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家庭科・お金・学校の先生

学校の先生が足りないそうで、美術やら技術やらそういう先生がいないまま、自習扱いにしたりしているらしい。

という朝のニュース。

先生って仕事楽しいと思うんだけど、
いやな面がクローズアップされすぎたり
聖人的なものを求められすぎたりするから。

わたしは家庭科専種を持っていて
一応中学高校の家庭科ができるけど
途中で資格改正があって免許失効している可能性が高い。

そもそもこんななめくさった思考で
家庭科の畑を渡り歩く自信はない。
あっというまに淘汰されるだろう。
女子畑というのは想像以上に厳しいのだ。

こんなに先生が足りないというのに、
「情報」という科目が増えた。
神奈川県の中学生にはパソコンが貸与され、
高校生は購入。


どの教科の免許を持った先生がやるんだろう。
一つ増やすなら一つ減らせ。
と思うのだけど。
減らすなら、何?
増やすのは簡単だけど、減らすのは大変。
中身を整理してから増やすのが、
この世の鉄則だよね。

ところで、家庭科には「お金」のことが指導要領に入ってくるとか。

金融庁からはこんな資料が出ていた。

https://www.fsa.go.jp/teach/kou3.pdf

さらっといろいろ書かれている。大切なことでは、ある。でも、自分が高校の時のことを考えると、あまり実感は湧かないだろう。テストのために覚えて、忘れて、そして社会に出たときは状況が変わっているに違いない。

そしてこの記事は題名に「投資」という言葉がでてしまっていて・・・なんとも気持ちとしては複雑。

日本人の金融リテラシーの低さが問題視されている。確かに稼ぎ方は教えてくれない教育機関。大学でさえ。でもこれは稼ぎ方ではなくて、貨幣経済にしがみつく企業と国の施策なのでは?といううがった見方をしたくなる。ならもっと生々しい商売をやったほうがよほどわかりやすい。

模擬ではなく、例えば本当に校庭の隅っこで畑を耕し、野菜を植え、それを収穫、そして売れる形にして売る。土地代・労働力を含めたすべての経費を計上した価格設定。売れなかった時の野菜をさらに利益をあげるために加工して売る知恵。そのお金と商品の流れを目の前で見ていた全員が、それぞれ簿記をつける。学校のような機関で言われやすいのが「利益を出してはいけない」「利益が出たら寄付にまわす」などの言葉。

税金でうごいている機関では仕方が無いのか。

いやいや。利益は出す。出さないでどうする。学校で出来た野菜を買いに来る人は「生徒が作った物、学校で出した物、安いに決まってるから買いに来る」ということでやってくる人が多数。思わぬ値段にひるむことになるだろう。その時のお客さんの顔、言葉を刻み込む。
そこから本当の価格設定や商売の工夫が始まる。もしかしたらブランドが生まれるかもしれない。

それは学校の先生しかやったことのない人にはなかなか難しい。実際に商売をしている人を講師として呼ばないと。そうそう。その指導費も価格に盛り込まなくてはいけない。

ほうれんそう1株、いくらになるんだか・・・

やってやれないことはないと思う。

全く売れなかった・・・から始まる商売。今は、バザーで安くだしたとて物が売れない時代なのだ。

知恵しぼりは一生するものなんだよ。


情報・お金・商売。切っても切れないこの流れ。それを学校という機関の中で、いくつかの教科に区切って考えることなんだろうか。すでに教科の壁は高くそびえ立ち、学問の流れを断ち切っている。生徒の思考は、縦方向には流れるかもしれないが、横方向には流れにくい。

少しずつ、教科の壁を越えるような教育をしてほしい。

それを実施しているのが、神奈川県の高校入試「特色検査」なのかとも思う。名前がいやらしいけれど。


娘が受験したときの問題を見てみたら、問題の意味すらわからなかった・・・ということを特記しておいて、この記事はおしまいです。


それではまた!





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