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【話題沸騰】上平崇仁『コ・デザイン』より、序文を公開

「コ・デザイン」(CoDesign)という言葉を聞いたことはありますでしょうか? 
デザイナーや専門家と言った限られた人々によってデザインするのではなくて、実際の利用者や利害関係者たちと積極的にかかわりながらデザインしていく取り組みのことです(Coは、接頭語で、「ともに」や「協働して行う」という意味)。デザインの1ジャンルというよりは、だれもがデザインにかかわる時代における土台となるアプローチのことです。
著者である上平さんは、グラフィックデザインから仕事をはじめ、芸術学部の教員となり、いまは情報学部の教員をしている、少し変わったキャリアの持ち主です。デザイナーの気持ちも、デザインを志す若者たちの気持ちも、また、デザインとは縁遠いところにいる人たちの気持ちもわかる、頼もしい人物です。デザイナーにも、ノンデザイナーにも、どちらの立場から読んでも面白い本ができあがりましたので、それぞれの関心に引きつけて、本書を楽しんでいただければと思います。


はじめに


「手作りのアップルジュース、試飲できます」

そんなキャッチコピーに釣られ、ある夜、私は家族とともにそのイベントのブースの前まで行ってみました。眩しい灯りの下で、列になった人たちが賑やかに作業しているのが見えます。みんなで手分けして包丁を手にとり、カゴの中のりんごのヘタや汚れ部分を取り除いています。次の人たちは、それを適当な大きさに切り刻んでいます。どうやら作業しながらも、少しずつ列が進んでいるようです。列の先頭にはビア樽ぐらいの大きな絞り器があり、数人がかりでそのレバーを一生懸命に回しています。そうして絞りだされてきたジュースを紙コップで受けとった人は、列から離脱しています。一連の流れを眺めてみると、要するに、このブースでは完成物をふるまうのではなく、つくるための材料や道具を人々に提供し、列に並んだ参加者たちが自力でつくることを「手作り」と称しているのでした。

投げやりな出し物にも思えますが、全部の過程を見せることで、どのくらいのりんごからどのくらいの量の果汁と絞りかすが生みだされるのかが、一目瞭然になっています。それに加えて見ず知らずの人たちが、ジュースをつくるために和気あいあいと協力しあっているのがとても印象的で、ここにはプロセスをともに経験することでコミュニケーションを生みだすデザインが施されているのだ、と気づかされました。

アップルジュース

実はこれは日本ではなく、コペンハーゲンで行われたカルチャーナイトというイベントにおいて、デンマーク環境保護庁が出展していたものです。そしてよく考えてみれば、このアップルジュース生産装置はきわめてこの国らしい仕組みに基づいていることが分かります。貢献すれば誰もが等しく扱われる〈平等性〉。ものごとが進んでいく因果関係を見えるようにする〈透明性〉。見ず知らずの人でも協力しあう〈信頼性〉。それらを、遊び心を持って仕組み化し、いっしょに取り組めるようにする〈協働性〉。この国の人々が大事にしているそんな約束事を経験的に学べる場がごく普通にあり、街の中に埋め込まれているのです。行列が和やかな雰囲気で進んでいくのを眺めながら、社会の中に溶けこんだデザインが人々の行動をかたちづくり、同時にそれこそが人々の社会性を育むものであることを垣間見た気がしました。
翻って今、自分の周りを見回してみると、私たちは自分たちの社会をつくるために、どんなことをしているでしょうか。どこかに学べる場があるでしょうか。そんな問いが頭の中に立ち上がってきます。

21世紀に入り、私たちの生きる社会では過去から引き継いできたやり方に対して、はっきりと大きなひずみが見えるようになりました。未来はどうやらこれまでの延長線上には描くことはできないようです

