見出し画像

プロが紐解く、いま求められる「人的資本経営」の潮流と論点

「NIKKEISHA STARTUP TABLE」では、「挑戦」と「変化」を目指す企業の「1→100」のために、成長期に直面するさまざまな悩みや課題に応えるべく、“社会との対話“の機会を提供しています。

企業が成長する際に、重要な役割を担う人的資本という考え方。「人的資本経営元年」とも謳われる今年、大企業だけでなくスタートアップも含めた多くの企業にとって、大きな転換点を迎えています。

株式会社リクルートのリサーチグループのマネージャー/研究員の津田郁さんに、今春に出されたレポート「人的資本経営の潮流と論点」から、人的資本経営がどのようなものか、何を意識すべきかについてお話いただきました。

■今、人的資本が注目されている背景

「人的資本」には、人材が保有する経験、知識・スキル・能力、イノベーションへの意欲なども含まれる。自社の社員を単純な人数だけで捉えるのではなく、目には見えない中身の部分に注目して捉える概念である。

これまでは、人材は「人的資源」と考えられてきた。「人的資源」は、極端に言えば、人材を管理すべき対象として捉え、人件費はコストであるという考え方である。「人的資本」の考え方では、人材は価値創出の源泉であり、人件費も投資として捉えられる。投資のやり方次第で増えもするし減りもすることが人的資本は特徴だ。

今、人的資本に注目が集まっている理由はいくつかある。経済的視点からみると、企業価値の源泉が人材や知財・特許などの無形資産に移行していることが影響している。その背景にあるのは、製造業から知的産業への産業構造の変化である。また、ESGや持続的な社会づくりに向けた世界的なコミットメントに影響される社会的視点や、イノベーション創出という戦略的視点からも、人的資本に注目が集まっている。

しかし、日本の人的資本の現状は諸外国に比べると厳しい状況。GDPに占める人材投資の割合や、どれだけいきいきと働いているかという従業員エンゲージメントの指標においても日本は低い。

今こそ「人的資本」を見つめなおして、それを価値に変えていく「人的資本経営」という考え方へ転換しなくてはならない。

■「人的資本経営」とは何か

経済産業省では「人的資本経営」を、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方と定義している。

「人的資本経営」を構成する要素を、モデルに示したのが下図である。

「人材を最重要の資本と捉える」ことをベースに、「すべての人材を活かす」ことに取り組み、その上で「価値を高める戦略」と「情報開示」を実践していくというイメージである。

人的資本経営が語られる時、情報開示の話が先行することが多い。しかし、人的資本に取り組むとき、その土台として必要なことは「すべての人材を活かす」という考え方だ。人材の捉え方から見直す必要がある。

私たちは「優秀な人」という表現をしてしまいがちだ。「優秀な人」と「ダメな人」というように一つの軸だけで評価するのではなく、多様な評価軸から可能性を見出していく。すべての人を各々のあるがままの姿を捉え、各人の強みや才能を活かすようにしていく、という考え方が人的資本経営にとって一番大事なことである。

そうした考え方の上で、「価値を高める戦略」と「情報開示」に取り組んでいく。価値を高めるような投資をしていき、その取り組みを社内外のステークホルダーに情報開示。ステークホルダーと建設的な対話をして、そのフィードバックを人的資本投資に再度還元しながら、両輪を回していく。

「価値を高める戦略」や「情報開示」を実践していく際にも、いくつか考えるべきポイントがある。「価値を高める戦略」においては、人材価値の「向上」「活用」「循環」という3つの視点から考えていく。「情報開示」としても、単にデータを羅列して示していくのではなく一貫したストーリーとして伝えること、社内外のステークホルダーと対話をしていくこと、が重要なポイントである。

■人的資本経営の実践で考えるべき重要な6つのポイント

ここからは、人的資本経営について昨今よく耳にするテーマと、それに対してさらに加えて考えていただきたい、意識していただきたいポイントを紹介する。

1.対象となる企業

「人的資本経営」とは「人を活かす経営」だ。一部の大企業や上場企業にとってのテーマに思われがちだが、どのように人材を活かすかは、すべての企業が考えるべきテーマだろう。
ただし、今やどこもかしこも「人的資本経営」が謳われている。当然ながら、企業経営上「人的資本(人材)」は切っても切り離せないわけだが、盲目的に人的資本経営を推進すればいいわけではない。大切なことは、自社の企業価値が何からもたらせているかについて冷静に見つめることだ。その上で、何をもって戦略上の模倣困難性を築いていくかを検討すべきだ。人材で築くのか、戦略なのか技術なのか、今後どうありたいのかを描かなくてはいけない。このように考えると「人的資本経営」への向き合い方は各社で微妙に異なってくるはずだ。

しかし、留意しなければならない点として、日本の労働市場の構造的な人手不足と言う背景がある。コロナ禍を経ても、業況感と人手不足のギャップは埋まらず、さまざまな業界で構造的な人手不足の様相が強まっている。また、年功序列などの伝統的な雇用慣行が揺らいでいることも留意すべき点である。個人は企業に人材価値の向上を求めている一方、企業は個人に高いエンゲージメントによる生産性の向上やイノベーションの創出を期待している。

何をもって模倣困難性を築くかによって人的資本経営への向き合い方は変わってくるものの、とは言え、人的資本をないがしろにしていては、働く人から選ばれない企業になってしまう。

