「死にたい」は「私らしく生きたい」の裏返しだった。
昨日、初めて「死にたい」気持ちが止まらなくなったことを書いた。
あれからかなり落ち着いてきたので、今日はこの「死にたい」気持ちについて考えてみたことを書いてみる。
1.そもそも本当に死にたかったのか
そもそも、「死にたい」という気持ちが頭のなかで無限ループしていたとき、私は本当に死にたかったのだろうか。
いや、死にたくなかったと思う。
あのとき「死にたい」が無限ループしていたが、それを実行に移す勇気はなかった。
だって死ぬときの苦痛を味わいたくなかったから。飛び降りも包丁で刺すのも絶対痛いもん。
それに自分が死んだあと母親や彼氏が悲しむところを想像したら、できなかった。
(あとは自殺者が出たらこのアパートの価値下がるだろうなとか、業者の方に死体処理で迷惑かけたくないなとか思ってた。)
じゃあ「死にたい」じゃなくて本当は私は何が言いたかったのか。
よく考えてみたら、私が本当に思っていたことは、「今のこの苦しい状況から逃げたい」だった。
うつ病だし、もう正社員になれるか分かんないし、お金はどんどん減ってくし…
今の社会から置いていかれているような感覚や孤独感がどうしようもなく嫌だった。
2.「死にたい」は「私らしく生きたい」気持ちの裏返し
あの後、「うつ病 死にたい なぜ」で検索してみると結構いろんな記事がヒットしたので、興味があるものから読んでみた。
そのなかで私がいちばん腑に落ちたのは、
「死にたい」は「私らしく生きたい」と同義であること
というものだった。
今のこの苦しい状況から逃げたい。
今の自分が嫌だ。
というのはつまり、「私らしく生きられるなら生きたい」ということだ。
私にも、理想の自分がいる。
理想の自分はこんな生活をするつもりじゃなかった。もちろんうつ病になる予定もなかった。
なりたい職業について、やりがいもお金も得て、週末は自分の好きなことに遠慮なくお金を使える。
信頼できる友達もいて、たまには一緒にカフェに行ったり旅行に行ったりする。
それが私の思い描く理想の自分だ。
その理想の自分とかけ離れた生活をせざるを得ないから、こんなにも苦しいんだ。
だから私の中では「死にたい=今のこの苦しい状況から逃げたい=私らしく生きられるなら生きたい」という論理が繋がって、とても腑に落ちた。
今まで、「死にたい気持ちは生きたい気持ちの裏返しですよ」って書いてある記事は山ほど見た。
その度に「どうせきれいごとだろ、バカバカしい」と思っていた。
でも、初めて「死にたい」が無限ループして、なぜ自分がそんな気持ちになったのか考えて、自分の中で「『死にたい』は『私らしく生きたい』気持ちの裏返しだ」とはっきりわかった。
今回のこの気づきがうつ病から回復するひとつのきっかけになればいいなと思っています。
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