卒制の反省と周辺のこと


卒制の講評で先生は咀嚼に戸惑う言葉をくれた。
「高級で最高な食材を揃えたのにお前は料理が下手」
長きにわたって幾度となく反芻するだろう。
これをいつも頭の隅に、いやわりと中央から退いてくれなかったのだけど、置きながら、同学内や他美大の卒制、そのあと社会人デザイナー(このような言い方はあまりしない)の展示などを見た。良い展示には空間の強烈な独立性、それはサーモグラフィーで暖房の効いた部屋を遠目から写したような、ぼふんと抱き抱えられそうな一体感があって、きっと私の展示空間には足りなかった。ポスターを何枚も作ってそれに文章を添えるというのがそもそもどうだったか。配置や説明のバランスの緩急も。はたして。

先生それでは自己啓発本のようになってしまいます。
いやお前の作品は、これは自己啓発だろ。

という会話があって、これもなかなかこたえた。テーマが自己愛・相互愛の時点で内容は自己啓発なのだが自己啓発本のような制作にしたくないという矛盾がずっとあり、それを抜けられないままだったのがくやしい。寄り添ったような綺麗な言葉を並べても所詮筆者の独善的な一人語りに過ぎない、そういった浅さを感じてしまうから私自身心療内科通いになっても自己啓発本を手に取ることがない。
「当たり前のことを言っているので心身ともに健康な人が見たら浅く感じるかもしれません、しかし健康な人には薬がいらないように、人として当たり前にもつべき自己肯定感を失っている人に届けたくて作りました。」
プレゼンでこう述べて、もちろんそれは本心なのだけどまさに自己啓発本に書いてあるようなことで。
制作の根幹はこれで良かったと思う。アプローチが直訳過ぎただろうか。

展示期間に見てくれた友人知人がたくさんの感想をくれた。それはどれもすごく嬉しくて、これを作ってよかったと思えた。でも、でも本当にこれでよかったのだろうか、ずっともやもやしている。

いまの私が実感をもってわかるところはこの程度。先生の言ったことをきちんと食べ尽くすにはデザイナーとしての経験をたくさん積む必要がある。


卒業制作展の終了から10日が経って、私の調子はそれはもうめきめきと悪い。悪いなりに人と外出したり、皮膚科に行ったり、細々したやるべきことを消化して、それごとにひどく疲れてしまった。こんなありさまで社会人になれるのかしら。疲れたと自分で言うのはあんまり品のあることじゃない。本来わたしが持ってる頑丈な体力のそれではないとひしと感じるから記録のために言える。1日中歩けちゃうくらい散歩好きで元気な足腰を持っていて、課題漬けだった高校生の頃は2徹なんてへっちゃらだった。

私はまだ医者から診断名がついていないのに母が双極性障害と適応障害について色々と調べたようで、日記をつけることを勧められた。民間療法にハマっちゃうような人ではないけど、これ以上心配かけないようにちゃんと朝起きたり3食摂ったりしなきゃと思った。しなきゃと思う気持ちに脳も体もいつもちぐはぐなのが難しい。この頃寝付きがわるく、ここでは書けないような夢を見て夜中に起きては浅い眠りのまま昼前まで寝てしまうような日が増えた。薬がなければ入眠も難しい。
それとは別に皮膚科で出された薬が3食つどの食前に飲むものなので強制的にちゃんと3食たべる生活に正されそう。
とりあえず規則正しい生活に間違いはない。皮膚科の帰りに近くの丸亀製麺が釜揚げ半額日だったから食べた。お腹すいてなかったけど食べ物残すのは禁物、全部食べた。あれ美味しさに対してあまりに破格でありがたさと心配の半々の気持ちになる。夕方、母と喋って申し訳なさと情けなさの半々の気持ちになる。朝も昼もちゃんと食べたことを伝えると喜ばれて、そんなことで喜ばれるくらいなんだ、と自分の状態を一瞬俯瞰してふにゃふにゃになった。麺類を茹でたままの状態で食べるのが小さい頃から好き。

母。母は時に過干渉だが純粋で優しくて、きっと私がまだ知らない悲しさを知っている人である。近ごろ私と母と妹の女3人で恋愛話をすることが増えた。もっぱら妹と私による各々の恋人の惚気や悩み事の発表に終始する。お互いにそこそこの節度を保ちつつ、でもほんとうに何でも喋る。誰かの話で3人とも涙ぐむ時も、3人ともにやにやして肘で小突き合う時もある。あるとき私が相談事をして、妹はげーっとした顔でそれはたまったもんじゃないね、と言い放ち、母はまあそういう人を好きになっちゃったんだからしょうがないよ、浮気しなければね。と言った。母はいわゆるモテる人だった。どうして父と結婚しちゃったんだろうと思うほど恋愛経験のある人だ。浮気しなければね、の部分には静かに力が込もっていたように感じて、あの会話から2ヶ月ほど経つが鮮明に覚えていて時おり思い出す。

江國香織「きらきらひかる」を買ってその日のうちに読みきってしまった。エッセイ2冊の読み心地がよくて代表作の小説を読んでみようと軽い気持ちで手に取り、主人公・笑子の躁鬱の描き方があまりにリアルで読むのをやめられなかった。2冊のエッセイでそうと断言する文は無かった気がするが、おそらく経験している人のそれである。そうでなかったら本当にすごい。食事シーンや“人がなにか言おうとしてやっぱりやめた間”の表現などが好きで荻上直子作品をよく見るのだが、最近のAmazonプライムオリジナル作品「モダンラブ・東京」での鬱の描写はあまり好きじゃなかった。そのあとだったこともあり、無理やり心を揺らされるように強烈だった。引用したらきりがないのでここでやめる。

近ごろぐるぐる考えちゃうことを吐き出したくて書き始めてまだまだ終わりがないけど終わりがないからこのあたりでやめます。

(おわり)

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