No.35 八田進二氏 〜公開企業の内部統制と経営者に倫理意識を〜
前号取材の小宮先生と八田先生は、社会安全や経営管理でのリスクマネジメントで双璧の地位にいらっしゃる方です。特に今回取材の八田先生は、世の経営者にとって、誰よりも畏れられている会計や内部統制の実務専門家です。政府の審議会などでも数多くのご提言をなさって、会社法や会計法の改定に今なおご尽力されています。
―ご幼少期や学生時代のお話をお聞かせください
父親が銀行努めの転勤族だったことで、子供の頃は家族全員で引越の連続でした。4人兄弟の末っ子でしたから、学校を転校するのがとても嫌でしたが、手本となる姉や兄、そして楽観的な母に支えられて、幸いにも苦労なく過ごしてきたと思います。
進路選択では3歳離れた兄の影響が大きく、勉強時間も同じくらい取っていたので成績もできたほうだと。ただ、小学5年生の秋に名古屋から新潟へ転校。その後、東京に父の転勤が決まったのが高校生2年生の春で、東京に行けると憧れましたが、当時有名な都立高校の転入枠がなくて、たった一人、16歳で新潟の下宿に残ることになったのが、最大の試練だったかもしれません。しかも、大学生が住む下宿はとても勉強ができる環境になくて、高校卒業までに3回も引っ越していました。無理やり自立心ができましたね。
兄が慶応大学法学部だったので、私は東京大学を志望。一浪した翌年は安田講堂事件(1969年)があって、入試が中止。唖然として失意のまま、慶応大学経済学部に入学しました。学校選択では後でお話しますが、慶応には有名な奇術クラブがあって、そこを目指したのです(笑)。
これら青年時代の教訓は、『時代は変わる、すべては自分の思うままにはならないのだ』という感覚が、今でも染み付いています。
―会計や経営のガバナンスに触れたのはいつからでしょう
慶応大学もブランド学部として経済学部を志望したのですが、教授陣の授業も面白くなく、ちっとも興味関心がわかずに悶々としていました。大学では慶応奇術愛好会(KMS)に入会してマジック三昧の日が続き、勉強どころではなかったです。特に必修の経済原論担当の若手の教員の授業は最悪だったですね。ただ、選択科目の1つで、単位取得が楽勝と噂の簿記原理という科目を履修して、ある種のショックを感じました。13〜4世紀のイタリア商人の記録方法として採用された複式簿記の美しさ、技法の見事さに惚れ惚れして、担当教員の「会計士になると将来は儲かるよ!」との話に光を感じました。大学3年で簿記の専門学校にも通い、検定試験や資格試験合格を目指しました。また、会計の知識を深めるために経済学部の授業ではなく、商学部にて設置の会計関連科目を全部履修しました。
その後、会計士を目指して大学院の修士課程進学も志望したのですが、当時、会計学のメッカとしては、慶応より早稲田大学が有名だったので、早稲田の日下部與市先生のゼミを目指して大学院を受験しました。運よく合格し、そこで学びながら、公認会計士試験2次試験に合格するのですが、その間に、監査論や職業倫理という領域に惹かれるようになったのです。
そのため、博士課程への進学を考えたのですが、指導教授の日下部先生が急逝されてしまったため、再び、古巣の慶応大学の方に進学することとなったものの、その時の指導教授も、早くに亡くなってしまったのです。
―先生が企業不祥事や内部統制、経営ガバナンスという概念をアメリカから日本に紹介されました
大学院を修了する際には、指導教授の縁もないなかで、教職への道を歩むのに大変苦労しましたが、当時わが国の会計学界を代表する飯野利夫先生のご紹介で、富山の女子短大に職を得ました。2泊3日の飛行機通学で3年間、教員生活を送りました。その後、学生時代にアルバイト講師をしていたことで知己を得た方からの推薦で、新設の駿河台大学に移籍し、学ぶことと共に、教育することの喜びに目覚めました。
研究面では、アメリカでの在外研究も経験しました。1996年、イリノイ大学に客員研究員として留学した時、アメリカは、1993年からのクリントン政権下で続く好景気にみんな浮かれていましたね。「株主資本主義」というブームで、水増しされた企業業績が横行していた感じです。そのため、このままではきっと大不祥事が起きるに違いないと予感していました。
