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JPCA2024:都市部の高齢者に犬の散歩を処方する

筆者の勤務する診療所にはさまざまな主訴で高齢者が受診するが、その中でも身体の不調の訴えというよりは、話し相手がほしくて受診する方が一定数存在する。薬や身体の相談などの用事が済むと、友だちとするような雑談をひとしきりして満足して帰っていく。背景には、孤立した都市部の高齢者という社会問題がある。こうした問題に対して、医療ではなく、犬の散歩というコミュニケーションを処方した試みについて報告する。


 90歳代の女性、最近軽費老人ホームに入居したばかりの方。「足が痛い」と受診したが、歩行も安定しており、痛み止めで経過を見る方針とした。鎮痛薬を処方し、診察を終了しようとしたが、住んでいる老人ホームでは皆個室にいて話相手がいないと自分の健康の秘訣について、家族についてなど様々な話題を繰り出し、10分程度話すと帰っていった。
 また、80歳代の一人暮らしの方。めまいや胸痛などの訴えが毎回診察の度に多数あり、他院から精神安定剤が処方されていて継続している。血糖値スパイクの話やめまいが続いていること、寝付きが悪いこと、息切れ、肩の痛み、家が片付かないことなどを途切れなく話し、満足して帰っていく。

高齢者の社会的孤立

 筆者の所属する診療所には、このような患者が一定数来院する。内閣府の高齢者白書では、高齢者の社会的孤立の実態について調査が行われている(1)。報告書には、独居の高齢者は会話の頻度が低く、頼れる人も少ない傾向があることが指摘されている。また、日本では家族・親族という血縁関係を中心に人間関係が構築される傾向があり、近所の人や友人との関係がやや希薄であること、都市部では地域のつながりを感じる人が少ないという指摘もある。また、高齢者の社会的孤立の問題点として、生きがいの低下、消費者被害、高齢者による犯罪、孤独死、が挙げられている。診療所の位置する地域(東京都北区)は、新しいマンションの建築に伴い、若年層の流入が増加し、高齢化はその他の地域に比較すると目立たないように見えるが、冒頭の軽費老人ホームに入居している患者や、単身生活の患者など、孤立している高齢者は決して少なくない。このような患者を検査したり、内服薬を処方し問題を解決しようとしても効果はないだろう。原因としては、日常生活でコミュニケーション総量が低下していることが問題だと指導医から指摘された。ではこのような患者にコミュニケーションを処方するのはどのような方法があるのだろうか。

犬の散歩はどうだろう?

 筆者は以前、犬を飼っていたが、犬を散歩していると、知らない人から声をかけられることが多く、自然と会話が始まるという経験を多くした。そのうち、飼い主の名前は知らないが、犬の名前を知っている、職業も家族関係もわからない様々な年齢の人達と、近所の公園で定期的に会うようになった。このようなゆるいつながりが、都市部に住む孤立した高齢者にも有用なのではないか。診療所と一緒に仕事をしているケアマネージャーのTさんが保護犬を飼っており、患者の役に立てることがないか、と声をかけてくれたことも契機となり、地域包括支援センター主催の高齢者のお散歩会に、犬と一緒に参加することを計画した。

高齢者のお散歩会に犬と一緒に参加

 第1回は2023年5月27日に実施された。集まった高齢者は70−80歳代の8名、地域包括支援センターのイベントに度々参加している方たちであり、犬と散歩することは知らなかったが、皆さん楽しく犬と散歩できている様子であった。近くの荒川の土手まで40分程度お散歩し、スタッフも併せて総勢28名+犬4頭が参加した。スタッフから見て、今までのお散歩会より笑顔や会話の量、活気、歩くスピードがアップし、参加者の会話もいつもより弾んだ様子であった。また参加者からペットにまつわる家族や子どもの頃の思い出話、そこから派生して自分の病気のことなど、さまざまなナラティブが引き出され、参加者同士の交流が進んだ。
 第1回目は成功裏に終了したため、第2回目も計画した。診療所の患者にも参加を広げようと、今回は事前にポスターを作成し、診療所内に掲示した。またTさんの事務所の外の塀にポスターを掲示していただいた。人数が増えすぎると収拾がつかなくなるおそれもあり、積極的な勧誘は行わなかった。第2回目は2023年10月28日に実施された。参加者は15名、他にボランティアや犬の飼い主のも併せて総勢37名、犬8頭の大所帯となった。犬と触れ合ってお散歩もでき、良い刺激になったと考えた。帰りには、ポスターを見たという小学生から「参加したかった!」との声をいただいた。高齢者だけではなく、地域の子どもにも交流を広げることができる可能性を感じた。参加者のアンケートからは楽しかった、次回も参加したいとの回答がほとんどで、ポジティブな結果となった。

