好きな絵本の話①『アンナの赤いオーバー』

 初めて読んだのはいつだったか。小学校一年生か二年生だったような気がする。
 わたしが通っていた小学校では図書館教育に力を入れており、学年ごとに18冊(だった気がする)の選書を定めていた。一年間にそれらを読み、感想文を書き、担任に提出すると新たな選書冊子がもらえる。のみならずもう少し特典があった気がするが覚えていない。
 なにしろ当時のわたしは本好きの皮を被った本が苦手な人間であった。他人に褒められるままに人より本は読んでいたが、その本質は全く理解せぬまま高校まで卒業してしまった。

 アンナの赤いオーバーも学校の選書の一冊で読んだ。堅い絵本の表紙に白いリボンで髪を女の子が素敵な真っ赤なオーバーを着て立っている。背景の建物はどんよりとしているのに彼女の顔は晴々としていて、何より真っ赤なオーバーがよく似合う。
 図書館で久しぶりにこの本に巡り合って、わたしはこの本は鈍感に本を読んでいたわたしの魂にも訴えかける素晴らしい本だった思い出した。

でも、戦争が終わっても、お店は空っぽだ。オーバーもなければ、食べ物だってない。

アンナの赤いオーバー本文より

 戦争が終わったらすぐに物事が良くなるということではない。我慢して我慢してようやく辛く冷たい時代を乗り越えても世界も人も粉々だ。欲しいものは手に入らなくなってしまっている。
 アンナはお母さんに「戦争が終わったら」新しいオーバーを買ってもらう約束をしていたが、その約束は簡単には果たされそうもなかった。

 そこで簡単に挫けてしまわないのが人間だ。残された物を交換してもらってお母さんは羊毛を手に入れ、糸に紡いでもらい、真っ赤に染め上げ、織り上げてもらい、オーバーにしてもらう。
 オーバーが無ければオーバーを作ればいいじゃない。口にするのは簡単でも為すには大いなる労力を伴う。実際にアンナのお母さんも多くのものを手放している。もちろんアンナのオーバーにそれだけ価値を見出しているからこそできる行動だ。
 職人たちも対価の分、いやそれ以上の働きをしてくれる。そうして大切にしてきたものが大切にできるものへと変わっていく。お金ではなく。物々交換で。

 何が無くなっても、命がいればやり直せる。
 逆にいえば命がいなくなってしまったら、なんの取り返しもつかない。

 今日も失われているいくつもの命は本当に今日失われるはずだったものなのか。明日も生きられたものなのではないか。

 世界が一刻も早く平和の道を辿って、赤いオーバーが望む人全てに届きますように。

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