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【日記】何でも出来て便利になる恐ろしさ

バスの乗り換えの間にセブンティーンアイスの自販機を見つけて、食べながら次のバスを待った。
ティラミス味にした。セブンティーンアイスは昔と比べて色々おしゃれな味が増えてる気がするが、バニラとソーダがマーブル模様になってるやつは昔からあるな、と記憶してる。

今日は伏見でやってる家具のフェアに行ってきた。なかなか良いものもあったが、買うには至らず。帰りにイオンの家具屋でもテーブルやベッドを見て帰った。

浴衣を着ている人をよく見かけた。皆、祇園祭に行くのだろう。今日は宵々山だ。

帰って、結局ネットで新居のテーブルを注文した。
ネットショッピングが主流になって、選択の幅が大いに増えたことは便利でもあり難しくもある。もっと良いものがあるかも、というフツフツという思いに常に支配される。

実家にある家具、というのはいつのまにどこで買ったのか謎なものが多いが、昔はネットが主流ではなかったから、家を建てるとか、結婚のタイミングで家具屋に行ってあれこれまとめて買っていたのだろう。

母が言うには、昔は結婚するとなると嫁ぎ先に桐のタンスに着物を詰めて、布団や鏡台やなんかといっしょに持ち込んだのだという。いわゆる嫁入り道具というやつだ。紅白の幕をめぐらせたトラックに乗せて運び込むそうで、昔はよく見かけたそうだが、私はついぞそんな光景は見たことがない。

生きている間に、本当に自然に、でも確実に時代は変わるのだな。

昔はこんなボタンも何もないツルツルの板を操作して何でも調べたり、すぐに誰とでも連絡したりできるなんて思いもしなかった。便利だけど、それがなかった昔に「不便だな」とは思わなかった。
昔は想像もしなかったことが、今はふつうに受け入れて暮らしている。そうして、もっと何十年かあとには、今想像もできないことを当たり前にやって生活してしているのかもしれない。おそろしいことだ。

そろそろ人間は、何でもできて便利になるのを止めたほうがいいのではないか、と不安になる。最近、私は漢字が書けなくて困ることが増えた。誰か偉い人たちが便利にしてくれた社会に甘えて、どんどん自分で何も出来なくなる気がして。


ただの日記がいつのまにか脱線していた。
夜は肉じゃがを作って食べた。
明日はCDを売りに行って、引越し準備をあらかた終わらせる目標でやろう。

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