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所詮制限付きの「おもしろさ」にこだわんなよ

「自分らしく生きる」「わがままになる」って西洋の個人主義が日本にも流入して最近耳にタコができるくらい良く聞くけど、実際(空気を読んで)周りが受け入れる程度に程よく自己主張するってことだよね。

そんなの当たり前、なのかもしれないけど、文字通り捉えてしまいがちな自分は、そんなの制限付きの自由、みたいなことじゃんって思う。

昔から人が見せる二面性みたいなものが苦手だ。

例えば、昨日自動車学校の体験に行ったときに、先生の前では「...はい」っておとなしくて言いなりだった女の子が、休憩時間に二人きりになったときに初対面の私に向かって「え、てかあの先生やばくない?」とめちゃくちゃ愚痴を言ってきて、その豹変具合に鳥肌が立った。あるいは昔、友達のお母さんの歯医者に行って一回見てもらった時に、普段とは全く違う、子供をあやすようなすごい大声で「は~~い、こわくないからね~~~、いま唾吸うからね~~~~~」と言われて、歯医者に行くこと自体よりその態度がこわすぎてトラウマになった。

ある部分では自分をうまーく出して、他のところでは出さない、みたいに、私は器用にできない。

好き勝手してたらしてたで「気が使えない」って思われるし、かと言って気を使って相手に合わせてたら特に自分から話すこともないから「つまんない」って思われるし、もうほんとなんなん。。。

「あの人変わってる、まじおもしろい」っていう人も結局都合よく、ちょうどよく、変で、でも大事なところでは社会性あるだけじゃん。このまえ代々木公園の炊き出しに並んでる人たちがいるのを自転車で通りすがりに見て思ったけど、本当に変な人ってホームレスとか精神病院とか、社会の見えないところに行ってしまう。

まじで、あんたにとっての「変でおもしろい」、なんてしょせんよくある「変」なんだよ。それで、見えない線を一歩踏み違えた人は容赦無く遠ざけるみたいな空気、ほんと反吐が出る。それが一番つまんない。



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