次々と困難が襲いかかる中、私たちは他者と力をあわせながら懸命に今の時代を生きています。最近では、国境を越えて行き交うことも盛んになり、言葉や文化の異なる人々とコミュニケーションをとる機会も増えています。チームで何かのデザインに取り組むことも、まったく特別なことではありません。しかし、一見普通のことに見えて「いっしょにデザインする」ことは、そのとらえ方次第でどこまでも深くなっていくテーマです。なぜなら、それまでの前提を一つひとつ外してみることによって、デザインすることはいったい何をすることで、そもそも誰が決めることなのか、当たり前に思えていたことが、実は当たり前ではないことに気づかせてくれるからです。

この点を踏まえて、近年では限られた専門家だけでなく、実際の利用者や利害にかかわる人々が積極的に加わりながらデザインを進めていく、「コ・デザイン(CoDesign)」と呼ばれるデザインの取り組みが行われるようになってきました。コ・デザインは、一人では解けない問題に立ち向かうために、さまざまな場面で模索されています。このような取り組みの名称は、日本語では「参加型デザイン」として知られてきましたが、後述する理由でここではつかいません。この本は、コ・デザインを実践することに向けて、その考え方と枠組みについてやさしく理解することをめざすものです。

はたして、なぜ私たちは「いっしょにデザインする」ことを実践していこうとするのでしょうか。人間はみな自我を持ち、一人ひとり違います。そういった異なる人々が何かに取り組むことは、決していいことばかりではないはずです。

たとえば、ことわざでも「烏合の衆」と言うじゃないか、質の高いモノをつくるためなら、強い目的意識やスキルを持つ個の力が結局は大事なのであって、そうでない人がたくさん集まったところで相乗効果を生むわけがない。口だけで騒いでも何も生みだすことができないだろう、と言う人がいます。その一方で、いやいや、ことわざを引くなら、「三人寄れば文殊の知恵」とも言うじゃないか。凡人でも力をあわせることできっといい知恵を生みだすことはできるはずだし、実際に私たちはそんなやり方で進めている、と言う人もいます。

どちらも一理ある気がしますが、個別の状況が違えば方法も変わるのが普通であって、どちらか一方が正しいというものでもないでしょう。アフリカの古いことわざとされる有名な言葉に、「早く行きたければ一人で行きなさい。遠くに行きたければみんなで行きなさい(If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together)」があります。この言葉は、急ぎたいなら一人のほうがよいし、より遠くに行きたいなら誰かと励まし合う方がよいという意味で、ひとりぼっちでは行けないところまで到達するために、他者と協力することの意義や目的に応じたつかい分けが肝要であることを教えてくれます。

仲違いするかもしれない。裏切られるかもしれない。誰かと協働する中で起こりうるネガティブな面を考えると、誰もが他者と手を結ぶことには及び腰になりがちです。協働することの意義を見いだすためには、そんなリスクを抑えて希望が見えるような、広い視座を得なければなりません。学問は、そのためにあります。

かつてマンガの神様、手塚治虫はマンガ家になりたいこどもに向けて、質の高いマンガを書くためにマンガ以外の分野から教養や知識を得る重要性を指摘し、「マンガ本ばかり読んでいてはダメである」(『マンガの描き方』光文社)と諭しました。デザインも同じです。デザインはさまざまな学問や創造の領域を統合しながら取り組まれていくもので、栄養サプリのように効率よく吸収できるような固形物があるわけではありません。

しかし、これまでのデザインの領域の言葉は、創造するための方法論や仕事の事例に焦点をあわせられることが多く、その行為を成り立たせている周辺の要素については、あまり語られてきませんでした。実はデザインのプロセスには、めざす目的のものごとを決めていくと同時に、私たちと対象のかかわり方を決めていくという二重の意味があります。それは決して人任せにして済ませられることではなく、私たち一人ひとりが自分の人生の中で取り組んでいかなくてはならないことです。そのために広い視野を持つことが必要になるのです。

この本では、これまでデザインの文脈と接続して論じられることが少なかった、人類学、教育学、心理学などのさまざまな学問領域の知見を借りながら、「いっしょに」「デザインすること」はどのような意味を持つのか。そして、今なぜ取り組む必要があるのか。そんな問いに対して広大な見取り図を描いていきます。

