この10年で積み上げてきたリモートワークのノウハウが、一気に開花した2020年のロックダウン対応

この1年間を振り返ると、2011年から自分なりに進めてきた働き方の改善を、一気に実践した期間と言えると思います。特に過去5年間の「コワーキングスペース」「多点間ビデオ会議」「仕事環境のスマートフォン・シフト」が、とても重要な準備期間になりました。

ちょっと長いですが、10年前から振り返ってみました。

2011年: リモートワークへの移行を本格化

当時は東京に住んでいた私は、2011年の東日本大震災に端を発した「週1日のリモートワーク」の制度を、当時勤めていたシックス・アパートで始めました。

この制度の発足は、他人に干渉されないことで効率が上がる作業を、オフィス以外の場所で実行することに、会社がお墨付きを与える効果があったと思います。というのも、この制度が始まる前から、オフィス以外で仕事をする社員はいたのですが、そうした社員がオフィスに来ていないことを快く思っていない人たちも少なからずいたためです。

2011年当時から、ニューヨークにオフィスを作る計画はありました。震災で計画の実施が数年ずれ込んだのですが、それでも2013年には法人を設立し、ニューヨークのあるコワーキングスペースで仕事を開始しました。

2013年: コワーキングスペースへ

2013年当時、シェアオフィス(部屋が区切られている)を使っている会社はありましたが、異なる会社の社員が同じスペースで(デスクを並べて)仕事をする「コワーキング」をしている日本人は少なかったのか、多くの日本人出張者がいらして写真を撮ったり「セキュリティはどう確保しているのですか?」という質問をされたりしました。

実際には、普段だったら縁がないような別の会社の人と、ブレークの合間にコーヒーを飲んだり、他の会社でインターンをしていた人をインターンとして雇ったり、普通のオフィスでは起きないようなことを数多く体験できました(このビデオのように、コワーキングスペースに誰かが犬を連れてくる、なんてこともありました)。

当時から、一緒に働く人たちとは同じオフィスで働いていませんでした。日本から一緒に来た日本人社員は2人、このコワーキングスペースにいました。しかし、米国のジェネラル・マネージャーは電車で片道2時間弱かかるペンシルバニア州に住んでおり、ニューヨークに来るのは週に1回ぐらい。また買収した子会社がコロラド州デンバーにありましたが、こちらの社長とはほぼ100%、電話会議でやり取りしていました。

日本のオフィスには2004年からPolycomを導入していたため、日本のオフィスとの間は、Polycomを使ったビデオ会議を実施していました。

しかしPolycomは、基本的にはハードウェアが設置されている2点間の会議を想定しており、家からの参加を含めて多点間での会議には向いていませんでした。Polycomはパソコン用ソフトもありましたが、高価であり、ホームオフィスで仕事をしている人以外には、その投資は正当化できるようなものではありませんでした。

どこからでも入れるGoToMeeting

そこで2014年当時に使っていたのは、GoToMeetingというウェブカンファレンスサービス。こちらはホスト役のパソコンに有償のソフトウェアをインストールしておけば、無料のクライアントソフトで、どこからでも会議に参加できるものでした。

とはいえ、当時の主流は、電話を使って複数の参加者と無料でミーティングできるFreeConferenceCall.com(それもアプリやウェブサービスではなく、ふつうの電話回線)でした。

英語が苦手な日本人社員を会議に参加させるときには、言葉以外の情報が不可欠になると思い、日本人と米国人が参加する会議には極力GoToMeetingを使うようにしました。さらに米国側の参加者には、「なるべくビデオで参加してほしい」と依頼していました。しかし実際には、特に外部の協力会社の人たちの多くが、音声のみでの参加でした。

理由を探ってみた結果、情報のアップデートを主題とした、3人以上の参加者がいる会議で、音声のみの参加者が増える傾向にありました。これは 1) クルマを運転中に参加する(特に自分は聞くことがメインの参加者は、こうした会議の時間にクルマでの移動時間を割り当てる)、2) 自分の発言・発表の機会がない場合は、特にビデオを必要と感じない、ということのようでした。