犬を散歩することにより生成されるゆるやかなネットワーク

 筆者の経験した、犬を散歩することにより生成されるゆるやかなネットワークは、菊池らによって研究されており、犬の散歩をきっかけとするネットワークの特徴として、ネットワークの規模が有意に大きいこと、初対面の人を含む「弱い紐帯」から、よく知っている関係の「強い紐帯」までの様々な紐帯(関係性)の人々が同時に同じ場所に会することが挙げられている(2,3)。また、「「犬の散歩」をきっかけに互いに「あいさつ」をする程度の,あるいは互いに相手を「確認」しないとわからない程度の弱い紐帯による「自然発生的で緩やかな関係性」を中心としたネットワークでありながら,様々な「情報交換」を通して,ネット―ワーク内に多数のブリッジを形成することで, 選択的に「関係性の展開」を生じ,「緩やかなネットワーク」を形成させていることが明らかとなった.」と述べている(2)。

Mark Granovetter : The strength of weak ties

ここで注目したいのは「弱い紐帯」という部分である。これは社会学者のマーク・グラノヴェッターの提唱した「The strength of weak ties」という概念で、価値ある情報の伝達やイノベーションの伝播において、家族や親友、同じ職場の仲間のような強いネットワーク(強い紐帯)よりも、ちょっとした知り合いや知人の知人のような弱いネットワーク(弱い紐帯)が重要であるという考え方が示されている(4)。犬の散歩仲間はまさにこの「弱い紐帯」で繋がっている人々であり、この紐帯は血縁関係という強い紐帯が主である地方よりも、都市部でより特徴的なネットワークと言えるだろう。

自殺率の低い街

ところで、自殺率の非常に低い徳島県海部町について、なぜ低いのかを探索した研究がある(5,6)。挙げられている要因は以下の5つである。
1.       多様性の重視
2.       本質的な人物評価
3.       自己肯定感、有能感の醸成
4.       緊密すぎない、ゆるやかな紐帯
5.       適切な援助希求行動
この4と5が犬の散歩にも共通しているのではないか。海部町では密集した居住区に「路地」が多数走り、路地が多いと自殺率が低いという優位な相関関係があるという。また路地には「縁台」が多くあり、人々はここで通りすがりに世間話やちょっとした悩み事を相談し、問題が深刻化する前に人の目が入ることになる。また近隣住民の情報は素早く伝わるが、同調圧力を嫌い、ゆるくあっさりとしたつながりが特徴的であり、山間部の生きるために助け合いが必要な、緊密なコミュニティとは異なった特徴を持つ。

Healing Landscape の構築

Millerらは、医療機関だけでなく、生活空間のさまざまな「場」や関係性の中で偶然の出会いによるEpiphanyが発生し、患者の「Healing 回復」が導かれると述べており、そうしたHealingが生じやすい環境を「Healing Landscape」と呼んでいる(7)。犬の散歩により、路地の縁台のような気楽に立ち寄れるコミュニティを創出し、ゆるやかな紐帯を形成することで、地域住民が生活空間の中でHealingを得られる環境をつくることが最終的な目標である。

参考文献

  1.  内閣府ホームページ [Internet]. [cited 2024 Feb 19]. 平成23年版 高齢社会白書(概要版)|政策統括官(共生社会政策担当) - 内閣府. Available from: https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2011/gaiyou/23indexg.html

  2. 菊池和美. 地域コミュニティにおける余暇活動を通した高齢者の社会関係の形成~ソーシャル・キャピタル醸成と関連する「犬の散歩」をきっかけとした社会的ネットワークの特徴. 桜美林大学大学院博士学位論文. 2012;1–127.

  3. 菊池和美, 長田久雄. 「犬の散歩」をきっかけとする飼い主のパーソナル・ネットワーク. 人間・環境学会誌. 2009 Sep 25;12(2):21–30.

  4. Granovetter MS. The Strength of Weak Ties. Am J Sociol. 1973;78(6):1360–80.

  5. スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版 [Internet]. 2023 [cited 2024 May 5]. 日本で最も自殺の少ない町から学ぶ都市のデザイン:「路地」と「ベンチ」が援助希求行動を促す. Available from: https://ssir-j.org/learning_about_urban_design/

  6. 岡檀. 生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある. 東京: 講談社; 2013.

  7. Miller WL, Crabtree BF. Healing Landscapes: Patients, Relationships, and Creating Optimal Healing Places. J Altern Complement Med. 2005 Dec;11(supplement 1):s-41.

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