見出し画像

高砂市探訪②

皆さんこんばんは

前回の高砂市探訪①の続きを書きます。
今回は申義堂についてです。

入口案内
ちょうど、薬仙寺の向かいにあります。

新型コロナウイルス対策でしっかりと消毒をして見学です!

申義堂は町民師弟の教育の場として姫路藩の六人衆であった岸本吉兵衛が家老より創立を命じられ提供したと言われています。

町民の教育文化を町民自らが行うと
岸本家の文章にはその運営役割が書かれていました。

ここでの教育内容は中国古典の素読を行っていたとのことです。また会読や子ども同士で講義もしあっていたとのことです。
学習の内容は読書、習字のほか、そろばん・裁縫でした。
※素読とは暗唱できるまで音読すること
※会読とは数人が集まり、書物を読み合い、議論しあうこと

そして、このような授業内容や当時の出席状況なども岸本家に記録が残っています。
元旦五節句と毎月5、15、25日は休みだったとも記録されています。

また、高砂市には江戸時代後期以降27ヶ村のうち18ヶ村に寺子屋がありました。
因みに‘’寺子屋‘’という名前ですが、もともとは寺院の師弟教育から、庶民の教育機関(読み書きそろばん等)として始まったことなどからその様な名前で呼ばれるようになったと言われています。
昔からお寺は、所謂‘’教育‘’や‘’福祉‘’といった役割も担っていました。
現在でも、全国を見ると学習支援子ども食堂などの取り組みを行っている寺院があったりします。
この申義堂においても、師匠となったのは村の僧侶、農民、医師などでした。

その後、時代は流れ明治4年、廃藩置県により
申義堂は廃校となり、岸本家に払い下げられました。そして、加古川の西井口村(現在の東神吉町)へ移され説教所倉庫として使われていましたが、約130年の時を経て高砂市で復元されました。

高砂市指定文化財、旧岸本家織部灯籠

メイン写真の道を東へまっすぐ向かうと加古川市と高砂市を結ぶ相生橋方面の風景が見えてきます。