スマートフォン主体の環境への移行

私にとってのリモートワーク環境の大きな変化は2015年に起きました。まず一つ目に、ニューヨークで新しい会社(FabFoundry)を立ち上げたこと。そして、もう一つは子供が生まれたことです。特に、子供が未熟児として生まれ、6か月弱もNICU(新生児特定集中治療室)に入院したことは、私の仕事環境を大きく変えました。というのも、毎日、NICUで開催される、朝と夜の医師と看護師のスタンドアップミーティングに参加するため、1日2回、病院に行っていたためです。

病院内でもPCを使える場所はありましたが、当時は病院内やカフェのWi-Fi環境はあまり良くなかったため、仕事の主体がPCからスマートフォンに一気に移行しました。またセルラー対応のタブレットも使うようになりました。とにかく、ネットへの常時接続を優先しました。

またニューヨークでは、日本では考えられないほど、電話がかかってきます。特に病院などからかかってくる電話は、そのときに取らないと、折り返すと自動応答の電話システムにつながってしまい、すぐに目的の人と話せないことが多いので、電話にもすぐに出られるように、ヘッドホンをかけながら、PCもしくはスマホで、家やオフィス以外の場所で仕事をする、というのが常態化しました。コワーキングスペースに行く機会は減り、病院の近くのカフェなどで仕事をすることが増えました。

余談ですが、ニューヨークではカフェで電話をかけている人が少なくなく、電話会議をやっていても、当時からあまり違和感はありませんでした。しかし2016年ごろの日本は、カフェなどは静寂そのもので、とても会議を出来るような雰囲気ではありませんでした(最近は大丈夫なようですが…)。

オンラインドキュメントによる会議の効率化

2017年からは、京都にあるMakers Boot Campと提携し、一緒に仕事をする機会が増えました。

このときに意識したのが、会議の効率化です。スタートアップとはいえ、日本の会社は会議の数も多く、また会議に参加する人数も多く、結果的に会議の時間も長くなりがちでした。これは時差があり、日米間でビジネスアワーが重なる時間が限定的な環境で一緒に仕事をする私にとっては看過できない問題でした。

そこでGoogle Docsを活用し、アジェンダで会議時間がダラダラ延びるのを防ぎ、また会議中にオンラインで議事録を書いてしまうことで、日本企業で起きがちな「会議後に持ち帰って検討し、次の会議で決める」というスピード感の乏しいスタイルを変えようと努力しました。

もちろん、日本出張の際には、リアルで会うことや、気軽に話せるような機会をオンとオフ、それぞれで作ることで、リモートだけでは起きがちな意識のズレなどが起きないように努力しました(例えば「オン」は泊りがけの合宿を開催する、「オフ」は参加自由の飲み会をスタンディングバーで開催する、など)。

これらの施策が奏功したのかFabFoundryとMakers Boot Campは2020年1月に経営統合し、米国と日本で活動するハードウェア・スタートアップを支援するMonozukuri Venturesとして再スタートすることができました。

シングルペアレントになりスマホシフトが進む

私の仕事環境がさらに大きく変わったのは、2018年秋に、3歳になる娘と二人暮らしを始めてからです(その後にネコが再合流し、現在は2人+1匹で、親戚もいないニューヨークで暮らしております)。

娘はNICU退院後も複数の障がいが残ったため、特別教育の学校に入れる必要がありました。しかし、学校に入れるためには、さまざまな診断が必要になるため、2人暮らしになってから、学校に通うようになるまで、実に4か月もの間、24時間ふたりで暮らしていました。

オフィス(コワーキングスペース)での打ち合わせがあるときは、娘をオフィスに連れていきましたが、連れて行っても誰かが面倒を見てくれるわけではないので、連れて行ったのは数回だけ。

そのため普段は娘が起きている時間を避けてビデオ会議を予定するようにしました。

また娘が起きている時間でも、聞くだけのイベント(例えばオンラインイベントの視聴)であれば、スマホとイヤホンで聞きながら、並行して娘をケアすることが出来ます。

私が主体的に話すような会議やミーティングは出来ませんが(娘は目がほとんど見えないため、耳がよく、私が話していると、そちらに気を取られて介入してくるため会議になりません)、インプット型の業務をすることは出来ます。この時の主な業務は米国のスタートアップへの投資だったので、デモデーでスタートアップのプレゼンテーションを見たり、投資を検討している会社のピッチビデオを見たり、すでに対面以外でのミーティングが普及していた米国では、できる業務はいくつもありました。

