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サンスティーン『ナッジで、人を動かす』より、経済学者、慶大教授の坂井豊貴さんの解説を公開


キャス・サンスティーン『ナッジで、人を動かす――行動経済学の時代に政策はどうあるべきか』を刊行しました。人間の不合理さに基礎を置いた行動科学、行動経済学は、近年、世界中の行政機関で注目されており、大きな成果も生んでいます。世界中の官僚たちが、行動科学・行動経済学を用いて、環境保護、雇用促進、経済成長、貧困の削減、安全保障の強化に向けた対策を考えている時代になりつつあります。
本書は、ノーベル経済学賞受賞のリチャード・セーラーとともに、ナッジを提唱した法哲学者サンスティーンが、行動経済学を政策に応用するにあたって生じる倫理的な問題――政府による見えない、巧妙な干渉・誘導ではないのかという批判――にたいして、真正面から論じた一冊です。福利、自律、尊厳、自治、誘動、制約、責任の問題を取り上げ、そうした観点から「ナッジ」は正当化できるかについて、人々の態度を調査した豊富なデータを基に検証します。
ここでは、慶應大学経済学部教授の坂井豊貴さんが、きわめて簡潔で魅力的な解説を寄せてくださいましたので、本書の導入として紹介いたします。坂井さんは、投票システムやオークション方式など制度設計を専門とし、理論と実践をつなぐ経済学者として注目されています。近著『メカニズムデザインで勝つ』も大変好評です。どうぞ、ご一読ください。


[解説]誘導と補助のあいだに

坂井豊貴 (慶應義塾大学経済学部教授)


 先日、自宅のテレビが壊れてしまい、十数年ぶりに新しいものに買い替えた。新しいリモコンには、以前のものには付いていなかったYouTubeとNETFLIXのボタンが付いている。以前のテレビでもパソコンに接続する手間さえとれば、これらのチャンネルを見ることは可能であった。だがリモコンにボタンがあると、それを押すだけでよいので、見る頻度は格段に増えた。
 たかがテレビだから、リモコンにボタンがあるかないかで、私が見るチャンネルは変わったのだろうか。より重大な事柄、たとえば老後の備えに関する選択であれば、手間をかけて決定するのだろうか。そうでもない、与えられたリモコンのボタンのように、外的な環境の設定に選択は左右されるというのが近年の行動科学の教えるところである。そうである以上、環境の設定においては、他者の行動を誘導しようという設定者の思惑がつきまとう。実際、NETFLIXが日本市場を攻略できた大きな要因の一つは、リモコンにボタンを入れられたからなのである。

デフォルトルールの影響力
 サンスティーンが本書『ナッジで、人を動かす』で着目するのは、意図をもって外的な環境を設定し、人の選択に一定の誘導を与えることである。「ナッジ」とは訳出しづらい言葉だが、「そっと突く」というようなニュアンスをもっている。また、本書のタイトルは、デール・カーネギーの古典的名著『人を動かす』(1936年刊)を踏まえていると思われる。カーネギーは会話やコミュニケーションで他者を動かす方法を論じたが、サンスティーンはナッジという外的な環境の操作によって他者を動かす方法を論じる。
 ナッジの例としてよく知られているのは、デフォルト(初期設定)の操作だ。たとえば会社の従業員に対して、確定拠出年金に「加入」をデフォルトとし、給与から保険料が天引きされるようにする。そう設定するのは制度の運営者だが、この設定は従業員本人がいつでも「非加入」に変更できる。つまり「加入」「非加入」という選択の自由は本人に保障されているのだ。
 ところが初期設定は、ときに結果を大きく左右する。デフォルトが「加入」だと、加入したままでいる人が非常に多く、デフォルトが「非加入」だと、非加入のままでいる人が非常に多いのだ。惰性や先延ばしは、その主な要因のようである。デフォルトの影響を発見したのはサンスティーンの盟友であり、行動経済学を確立したリチャード・セイラー。セイラーはこうした貢献により2017年にノーベル経済学賞を受賞しており、インタビューでは「賞金はできるだけ非合理に使う」と答えている。
 制度の運営者は、従業員を確定拠出年金に加入させたいと思うならば、デフォルトを「加入」にしようとする。それは本人の選択の自由を奪うものではないし、老後に無収入にさせないための親切な行いである。惰性や先延ばしという、通常はマイナスに働きがちな人間の能力が、賢明に設定されたデフォルトをそのままにしておくというプラスの結果を導くというわけだ。
 このように、選択の自由を保証したままで、賢明な結果を実現するための介入を是とする立場を、サンスティーンとセイラーはリバタリアン・パターナリズムと呼ぶ。リバタリアンは自由を、パターナリズムはお節介的な介入を、それぞれ尊重する立場である。なお、サンスティーンの職場であるハーヴァード大学は確定拠出年金への「加入」をデフォルトとしており、これについて彼はツイッターで「君の仕業だな」とセイラーに語りかけたことがある。
 このやり取りはユーモラスに聞こえるが、それはわれわれの多くが確定拠出年金のデフォルトを「加入」に設定することを、少なくとも悪しきものとは思わないからだろう。だがこれが、本人から反対がないかぎり、連邦政府が税の還付金から50ドルを赤十字に寄付するというデフォルトならどうだろう。反対しないかぎり寄付に賛成したことになるデフォルトは不当と感じるのではなかろうか。
難しいのは、正当・不当の感覚が、人によってかなり異なることだ。本書にはこの案への支持は27パーセントに留まったとあるが、4人に1人以上が支持したのだから、かなりの割合である。
 サンスティーンが理想的なナッジの例としてあげるのは、目的地への道のりを教えるGPSである。GPSのガイドに人は従わなくてもよいし、そもそもGPSを使うか否かも本人が決められる。そしてGPSのガイドは多くの場合、有益なものなのである。だがここまで優れたナッジは稀だし、悪巧みが込められたナッジだってある。たとえば日本では、2019年6月の参議院決算委員会で、ある議員が年金の開始時期について、手続きをしないかぎり受給を70歳に繰り下げるデフォルトを提案した。これは多くの受給者に不利に働くナッジであり、ナッジの悪用であるスラッジだとの批判がなされた。なお、この提案は現時点では実現していない。
 ナッジは本人の利益になるものであらねばならないとの考えは広く受け入れられている。だが「本人の利益」とは何か、それを決めるのは誰かという問題は残る。サンスティーンが良いナッジの基準の一つとしてあげるのは、熟考が導く(であろう)選択肢をデフォルトにすること。たとえば多くの人は、熟考したならば確定拠出年金には「加入」するだろうから、そちらをデフォルトにするというように。そしてこれを決める者は、なぜそうしたかの説明責任は負わねばならない。ナッジとスラッジのあいだに明確な線引きはできないとしても、たとえば熟考を基準にするならば、それなりに是非の判別はできるだろう。

