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人生会議と看護師のアドボカシー

人に寄り添うこと
看護師さんとして

時代
一昔前前はお医者さんの言う通りに。
先生におまかせします。が普通だった。
でも、医療は進歩して治る病気も増えて
死なない病気も増えてきた。患者さんには選択肢が増えた。
近年では、
自分の生きる方、活き方、逝き方を選択していく時代になってきた。

岐路
時代の変化とともに自身でいきかたを選択することになってきてはいるものの
これを事前に決めていたり、家族や周囲の人と話している人は少ない。
そんな時に急な病気や心身の衰えで、人生の岐路に立った時、治療の選択、延命処置、療養場所を迷う。
特に本人と家族の意向が違う時やその場に意思決定できる人がいなかったときには、
あの時こうした方が良かったんじゃないか、間違いだつまたのかもしれない。
という後悔にも似た苦悩が生まれる。

さらには
健康でいつまでも生きられたらいい。
ポックリ逝きたいなんてこと考える方も少なからずいて
現実とのギャップを持っている方も多い。
現実にはポックリいけることの方が少ない。
つまり、医療の進歩で、命は取られなかった。
でも後遺症は残った、、ってことになる。
なんらかの障害を持ちながらも生活をしないといけない。

意思決定
じゃあ自分はどうしたいか。
なにを大切にしているか。
を考えるのが人生会議。

もし命が危ぶまれたら、
『絶対に人工呼吸器はつけないでほしい。』
『いやいや、どんな形であっても生きたいんだ。』
いろんな意思、選択肢があって
それぞれ人によってニーズが違う。
その違いを誰も否定はできなくて
みんな迷いながらも
納得して選択することが大切。

そして今、命に別状がなくても
思っていること、例えば

家で愛犬と過ごす時間が楽しい。
今年も孫を家で迎えたい。

もしかして障害が残ってしまっても
慣れ親しんだ地域で過ごしたい。
死ぬ時は…
自分の布団の中で家族に看取られたいな。

そんな思いも一つの選択肢になり得る。
これを話しておくことが、その人の生きがいや人生の価値につながるし、大切にしていることなんだと思う。

看護師さんとして
看護師はアドボカシーが大切だといわれる。
アドボカシーといえば『擁護』だとか『支援』という意味合いだ。
いろんな選択肢がある中で、
納得して治療や人生の選択ができるように
本人のニーズや希望を理解すること
患者さんや療養する方の意思を擁護することであって。
自分とは違う価値観でもその人の味方でいること。

僕は集中治療室で
本人の願い、思いを叶えられなかった人をたくさんみてきた。
本当は延命して欲しなかった。とか、家に帰りたかった。っていうこと。
救急で運ばれて、
事前に願い、望みを知っていて伝えてくれる人がいなかった人が多い。
そんなことを話す機会がなかった人、話す人がいなかった人がほとんどだ。
でも意思決定するための判断材料にする情報が少なすぎたんだろう。とも思う。

僕らは。
これから病状はこうなっていくよ。身体的にここがキツくなってくるよ。
こんな状態になったら、手助けが必要になるよ。
でもこんな支援が受けられるよ。
看護師さんは健康管理お手伝いするよ。
そんな情報が、困っている人たちに提供できるといいなと思う。
いつも人のそばに寄り添える看護師でありたい。

今後、
この人は亡くなったじゃなくて、
最期まで生きた人だって
と言ってもらえるように。

そしてこれからも
人々のために、生きる権利、自己決定を擁護する(アドボカシー)看護師を全うする。

人生会議を普及させよう。


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