各章の内容をおおまかに示しましょう。
第1章「なぜデザインをひらくのか?」では、デザインはみんなが共有する問題だからこそ、これまでのように一部の専門家だけで閉じるのではなく、多くの人々にひらいていくことの必要性を指摘します。
第2章「デザインにできること、できないこと」では、広範囲にわたるデザインの意味を改めて整理しなおし、社会の中のデザインは普通に思われるよりもはるかに重要な問題であることを指摘し、またデザインすることができる範囲を考えます。
第3章「いっしょにデザインするとは?」では、人々が協働しながらデザインに取り組むコ・デザインとはどういうことか、なぜそれが必要なのかについて迫っていきます。そして人間はみんな同じではないからこそ、それぞれの立場や属性を尊重してデザインが行われるべきであり、そのためにもそれぞれの持つ能力を考慮して組み合わせることが不可欠であることを説明しています。
第4章「さあ、いっしょにデザインしよう」では、コ・デザインの取り組みについて、いつ・どこで・だれと・なにを・どのように、などの各切り口から具体的に解説していきます。
第5章「うまくデザインできなかったら」では、理念どおりに進めるのが難しい理由を取りあげ、それを掘り下げるかたちで対策を提示しています。
第6章「さあ、もういちどデザインしよう」では、ここまでの議論をふりかえり、コ・デザインを自分たちの生きる実践の中に位置づける視点に移行していきます。
第7章「デザインすることは、ギブすること」では、コ・デザインをより発展的にとらえたうえで、見えにくい未来を考えるための手がかりと結論をまとめています。

デザインの本は多数出版されていますが、本書は、他の本ではまず書かれていない基礎的なことを最深部まで掘り下げている、と自負しています。もともとの「基礎」の意味は、簡単という意味ではなく、建築物の下深くに埋まっている、目に見えないものです。描くビジョンをぐらつかせないためには、当たり前のことを当たり前にせず、丁寧に掘り起こして下から支えることは重要です。

腰を落ち着けて長文のストーリーとして読めるように、やさしい文体と縦書きが生みだすリズムにもこだわりました。事例もいっぷう変わった珍しいものを取り上げています。もちろん小説ではありませんので、最初から通して読まなくても、目次で興味を引いたところから読み進めてもらってまったく問題ありません。そして「難しい!」と放り投げたい気分になったときに、投げるのを思い止まってくださるように、コラムやビジュアルイメージを取り入れています。

内容は、今の時代を生きる人々にとって通底する気づきを得られるように、個別の問題に対処するノウハウよりも、抽象度の高い「なぜ」を中心に据えています。デザインに関心を持つビジネスマン、自分の役割を再考しつつあるデザイナー、地域を元気にすることに取り組んでいる実践者、組織風土の形成に取り組むマネージャー、プロジェクト型学習に取り組む学生たちまで、幅広くそれぞれの視点を重ねることができるでしょう。読み進めるにしたがって、飴玉がゆっくり口の中で溶けていくように、これまで見えていなかった補助線が浮かびあがる感覚が味わえるはずです。

それでは、遠い祖先の時代から脈々とつづく、デザインにおける協力関係をめぐる旅を始めていきましょう。

*本記事は、書籍の原稿を一部改稿しております。


コ・デザイン書影帯なし

上平崇仁(かみひら・たかひと)
専修大学ネットワーク情報学部教授。1972年鹿児島県阿久根市生まれ。1997年筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修了。グラフィックデザイナー、東京工芸大学芸術学部助手、コペンハーゲンIT大学インタラクションデザイン・リサーチグループ客員研究員等を経て現職。2000年の草創期から情報デザインの研究や実務に取り組み、情報教育界における先導者として活動する。近年は社会性や当事者性への視点を強め、デザイナーだけでは手に負えない複雑な問題に取り組むためのコ・デザインの仕組みづくりや、人類学を背景とした自律的なデザイン理論の再構築について研究している。日本デザイン学会情報デザイン研究部会幹事。㈱ACTANT デザインパートナー。

発行日 : 2020/12/24
装丁:上坊菜々子
イラスト:山内庸資
頁数: 336ページ
価格:本体2700円+税

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