ナッジは誘導か
 かくしてナッジをめぐっては、結果の誘導への懸念が付きまとう。そもそも他者が意図を込めてデフォルトオプションを用意することに、抵抗を覚える人も多いだろう。ナッジされる当人はその意図に気付かないまま、自由に選択したつもりで誘導されているのである。
 だがサンスティーンは、ナッジ全般について論じることや、抽象的に自由を論じることに否定的である。個々のナッジには様々なものがあり、ナッジ全般について自由の観念を論じることは、そもそも生産的ではないからだ。またサンスティーンは「梅毒や癌になる権利、食べ物に不足する権利」などをも要求する自由の主張は、尊重に値するとは考えていない様子である。それはそのような辛い事態に陥ったことがない者がする主張であって、「このような抗議を美化したり、強調しすぎたりしてはならない」と述べている。
 さらにサンスティーンは「ナッジは人間の尊厳を毀損する」といった大袈裟な物言いは禁物だと指摘する。たとえばプリンターの初期設定を「両面印刷」にするというナッジは紙の使用枚数を減らすのだが、これをもって人間の尊厳が毀損されたことにはならないだろう。
 また、デフォルトの設定と義務化との違いについての指摘は興味深い。プリンターのデフォルトを両面印刷にしても、ユーザーは片面印刷に変更できるので、これは両面印刷の義務化ではない。ユーザーによっては(たとえばプレゼン資料を印刷したい人や、文章全体を見ながら書籍の解説文を書きたい私などは)片面印刷のほうが便利であっても、両面印刷を義務化されるとそれができなくなってしまう。サンスティーンはここで義務化を「自由を奪うからダメ」と言うよりは、「利便性を奪うからダメ」だと言う。そこにはサンスティーンが実利を重視する姿勢が見てとれる。
 結局、ナッジを好むにせよ好まないにせよ、デフォルトは何かしら設定されるのである。確定拠出年金なら「加入」か「非加入」のいずれか、プリンターなら「片面印刷」か「両面印刷」のいずれかは初期設定となるというように。そうである以上、デフォルトは賢明なほうに設定されたほうがよい。そしてナッジの悪用を避けるためにも、良いナッジと悪いナッジの基準が、われわれには必要なのである。本書が全編を通じてなそうとしていることは、この現実的な問題そのものへの理解を世に広め、議論を整理することだと思われる。
 ナッジを政策としてみると、安上がりだという特徴をもつ。これは確定拠出年金を考えてみると分かりやすいが、「加入」をデフォルトにすることは、年金額の引き上げに補助金を出すよりも、はるかに安価に実行できるのである。また、紙の使用枚数の削減にしても、「両面印刷」をデフォルトにすることは、ほとんど効果がない環境保護キャンペーンよりもはるかに有効で、しかも安価に実行できる。財政の逼迫した先進諸国がナッジの活用を検討するのはこの要因が大きく、日本でも経済産業省や環境省がナッジの活用ユニットを立ち上げている。むろんそこにはスラッジの導入への懸念は付きまとうのだが。

意思決定のコストを軽減する
 私自身はナッジを、意思決定の負担が増している現代において、積極的に導入されるべきものだと考えている。かつてサンスティーンが情報・規制部門の高官として仕えていたオバマ大統領は、ブルーかグレーのスーツばかりを着ていた。それは「他に決めねばならないものが多々あるため」であった。変化のスピードが速い昨今、オバマほどではなくとも、各人の意思決定の負担は増している。その負担を軽減するのは、重要な意思決定問題に注力するためにも大切ではなかろうか。
 もはや日本でも「よい大学を出て一流企業に勤めて定年退職」というような、ベンチマークとなる王道のキャリアパスは存在していない。お見合い結婚がデフォルトの時代はとうに終わっているし、年金が老後の生活を保障してくれるとは誰も思っていないだろう。
 好むと好まざるとにかかわらず、われわれは以前よりはるかに、自分で自分の人生を選び取っていかねばならない。そこに可能なときにはナッジの補助があればよい。それは複雑化した時代において、日々の暮らしや人生の、サンスティーンいうところの「操舵力」を高めるものなのだ。このことを、そのようなものを必要とする時代をわれわれは生きていると言い換えてもよかろう。


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『ナッジで、人を動かす』
キャス・サンスティーン著
田総恵子訳
坂井豊貴解説
46版並製、本体価格2800円+税

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