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High Jumpの読書記録~羊と鋼の森~(ネタバレあり)

High Jumpの読書記録のコーナー!!

記念すべき第1回は........

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2016年に本屋大賞を受賞した、宮下奈都さんの「羊と鋼の森」です!!

え、なんで今更と思ったそこのあなた!すみません....実はこれ、自分で読もうと思って買った本じゃないんですよね(汗)

確か大学3年生くらいの時に、大学の友達がバイクで事故ってしまって、そのお見舞いに行くときに手ぶらじゃいけないと思って、入院中の暇つぶしになればと思って本屋に寄ったら、当時本屋にこの本が平置きされていて、話題の作品だしちょうど良いと思って買っていったんですが...いざ、お見舞いに行ったら友達が予想以上につらそうで、自分もなんて声をかけたら良いかわからなくて、とても本を渡せるような雰囲気じゃなくて渡せずに帰ってしまったんです(笑)

そんなこんなですっかり存在を忘れていたのですが、先日部屋の掃除をした際に、これを見つけて、あぁ、そんなこともあったなと昔を思い出しつつ、せっかくなら読んでみようと思ったわけです。

読んだ感想を率直に言えば、「いや!これ入院中にぴったりじゃん、渡せなかったけど本選びは間違ってなかったんだ」と数年越しに思いました、数年越し、にね(笑)

本の概要を説明すると、特に夢もなく漠然と日々過ごしていた、田舎育ちのおとなしい性格の主人公の外村が高校生のある日、調律師の仕事を見る機会に遭遇します。いままで音楽とは一切関わりなく過ごしてきた外村でしたが、その調律師の調律した音に何か感じるところがあり、調律師を目指すところから物語が始まります。そして晴れて調律師になった外村が、調律師の目指す音とはどのような音なのか、才能とは何なのか、今やっているこの努力は実を結ぶのだろうか、などの苦悩を日々抱えながら成長していく物語になってます。

以前、恩田陸先生の「蜜蜂と遠雷」を読んだときに、いわゆる音楽などの芸術といわれるものを題材にした小説は、文中に音のイメージなどを感覚的に表現する描写が多く、音楽素人の自分には、音に対してそんな感じ方があるのか、すごいなぁと読みながら思った記憶があるのですが、今回もまさにそれで、音を森にたとえる描写が多く、その表現力に感心させられてしまいます。

ですが音楽素人の自分にも、心に刺さる場面も多く、読んだ後に心がすっと軽くなるような、そんな小説でした。ほら、入院中にはぴったりですね(笑)

一番印象に残った場面を紹介しようと思います。それは調律師としてある程度期間が経ち、一人でピアノの調律をしたりと一人前になりつつある外村がある家庭の調律に行った際に、お客さんのご要望の音に調律することが出来ず、担当替えをお客さんから依頼され、自分には調律の才能が無いんじゃないかと落ち込む外村に対して、先輩の調律師である柳さんが言ったセリフです。(以下本文より抜粋)

『才能っていうのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。どんなことがあっても、そこから離れられない執念とか、闘志とか、そういうものと似てる何か。俺はそう思うことにしてるよ』

みなさんは「才能」とはどのようなものだと思いますか。試しに国語辞典で調べてみると、

才能-ある物事をうまくなしとげる、すぐれた能力。(明鏡国語辞典第二版より)

とあります。ここから解釈すると、「あること」、今回で言えば「調律をする」ということが上手くできればそれは才能で、そこに至る過程は関係ないような感じがしてしまいますが、巷では「努力することが才能」という言葉もよく耳にします。

では、上手くこなすことも出来ず、努力が続かない人には、才能が無いということでしょうか。そんな時に柳さんの言葉が少し背中を押してくれるんです。ただ、そのことが好き!というのが才能なのかもしれない。実際は何が才能なのかは、分からないが、そう思うことにしてるんです。自分には何の才能があるのだろうか。と考えてしまいます。

とこんな感じで主人公の外村がいろいろ考えすぎてしまう性格だからか、登場人物それぞれの物事に対する考え方が、作中にちりばめられていて、それぞれ考え方は違うのに、確かになぁと感心させられてしまう部分も多く、音楽に関わりが無くてもとても楽しめる作品です。まだ未読の方は是非とも読んでみてください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。ではまた次回~


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