【日記】ピザを飛ばせるようになりたい
今日は久々にまぁまぁ仕事らしい労働をした日であった。
最近はやっつけ仕事というか、焼け石に水というか、死際の悪あがきのような労働しかしていなかったので、この騒動がひどくなる前と同じ形で働いたということはそれだけで少し心の安寧を得た。
出勤時、同じ車両に乗っている人のマスク装着率が100%だった。徐々に流通しはじめてきたというのもあるだろう。みんなもう「ウィルスを飛散させてはならぬ」という気持ちより、ほとんど洋服を着るような気持ちで着けている気がする。
服を着ることと同じレベルとまではいかないにしても、挨拶をする時は帽子を取るとか、そういう習慣よりは今は力を持っている気がする。「マスクは予防にはあまり効果がないけど、自分の飛沫が飛ぶことはある程度防げる」というのが通説になってきたからだろうか。マナーとしての効力が強くなったんだな。
ウイルス飛散防止という本来の目的が軽んじられているというより、その大前提に、自分はマナーを守れる人でありたいという気持ちがのっかることによってより普及したように見える。
日本人は特にそういうのに敏感なのかもしれない。
誰かの家にお邪魔した時にはスリッパを出してくれるが、実際その家の床が汚れているわけではない。人との関わりとなると、実際どうなのか、だけが問題ではないのだ。(面倒なことに)
もしも今有名な専門家が「みんな〜〜!マスクは飛沫防止も感染予防も全然効果ないよ〜〜〜〜!」と言ったとしても多くの人は当分使い続ける気がする。
屋内で靴を脱ぐことに馴染みの少ない外国の方にスリッパを出すと「私の足が汚いってか!!????」と勘違いされることがあるかもしれないらしいので気をつけてください。
「服を着る」の方はもはやマナーとかではなくて強制力の強い習慣というか、まぁ裸で外に出たら寒いし犯罪なわけなんですが。
しかし朝に服を着る時に「服を着ないと捕まるからな」と考える人はいない。「着ないとヤバい」とすら考えないだろう。服を着るときは何も考えずに着る。
昔から思っていたけど、映画や漫画に出てくるやべー奴は、みんな気が狂ったことを言ったりやったりしていても大抵服は着ている。こいつも朝、服を着るときは正常な思考回路で動いてるんだな、と不思議に思っていた。
仕事からの帰り道、道路を挟んで向こう側にあるイタリアンレストランの中でピザ生地を高く飛ばしているのが見えた。すごく楽しそうだ。私もピザを飛ばせるようになりたい。仕事中2、3時間に一回ピザを飛ばすという業務があれば人は頑張れる。
帰って餃子を食べて、秋田の新米の名前が一般公募されてるそうなので、考えてみたがあまり良いものが浮かばず。採用されると100万円が貰えるらしい。お米の名前といえばひらがなで5、6文字がそれらしいと思うが、何も思いつかないな。「ほかほかのこめ」じゃダメかな?
(意図的に自分の思考をいつもより掘り下げる形で文章を書いたらめっちゃ長くなりました。何となく連続更新を目指します。)
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