2001年のエンロン事件は起こるべくして起きました。90年代後半のアメリカの状況を知る者として、学問としての会計学と会計を取り巻く実務のギャップを埋めようとしたのです。当時の学界は、「研究と実務は別もの」と言われていましたが、会計学こそ、実務を反映する社会科学であり、まさに、「実学」として捉えるべきだとの信念を抱くようになりました。その後、金融庁の企業会計審議会にも参加していろいろな提言を続けてきました。制度改正にも関わることで、アメリカの不祥事は日本では予防できると、次は経営者の心理や思想の奥にある倫理について考えるようになりました。倫理は日本では道徳に隠れてしまって、まだ日が当たりません。
―ご趣味のマジックですが、本格的なのですね
小学生の時、父が百貨店で買ってきたマジック道具が好きになり、おもちゃ売り場にある実演販売をずって見ていました。東大入試が安田講堂事件でドタキャンとなり、すぐさま慶応に転換したのは、そこに慶応奇術愛好会(KMS)という、わが国の大学でもっとも伝統のある有名な奇術クラブがあったからです。入学式が終わり、新入生歓迎で賑わう日吉キャンパスで即座に入部しました。先輩が驚いていましたね。学生時代からクルマが好きで、4年間、生意気にも車で通学していたほどです。富山短大のときにも日産のフェアレディZが愛車だったのですが、関越道をポルシェに抜かれて、追いかけていたら、高速警察に2台とも捕まり、大目玉を食らいました。
マジックに関しては、現在は慶応奇術愛好会のOB会である三田奇術愛好会(MMS)の会長を拝命しています。また、アマチェアマジシャンのクラブとして、現存する最古の東京アマチェアマジシャンズクラブ(TAMC )の副会長も任されて、昨年創立90周年の記念誌を作りました。毎月の例会では実技もするのです。由緒あるクラブですから、これまでにも、頭の体操で有名な多湖輝など錚々たる方たちが会員になっています。私自身、何人かのプロマジシャンとも交流がありますが、超魔術で有名なMr.マリックとは結構仲良くしてもらっています。
―後進の研究者にアドバイスをお願いできますか
会計や企業経営には、数字だけでなくその裏には多くの人が関わっています。人を束ねたり、組織を維持するには徳や正義、倫理観が欠かせません。
私は両親から「お天道様が見ている、手を抜いたり、ズルをしてはいけない」とアタリマエのことを習った気がします。時代は常に変わり、自分で思い描くような人生は歩めないものですが、与えられた環境の中で最大のパフォーマンスを発揮することを心掛け、人に喜ばれる姿勢を失わないこと、そして、人との関わりを大切にして、傲慢さと過信を慎めば、きっと満たされた環境が生まれると思います。
社会では前代未聞の企業不祥事があとを絶ちませんが、経営者に倫理観を正しく持ってもらい、企業は社会の公器であるとの自覚を促すような仕組みと納得の得られる説明責任を履行することで、社会からの信頼が得られるものと思っています。
私自身も、これからも教育者としての範を示せればと「日々是好日」を願っているところです。
膨大なご著書とテレビや新聞でのインタビュー記事をたくさん拝見していて、不正を糺す畏れる先生と思い込んでいました。ご発言の文字とお話くださる声のトーンや明るさには、大変なギャップがあって、思わず笑ってしまうような学生時代の逸話に引き込まれてしまいました。
「人が関わる犯罪はなくならないよ、でもITのせいで密談も不正もバレるんだなぁ」と締めくくりながらも、「なんだ、もう終わりか。話したりなかったよ」と後髪を引かれながら辞去。思いの外に優しい先生でした。
<取材日:2024/10/21>
主な略歴:
2018年4月 青山学院大学 名誉教授 大原大学院大学 会計研究科教授
2011年4月 青山学院大学大学院 会計プロフェッション研究科長
2005年4月 青山学院大学大学院 会計プロフェッション研究科教授
2001年4月 青山学院大学経営学部 経営学科教授
1996年4月 駿河台大学大学院 経済学研究科教授
1990年4月 駿河台大学経済学部 経営情報学科助教授
1987年4月 富山女子短期大学 商経学科部助教授
1982年3月 慶應義塾大学大学院 商学研究科博士課程単位取得
1976年3月 早稲田大学大学院 商学研究科修士課程修了
1973年3月 慶應義塾大学経済学部卒業
1949年8月3日 名古屋市千種区生まれ
NTSの書籍
2024年8月 『悪意の見える化とリスクマネジメント』