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私は、私の子どもを産んだ

先日、ある男性が、自分の妻についてこんなふうに感謝しているのを耳にした。
「俺の子どもを産んでくれたんだから」

その表現は、時に誰かが口にするものだ。定型的と言ってもいい。「俺“なんか”の子どもを」と、相手の存在の貴さを賞賛するものだと思う。

ただ、その言葉で、私は過去の自分を思い出した。

2人目の子の出産後、夫の協力が得られず孤独な数年間があった。
その間、育児とフルタイムの仕事を両立し、夫に対しては洗濯女として尽くしつつ、私が考えていたのは、「この子たちは、私の子ども」だということだった。
もし「私たちの子ども」なら、夫も私と等しく子育てに関わるべきだろう。そうではない状況を受け入れるため、「私の子ども」という呪文を唱えた。私の子どもだから、私が面倒を見る。私はこれだけやっているのだから、この子たちは私の子ども。

呪文を繰り返すとともに、状況を変えるべく、私はスペイン語の勉強や転職と移住のための情報収集を続けた。そして、実際に生活を一変させ、今の私たち夫婦・家族の境遇がある。

これが幸せかどうか、良い選択かどうかは、時が経たなければわからない。ただ、呪いじみた文句を唱える日々に戻りたくはない。

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