Vtuberのオタクに必要なこと

 これを書いているのは一介のVのオタクです。さて、VtuberオタクからVtuberへの働きかけ・ご意見というものはしばしば問題化される。多くはマシュマロであるとかクソリプ等の形を取っており、内容としてはVの活動方針に指示をするというものが多い。(配信系のVに対して多く発生するのだけど)「配信内容はこうするべきだ(このゲームばかりやるな、とか)」「配信時間が長すぎる」「配信時間帯を変えて欲しい」「誰々とのコラボはしないで欲しい」みたいなオタク自意識の暴走によりVが気を病む例は昨今腐るほど見ます。そして問題は、そういう厄介オタク達は割とそれを善意でやっているという点です。この点を問題として考えていきたい。
 また、ただの醜聞好きの野次馬がやる、場当たり的なアンチ活動に関しては本稿では無視します。あれらは当人達がファンであるという自意識がそもそも無いので今回取り扱いません。

まず結論:人付き合いをちゃんとやれ、コミュニケーションをちゃんと取れ

 で、結論から言えばVのオタクはVtuber当人に何かを伝えたいならば、人付き合いをちゃんとやれ。人間が人間にやる形での関わり合いをちゃんとやれ、人間同士の距離感の取り方と詰め方にちゃんと頭を悩ませろ。コミュニケーションを正常に取れ、日常生活の中でコミュニケーションの練習をしろ。というのがここ2年間くらいの感想です。と言ってもそれを大きく踏み外しているのはVのオタク全体の1万分の1くらいな気がしますが……。ともかく、Vのオタクという一人の人間が、Vtuberという一個の人格に対して、きちんと人付き合いをやればいいだけなんじゃないかという話です。

前提:Vのオタクとは何なのか

 ここで重要なのが我々Vのオタクの立ち位置の整理です。Vのオタクとは何なのかと言えば、基本的には無料で提供されるエンターテインメントを享受するだけの存在であると、私は自戒を込めて規定しています。「基本タダで観てるだけで何の責任も持たない受容者でしかない我々が、何を偉そうにVに指図出来るんだ?」という気持ちが常にあります。私個人で言えば、確かにスパチャも投げるしメンバーシップにも入ってるしボイスもグッズも買うしライブ配信の有料チケットも買いますしVの書籍やVの記事が掲載された雑誌は購入するしVの同人誌(Vの親御さんのもの、二次創作のもの)もたくさん買ってるしVの音楽は出来るだけCD現物で買っていたりしますが、それらは何も強制された事ではなく、またVのファンを名乗るのに不可欠な行為では全くありません。私はそう思っています。
 確かに、Vtuberが革新的であるのは「二次元」と呼ばれてきた架空のキャラクターのような見た目の存在達が「生きて」我々に語り掛け、コミュケーションが取れる点です。その点でVの視聴者(リスナーと呼称される場合が多い)は、番組をただ視聴する事しか概ね出来ないテレビの視聴者や、チャットを拾わないタイプの動画/ライブストリーミングの視聴者とは別のあり方をする消費者です。そもそも、バーチャル側が提示する世界観を受け入れ共有し、共犯者的にその世界観に参画しなければ成立しないVtuberという文化において、リスナーという存在が大きな役割を担っている事は間違いありません。しかし、そうであっても。いやむしろ、そうであるからこそ、「ただの消費者」ではないはずの我々Vのオタクは、V達とちゃんと、丁寧に、コミュニケーションを取るべきなのです。

コミュニケーションをちゃんとやろう

 コミュニケーションはすべての場合において個別のケースとして生成されます。つまり、状況や相手によって適切な伝え方が違うという事です。当たり前ですね。そしてそれらはVtuberに対する場合でも同様です
 コミュニケーションの第一段階においては普通、適切な距離感を少しずつ測っていく事から始めます。いわゆる会話のジャブをやっていく訳です。そうして互いの性質や価値観を少しずつ明らかにし合い、適切な妥協点を探ります。稀に、いきなり距離を踏み込むのが上手い人も居ますが、そういう人は踏み込み過ぎた時の察知が上手い。踏み込んだまま踏み抜いて気付かない人はコミュニケーションが下手な人です。下手なのですが、多分当人は自分がコミュ強だと思い込んでいます。相手の不快感を察する能力に欠けており、自分だけが得た放言の快感を相手も同様に得ていると勘違いしているので。

「Vが考えている事」と「一消費者の考えた事」という不均衡

 そして、問題のVの活動方針に対する口出しというのは、オタク対Vのコミュニケーションにおいて恐らく一発アウトの踏み抜きです。少なくとも、そうではないか?とその一歩を踏み止まり、様子を窺うところがスタート地点です。踏み抜いたオタク自身は「率直で忌憚のない意見を伝えた、それは相手の為になるはずだ」と思っているかもしれませんが、思っているのは多分オタクだけです。個人的な知り合いでもない(この距離感を理解する事が重要である)相手から急に自分の生き方に指図されて、そうだな、そうするべきだと納得する人間は普通居ません。普通に不快ですし従いません。そもそも一視聴者、一消費者程度の存在の思い付きのご意見が、人生賭けてVをやっている者の決断にどれだけ釣り合うのか。本当にVを愛して普段の活動を追っているならばそう思えないものかと、いつも不思議に感じます。V達はいつも色んな事を考え悩んでいるじゃないか。あと企業Vならマネージャーさんが付いているので深刻な相談はそっちにしてるんじゃないでしょうか。
 ご意見が可能な例外としては、V自身がツイッターのアンケート機能などで「今日の配信何やって欲しい?」「見やすい時間帯はどれ?」とかやってくれる時くらいでしょうか。もしくは配信で「作戦会議」のような回を設けるVも少なくありません。その時は、あくまで一介の消費者であるという自戒を胸に、一個人としての相手(V)が不快にならない言葉を選び、相手が求めている内容や言葉の強さを超えないよう配慮し、それでも何かを伝えられないかと頭を悩ませて言葉を書き付けるのです。めちゃくちゃ簡単に言えば、目の前に居るVが最も幸せになる最良の言葉を考えればいい。また、書いてから一呼吸置いて、他の視聴者がそれを見てどう思うかという事を想定するのもいい。それで「何だこいつ……」と思われそうならVも多分同じ気持ちです。Vは聖人君子ではない。人格です。つまりは単純に自分が好きな相手が喜ぶ言葉を考えればいいんじゃないでしょうか。
 締めです。ちゃんと、普通に、正常に、人間からの、人間に対する、一般的な、コミュニケーションを取りましょう。それ以外にやるべき事はありません。それが出来なければ日常生活の中で誰かとのコミュニケーションを取る練習をしましょう。Vへの愛があるならばそこから始められるはずです。

追記:むしろ本題「Vtuberオタク、惚れた弱み論」

 あと「好きになったのに、昔とは変わってしまった」が為に自分が惚れた時の状態や活動内容に戻ってくれとV自身に伝えるケースを割と見ますが、それは惚れた弱みです。諦めましょう。相手の幸せを考えましょう。今の相手を愛するか、自分が身を引きましょう。この辺の「Vtuberオタク、惚れた弱み論」は別稿でまとめたい気持ちがあります。以上、すべての原則として、オタクはVの幸せを第一に考えて行動すべきであると常々思っているオタクでした。こんな長文書く予定無かった。
 

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