娘がずっと家にいるので、双方向のビデオ会議が出来る時間帯は、娘が寝ている深夜と早朝だけでしたが、当時は年末年始で米国内で必要なミーティングが少なかったため、ミーティングが必要な相手には事情を話してメールを主体にしたやり取りをしていました(必要に応じて最低限のビデオ会議や電話はしていました)。

2019年3月になり学校に通い始めてからは、平日には1日7時間ほどの自由時間が作れるようになり、深夜早朝の時間をあわせて、ほぼ従来どおりの業務時間を確保できるようになりました。

コロナによるロックダウンを乗り切れたのは経験の蓄積があったから

ここまでの経緯を読んでいただくと、コロナによるロックダウンの前から、すでにロックダウンの予行演習のような機会を得ていたことが分かります。

そのためリモートワークそのものへの対応には時間を要しませんでした。

それでも、ロックダウン後は、随分と仕事の効率が低下しました。自宅での労働可能時間の減少と、テレビ会議の頻度が激増したためです。

第一の点は、娘が学校に行かなくなり、24時間自宅にいるだけでなく、自宅からリモートで授業に参加させる手伝いをしなければいけなくなったからです。コロナ禍の初期は、他人を自宅に入れることそのものがリスクであり、介護士やベビーシッターに頼む、というのが難しい状況だったからです。

それでもベビーシッターの人に、通勤はクルマで他人とは会わないような環境を徹底することで、徐々に仕事時間を確保していきました。

もう一つのテレビ会議の激増は、世の中の多くの方が一気にリモートワークに移行したためです。

それも多くの方々は、リモートワークに慣れておらず、ミーティングや会議なども、当初は極めて非効率に進んでいました。

そこで私は、1対1の会議は30分まで、複数参加の会議でも原則は1時間以下と自己ルールを作りました。

さらに暗黙の自己ルールだけでは、社外の方々とのミーティングで、このルールを実践できないので、新たに会議調整ツール(Calendly)を導入し、基本はミーティングの相手方に、30分のミーティング時間を選んでもらうようにしました。また同じツールで、ミーティングの前と後に、それぞれ15分以上の余白時間を確保するように設定し、その時間でアジェンダの確認や、議事録やメモの整理、タスクリストの作成などを終えるように徹底しました。

初めて体験した「リモートワーク疲れ」

それでも、ロックダウン後は、精神的なストレスも多く、仕事のクオリティが下がったような気がします。特に外出の回数が激減し、ほとんど他人と話さなくなったことが大きいと思います。

2020年の外出回数は、3月のロックダウン以降は、娘の通院の付添を除くと、10回未満だったと思います。

コワーキングスペースやカフェで仕事をしていても、他人と話す機会は少なくありません。特にニューヨークでは、知らない人と雑談する頻度は、東京に住んでいたときとは比べ物にならないほと多かったので、それが一気にゼロになってしまったことは大きかったと思います。

そんな中、毎週末に雑談だけをするZoom会議を、日本・米国西海岸・米国東海岸・英国に住む友人・知人たちと始めたことは、こうしたストレスの解消につながりました。

コロナの被害が少ない日本の人と話していると、状況のあまり差に知らないうちにストレスになってしまうことが多かったのですが(特に日本の人が話すグチなどを聞くとき)、その点、同じような状況を抱えている英国やカリフォルニアの人たちと話せることは、ストレスを紛らわせるのには欠かせなかったような気がしています。

* * *

これからも、新しい生活様式に合わせたワークスタイルが絶えず開発されていくでしょう。ただ、ここまで劇的に変化することは、なかなか無いのではないでしょうか。

思えば、日本でもリモートワークが可能になった大きな契機は、東日本大震災の後に一気に進んだ、BCP(事業継続計画)の一環としてのリモートワーク環境の整備と、クラウドコンピューティングの受容(シフト)でしょう。

今回のコロナ禍で、リモートワークに一気にシフトしましたが、これらのインフラ整備が行われていなかったら、リモートワークは今も出来ていなかったかもしれません。

働き方は、日々、少しずつ改善していくものなのでしょう。

2021年も頑張っていきたいと思います。

#日経COMEMO #この5年で変化した働き方



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