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「あちこちオードリーオンラインライブ」でみんな爆発して空に消えた(ネタバレなしレポ)

毎年恒例の、「あちこちオードリー オンラインライブ」が今年も開催された。レポ禁のライブなのにおまえはなんでレポなんて書こうとしてるんだとお叱りを受けるかもしれないけど、今日ここに残したいのは「私の粉々に砕けた絶望たちのゆめのあと」であり、ライブの内容ではない。

いやあ、激しい夜だった。って、もう1週間経とうとしてるんだね。あっという間だ。見終わった後、私はこんなことを考えたんだよということをしたためようと思う。

どうしても上と下を作りたくなる人間っているよね

なにが上で、なにが下なのか。令和の時代に身分制度があるわけでもないし、貴賤もない。だけどどうして人間は上や下を作りたがるんだろうね。

どうしても下に"回される"人間っているよね

意図せず、勝手に上下関係を作られて、勝手に下に回されることがあるなと感じることがある。何を隠そう、下の方に回されがちな人間だからだ。気が弱かったり、優しかったり、もともとの立場が低くあったり。どうやったら守れるんだろうか。弱い誰かを、弱い自分を。

どうしても誰かに言いたい人間っているよね

なんだってええねやないか!!!全ておまえの思うとおりになるわけないんやが!!!うるせえ絶望抱いて爆発しろ!!!こっちは勝手に幸せになるからな!!!!!

どうしても誰かでありたい人間っているよね

君は君で、あの人はあの人で、別の人間なのに、どうして同一視してしまうんだろうね。君の喜びは、俺の喜びとは限らないんだよ。

絶望、あつまれば希望になる

あー楽しかった。さすが話術の達人たちだ。絶望しかなかったのに、面白おかしく調味料をまぶしてこちらに渡してくれた(一部ハラハラしたけど)。おかげでこっちも美味しく飲み込めた。
もちろんぐったりもした。ぐったりしつつも、なんとも言えない心強さを感じた。明日からも大丈夫な気がした。なんだか嬉しくて泣けてきた。
ああ、この感覚、「明日のたりないふたり」のときにもあった。ひとりじゃない、両脇に誰かがいて、がしっと肩を組んで前を向いている感覚。知らない人たち同士ではあるが、抱えるものが同じの同志だ。

同じ思いの人がいること、それを共有できること、それがどれほど人間の心を救うか。だからこそ、きっと、発信は続けたほうがいいのだ。同じ思いの人と出会うために、語り合うために、救われる日が訪れるまで。

正直「面白いんでみなさんこのオンラインライブを見てください!」と強く言いたくない。リアタイするような人たちはおもらしをしない民度の良さを持ち合わせるが、話題になればなるほど、"強者"がひょっこり現れて、横暴に、話題性のために、自分の快楽のためだけに、庭を荒らしてしまうんじゃないかと不安になってしまう。
このオンラインライブは私たちの世界なのだ。地獄であり、ユートピア。踏みにじられてたまるか。頼む、だったらそっとしておいてくれ。俺たちの苦しみは、俺たちだけで共有する。

だけど、わかってくれる人だけ、こちらにきてどうか肩を組んでくれないか。


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