言葉≒多数決そして言葉≒通貨

 「時代とともに言葉は変わっていくもの」と言われる。「誤用だ」といってもその指摘が徐々に通用しなくなり、やがて辞書に掲載されてお墨付きとなる。
 いつのまにか「重複」は「じゅうふく」と読んでも間違いではないようになってきた。
 いずれ「破天荒」が「荒々しい」とか「桁外れのスケール」くらいの意味で辞書に載る日がくるかもしれない。
 「豹変する」は既に「現在は悪い方に変わる場合に用いることが多い」と記載してしている辞書がある。
 いくら「そうじゃない」と声高に叫んでも、多くの人が「いや、みんなそういう意味で使ってますよ」と言われたら?そう言われる頃には辞書に載っている可能性大である。そこまできたら、多数決の前に無力感を感じるほか術がない。
 祖父母の世代の中には、「旧かなづかひ」が廃れていくのを、同様の思いで見ていたのであろうかと、高齢になって思うのである。
 通貨と似ている。ペラペラの紙切れを多数の人が「一万円という価値」「千円という価値」を共有しているから通用するのであって、その認識がなければただの紙切れである。
 抗ってもどうにもならない。しかし、自分だけはかつての用法を頑なに守る。
 だからよけい「頑固だ」と言われるのであるが。
 
 
 

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