
 また、もう少しわかったら、報告させてください。

この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。