見出し画像

書籍紹介『ノルン・ド・ノアイユ』第1巻(文・エビハラさん)

 あなたにとって「王道のストーリー」とはどんなものだろうか?

 現代日本においては定番、もしくは正攻法の意味を指して「王道」という言葉は使われる。
 ネガティブにいうと、ありがちでベタ。もしくは、よく見かけるストーリー展開と取られたりもする。
 僕は王道が好きだ。
 もう少し詳細に述べると、王道への愛が溢れている人の描く物語が好きだ。
 なぜなら、大きな愛が注がれたその作品は、決してありきたりにはならないからだ。
 「ノルン・ド・ノアイユ」を初めて読んだ時、僕は直感的に「王道だ!」という感想を抱いた。
 もちろん、ネガティブな方ではない。
 良い意味の王道だ。
 けれど、この作品をいわゆる「ファンタジー小説」のド定番と評価するのは少しだけ難しかったりする。

物語の舞台と世界観

 主人公ノルンが生きる物語の舞台となるのは、近代の西洋をベースにした架空の世界だ。
 現実世界と大きく異なる点といえば、火薬とそれを用いる火器が存在しない事だろうか。
 その為、戦場では剣や弓を用いた戦術が主として発達し、国家に於いては騎士の存在と剣術が重んじられている。
 騎士。心躍る響きだ。ワクワクする。
 ファンタジーといえば、剣と魔法の世界。そんなイメージを持っている人は少なくないだろう。
 けれど「ノルン」の世界に、いわゆる魔法は存在しない。大気中に特殊なエネルギー源は満ちていないし、物理法則に背くような動きをするようなキャラクターも、基本的には存在しない。
 web小説の媒体で多く見かける、剣と魔法の世界を見慣れた方が「ノルン」に触れれば、少し違った読み応えを感じる事だろう。
 例えるなら、日曜朝の時間帯の番組に「おジャ魔女どれみ」が来るのかと思っていたら「明日のナージャ」が始まったような感じだ。
 少々古い例えをしてしまった。
 僕は東映アニメーションが大好きな三十路のお兄さんなので、少し表現が今風でないことはご容赦願いたい。
 補足として説明しておくと、「明日のナージャ」は2003年にテレビ朝日系列で放映されたアニメーションだ。20世紀初頭のヨーロッパとエジプトを舞台に、主人公ナージャの母親探しの旅を軸に物語を描いた作品である。1970年代の少女向け歴史大河アニメ(キャンディ・キャンディのような)を模した作風が特徴で、僕はこの作品が大好きだ。
 「ノルン」の物語のはじまりを読んだ時、僕は「明日のナージャ」の第一話を見た時の感覚を少し思い出した。
 どこか懐かしい。
 揺れる馬車。窓越しに見える夜明けの光。
 世界名作劇場で見るような、壮大な旅立ちの物語の序章。
 「ノルン」の第一巻には、そのワクワクするような予感がたっぷりと詰まっている。
 僕と同世代、もしくは先輩方であれば、ノスタルジックな感傷たっぷりに物語を味わうことができると思う。

ひとりの少女の視点から描かれるもの

 主人公ノルンは、作中冒頭から大きな環境の変化に晒されている。自らが望んだわけではない大人達の事情によって、それを余儀なくされているのだ。
 新しい土地、新しく出会う人々。目まぐるしい変化と、自分に向けられる眼差しに戸惑いながらも、ノルンは瑞々しい感性と豊かな心でそれを受け入れて成長していく。
 そう、「ノルン・ド・ノアイユ」は成長譚なのだ。
 「明日のナージャ」は、少女向け歴史大河アニメをベースに作られていた。「ノルン」にもそれを感じる。
 目の前に広がる果てしない世界を、ひとりの少女の視点を通して読者は体験することができる。
 グローイングアップ・ストーリーの王道だ。
 僕がはじめて「ノルン」を読んだ時に感じた「王道だ!」という気持ちの源泉はそこにあるのだと思う。

「ノルン」の世界に魔法は存在しない、と書きはしたが、だからといって「不思議な出来事」が全く起きないわけではない。それは確かに存在していて、けれどみんなは気づいていない。作中世界においても「不思議」は「不思議」だ。それが良い。
 当たり前な日常の端々に、現実の世界からほんの少しだけズレた存在がひょっこり顔を出したりする。僕は、その感じがたまらなく好きだったりする。
 絶妙なリアリティラインで描かれる「不思議」は心地いい。
 例えば魔法の存在が前提として認知されている世界においては、それは既にひとつの手段となっている。つまるところ「不思議」ではなくなってしまう。
 それが悪いというわけではないが、僕は少しだけ物足りない。不思議なものや怖いもの、またはとても素敵なものを見つめるキャラクターの視点や感情が、読者のものと重なった時にしか伝わらない感動があるからだ。
 この物語は、それをとても大切にしていると思う。
 主人公ノルンの眼を通して、読者は多くの人と出会い、そして様々な物を見る。
 また、その描き方も美しいのだ。
 一方では幻想的に、また一方では緻密に組み上げられた設定に基づいて整然と語られるノルンの世界には、人の認知できる範囲の世界と、そうではない範囲の世界があることが、文体ひとつでも表現されている。

