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受け止めてるつもりで、受け流してたのかも 『点子ちゃんとアントン』エーリヒ・ケストナー(1931 児童文学)

点子ちゃんのお母さんは、家族のことを顧みない。お父さんは、奥さんが点子ちゃんのことをほったらかしで遊び歩いてもなにも言わない。

そのお父さんをケストナーは、「心が広すぎた」と表現する。
翻訳者の池田香代子は、あとがきにこう書いている。

なんでもはいはいのポッゲ氏は、奥さんを人間としてほんとうの意味では尊敬していないし、横着をして恥ずかしいと思わないポッゲ夫人は、夫だけでなく、自分のこともほんとうの意味では尊敬していません。

私は自分の子どもと接する時に、「危険なこと・誰かを傷つけること以外は見守る。口出ししない」を基本にしている。

上の子については、それでうまく行っていると思う。
彼女は小さい頃から、まわりの様子をよく観察する子だった。警戒心やこだわりは強いけれど、その表現の仕方は物静かで、「子どもらしくない子ども」だった。

でも、下の子は違う。こちらも警戒心とこだわりが強いのだが、それを全力で周囲にぶつける。
私は基本的に、そういう自己表現は黙って見ている。
例えば、彼は時々、家族の誰かに対して物置から出ないよう命じたり、食事のテーブルにつくことを禁止したりする。理由がある場合もあれば、明確でない時もある。私がこれについて何かいうとすれば、「かわいそうだよ」といった程度で、強いてやめさせたりすることは滅多にない。自分がその矛先にいる時も同じ。
だって、少し時間が経てば落ち着くし。なんにせよ、否定したくない。受け止めておく。

でも、私は本当に受け止めていたのかな。
受け流していたんじゃないか。
「怒りや混乱にいちいち向き合うのはしんどい。ハイって言っとくほうが楽」という考えだったんじゃないか。

だからと言って、今後はワガママを許さない!とかいうことじゃなくて、「それはやめようよ、なぜなら〇〇だから」といったことを落ち着いて話してみようか。
これはもちろん今までもやっていて、彼が聞く耳を持たないので諦めているわけだけど、もう一度、真剣に繰り返してみようか。

年齢の上でも、5歳半を過ぎて、だんだん他人の気持ちがわかるようになってくるかもしれない。(5歳までは他人の気持ちを理解するのは難しい、となにかの育児書で読んだ。)

あるいは、彼の側の理由・理屈を知る手がかりが得られるかもしれない。

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