2.推進の主体者

人的資本経営は、人事部ではなく経営者のアジェンダ。人事部に丸投げせず、経営陣がコミットして取り組むべきテーマである。

実際には、経営者から人事部へ任せられることも多いだろう。しかし、人事部も既存の業務を多く抱えている状況。まずは人事部に投資したり、経営直下に専用のチームを設けたりするなどの戦略も考えられる。

また、人事部はこれまできちんと間違いのない労務管理をしていくことが期待され、そうした役割に適した組織体制や人材がアサインされてきた。いま求められているのは、人材を通じた価値創造。これからの人事部には、そのような価値創造をしていくケイパビリティを持っているのか、そのような経験があるのかを見てアサインしていく必要があるだろう。このような人材戦略を描くCHROも必要だろう。その際、今の人事部長がそのままスライドで担うのではなく、人材を通して価値を生み出していく戦略をCEOと対等に話ができる方が求められている。

3.人的資本投資の考え方

人的資本投資や情報開示を進める際、経営戦略に紐づいた人材戦略が難しい場合もあるのではないだろうか。全社戦略と事業戦略がイコールであれば、計画的な戦略を描き、それを推進できる人材を定義し、人材が足りていないのであれば社内での育成や外部からの採用をして推し進めていく、といった「戦略人事型の情報開示」が可能である。しかし、さまざまな事業を複数抱えている企業や、計画的な戦略が立てづらい状況においては、「人材マネジメントポリシー型の情報開示」も効果的であると考える。「人材マネジメント方針」を中心に据えて情報開示をしている企業の例では、人材に対する価値観、こういう人になって欲しいという考え方を中心に開示されている。リクルートでも「個の尊重」という価値観を中心にして、それに紐づく形でさまざまな制度を整理して開示している。

4.人的資本投資の内容

人的資本投資を考える際の観点として、「人材価値の向上」「活用」「循環」といった3つの視点がある。

「人材価値の向上」とは、研修等を通して個人のスキルを高めていくための投資。「人材価値の活用」は、従業員が保有するスキルや経験を成果につなげていく仕組みをつくり機能させていくための投資。社員一人ひとりの強みを活かせるような、適材適所やジョブアサインなどの取り組みが当てはまる。「人材価値の循環」は、人材の価値を企業の枠を超えて広く社会で巡らせていくための一連の取り組みである。

人的資本への投資としては、「人材価値の向上」の観点で主に検討されているが、他の2つはあまり語られていない。もちろん日本では人材育成への投資が弱いため、この領域に取り組んでいくことも重要ではあるが、「人材価値の活用」もセットで考えないといけない。せっかく個人のスキルを高めても、その人が活きる仕事や場所と丁寧にマッチングしていかないと、人材を通じた価値を生み出すことには繋がらない。

昨今、働く人の熱意を示す「従業員エンゲージメント」が注目されている。職務に対しての熱意と組織に対する結びつきの強さから、どれだけいきいきと働いているかを示す指標であり、業績と相関関係にあること等から世界的に注目されている。「人材価値の活用」とエンゲージメントの強さは比例するため、「向上」だけでなく「活用」も併せて投資を検討していただきたい。

現在の市場をみると、必要な人材のすべてを内製だけで確保していくことは極めて難しい。そのため、企業の周りに知的ネットワークを構築していくことが欠かせない。「人材価値の循環」の観点から、社員の副業を禁止せず、副業先でのネットワーク構築に期待することも大事だ。

「人材価値の循環」とは、本質的には、従業員が企業の中でも外でも活躍できるように価値を高めることだ。今や従業員に対する企業の責任が、雇用の責任から、人材価値の責任に変わってきている節目だとも言える。社会の公器たる企業が果たすべき責任は、どこへ行っても価値を発揮できるように人材を育てることではないか。

5.人的資本投資の目的

従業員エンゲージメントの向上にまずは取り組むべきだが、そこで思考が止まってしまうのではなく、その先に企業としてどのような価値を創っていくのか。未来志向で考えていく必要がある。

計画的な戦略が立てづらい変化が激しい今の時代において、求められるのは変化対応力だと考えている。具体的には、働く人が環境の変化を受け止め、周囲と協働して主体的に挑戦・試行する力を意味する。変化対応力以外にも「創造性」や「多様な個のコラボレーション」などもキーワードだ。従業員エンゲージメントを高めたうえで、企業が持続的に発展していくためにどんな力が必要であるか、あわせて考えていくべきだ。

6.取り組みのスコープ

早急に求められている情報開示への取り組みも大事だが、そこに終始するのではなく、中長期的な組織文化をどう醸成していくのか、改めて人を活かす経営に目を向けていただきたい。

これまで多くの企業を見てきた中で見えてきたこととして、人を見事に活かしている企業には、あらゆる人を卓越した存在に変えようとする組織文化が共通していた。これから企業を大きくしていこうとしているスタートアップにとっても、人的資本経営は今後欠かせないテーマである。長期的にどう組織文化を育んでいくかを念頭に置いて、人的資本の投資や人への働きかけを検討していただきたい。

※調査レポート「人的資本経営の潮流と論点」は下記よりご参照ください。
https://www.recruit.co.jp/newsroom/pressrelease/2022/0324_10148.html



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?