「ノルン」の物語を紹介する上で欠かせない、多彩なキャラクター達

 中でも僕がここで述べておきたいのが、主人公ノルンと親しくなり友人関係を築く二人の少女のことだ。
 名前をクレアとジェイダという。ノルンとは生まれも身分も異なる二人だが、とにかくこの子達が素敵なのだ。
 ノルンという不器用な少女が、はじめて出会ったこの少女達と、いかようにして知り合い、そして親交を深めていくのか。
 それはこの物語の読むべきポイントの一つだと思う。
 マンガ週刊誌の少年ジャンプでは、その作品の三大原則として「友情・努力・勝利」が掲げられている。
 もちろん「ノルン」は少年漫画ではないのだが、この三大原則についてはきっちりと押さえた極上のエンターテイメント作品であることは、ここで言及しておきたい。
 (ノルンにとっては)異文化の中に放り込まれて、苦悩しながらも努力し、仲間と協力して、確かな何かを得る。
 そういったシークエンスが丁寧に描かれていく。
 ここで紹介しているのは「ノルン・ド・ノアイユ」の第一巻の事なので、もちろんその後の詳しいことは述べられないのだが、これがきちんと後々に関係してきたりもするので、しっかりと読んでいただけると幸いだ。

少女小説でもある「ノルン」を語るにおいて、どうしても避けられない一つの要素

 …………僕はこれについて話すのがめちゃくちゃ苦手だ。
 ほんと、こればっかりは適性の問題でもあるのでしょうがない。うまく書けてなかったらスンマセン、本当に。
 それは「恋」のおなしだ。
 いや、「恋未満」と言う方が正しいかもしれない。
 ノルンという少女は美しい。
 それでいて、己の美しさを自覚していないタイプである。
 前述もしたように、「ノルン」の世界は近代の西洋がベースになっている。
 男女の関係や、婚姻に関する価値観もそれに近い。
 貴族階級であるところのノルンや、友人達にもその価値観はある程度共有されている。
 環境の変化にまだ対応しきれていないノルンは、その辺りにも無自覚だ。婚姻という具体的な目標を据えている、家名を背負った周囲の淑女達から見ると、少し「お子様」であることは否めない。
 けれど、だからといって放っておかれるような器量ではない。それ故に大変なのだ。
 この辺りは、非常にヤキモキさせられる。
 三十路の僕は、読んでいて「もきゃーーっ!」と叫びたくなってしまうような甘酸っぱいやり取りが展開されたりもする。
 相手の事を知りたい気持ち。
 大切な何かを共有したいという気持ち。
 むず痒くなるような「恋未満」なのだ。
 おじさんがこれを大量に摂取すると死んでしまいます。
 嘘です。生きています。
 とにかく僕がここで述べておきたいのは、そういった青春成分もこの物語にたっぷりと含まれているという事である。
 こういった恋愛要素が絡む時、僕が特に気になってしまうのはそのお相手がどういった人物か、という所である。
 なんせ物語冒頭からノルンの成長を見守ってきた読者なのだ。気分はもうお父さん。どこぞの馬の骨野郎には我が子に指一本触れてほしくないと思うのは自然なことではないだろうか!?(過激思想)
 だがこの辺についても、よい相手が立てられているので安心してほしい。誰がその場所に立つのか、というのは是非本文を読んで確認してもらいたいところである。
 良いラブコメとは、相思相愛となる二人の双方が魅力的に描かれているものだ、みたいなニュアンスのことを「スナックバス江」というマンガで見た記憶がある(2022年7月時点、週刊ヤングジャンプで連載中のギャグマンガ)。

その条件は大いに満たしていると思うので、是非注目して読んでほしい。

最後に

 「ノルン」を語るにおいて外せない要素の一つについて述べておきたい。
 それは「剣」についてだ。
 前述した通り、「ノルン」の世界では剣を扱う騎士の存在がそのまま国の武力としても大きな意味を持っている。
 騎士道が尊ばれ、男子には剣術を学ぶことが奨励されている世界だ。
 「ノルン・ド・ノアイユ」という作品は、実は剣戟アクションとしての一面も持っている。
 もう、盛りだくさんなのである。
 緻密な筆致で描かれるバトルシーンは迫力満点だ。
 息づいたキャラクター達が、その熱を感じるほどのヒリヒリとする距離感で剣をぶつけ合う姿には一読の価値がある。
 「ノルン」の物語を描くNUE氏は、キャラクターの「動き」の表現に、とてつもないこだわりを持っているように思える。
 剣戟もそうだし、作中には舞踊のシーンもある。
 この舞踊のシーンは必読だ。
 鮮やかなイメージを読者の脳裏に焼き付けるようにきめ細かく、それでいて幻想的な美しさも纏わせる巧みな筆致で描かれている。
 ほぅ、とため息が漏れるようだった。
 もちろん、そこに至るシークエンスも含めての美しさである。作劇と表現が一致すると、ここまでシーンの完成度は高まるのだな、と書き手の端くれである僕もかなり勉強になった。

* *

 さて、ここまで色々と述べてきた。
 書き連ねたアレコレを全部ひっくるめて一言で伝えるなら「とりあえず一度読んでみてよ!」という事である。
 「ノルン・ド・ノアイユ」は第一部第四巻まで発刊されている(2022年7月現在)。
 作者のNUE氏によれば「ノルン」は全四部で構想されているという。第一部は、まだまだその序章なのだ。
 僕がここで紹介するその第一巻は、その始まりを告げるに相応しい、ロマン溢れる物語に仕上がっている。
 是非この物語を読む事で、ノルンの同じ視点、同じ瞳で、広大な世界に踏み出すその一歩をあなたにも体験してもらいたい。
 きっと、楽しんでもらえることだろう。
 僕はそれを、切に願っている。

(文・エビハラ)Twitter

今回の記事を書いていただきました、エビハラさん執筆の短編集『楽園にて』が文学フリマ大阪にて頒布予定です。詳細はまた追って追記します!

『楽園にて』文学フリマ大阪(9月25日)にて頒布予定


今回ご紹介いただいた第1部『ノルン・ド・ノアイユ〈1巻〉』電子書籍

紙書籍版はこちら。↓


次回はイカたんぺんさんによる2巻のご紹介になります。
どうぞお楽しみに!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?