見出し画像

わくわく、うきうき、どきどきして生きる

私は、毎日わくわく、うきうき、どきどきしながら生きています。
身近なところに、わくわく、うきうき、どきどきはいくらでもあります。
朝、マギーの寝床の様子をみることからして、わくわく、うきうきのはじまりです。
毎日、おもしろい寝方をしていますし、私たち夫婦が部屋へ入っていくと、寝床のブランケットの中でごそごそなにかやっていたり、あるいは鼻先だけちょこんと出して、私たちの様子をうかがっていたり、とわくわくしない日はないのです。
犬や猫たちの姿をみているだけで、ゆかいで楽しい毎日をスタートできます。

庭を眺めていれば、シジュウカラなどの鳥たちがやってきて、なにしてるんだろう、と思わずわくわくどきどきしてしまいます。
庭の木は、新たな芽を出し始めていますし、球根類も新たな葉を出してきました。
こんな日常をみているだけでわくわく、うきうき、どきどきでしょうか。

田んぼを散歩をすれば、今の季節でもモンシロチョウなどが飛んでいたりと、びっくりしてしまいます。
田んぼのまわりの景色は確実に変化して、新緑の季節を迎えるための準備を多くの木々がはじめています。
このような植物たちの動きにも、わくわくするよう感動があるものです。
庭のあじさいの葉や芝の新芽は、成長度合いをまじかにみれることで、季節の進み方がわかります。

遠くをながめてみれば、春がすみの空、この季節をもっともよく感じられる景色でしょう。
昨日、この季節にしてはめずらしく真冬のような青空でした。
ぽっかり浮かんだ雲をみながらの散歩です。
ぬけるような青空とピーンと張りつめた冷たい空気は、体を突き刺すくらいに感じられるものがありました。

風が強いのもこの季節の特徴ですし、冬から初春にかけて、季節を超えていく現象でしょうか。
砂埃を舞い上げていくのは迷惑なものですが、これも季節が春を主張しているようです。

田んぼの土手のつくしをみるだけで、私は、春だぞ、とうきうきしてきます。
これにレンゲソウがあれば、もうわくわく、うきうき、田んぼのなかをとびまわりたい気持ちになります。
幼いころ、ころげまわって遊んだレンゲソウのやわらかさは、生涯わすれることはないでしょう。

仕事でも同じです。
わからないことやめんどくさいことほど、私は、わくわく、どきどきしてしまいます。
自分で知らないことは、びくびくするより、好奇心のどきどきする感じのほうが勝るからでしょうか。
また他人がやりたがらいことのなかには宝物がいっぱい詰まっているというわくわく感しかありません。
多くの人たちが、どうして、わくわく、どきどきしないのかが、私にはわかりません。
わからないことは、新たなことを知るはじまりです。
人がやりたがらない仕事は、それだけオリジナリティーがあるものです。

自然でも、仕事でも好奇心が、私をわくわく、どきどきの世界へ連れていってくれます。
季節はカレンダーで知るものではなく、自分の体で感じものでしょうか。
わくわく、どきどきという心の感動が、私に季節を教えてくれるようです。

仕事はゲームだと思っている私は、わらないことやめんどくさいことは、ゲームの難易度が高くなり、わくわく、どきどきするのでしょう。
物事は、それをどのようにみるかでいくらでも変化します。
その変化を楽しむ余裕が、仕事をおもしろくさせ、ゆかいで、わくわく、どきどきさせてくれるのでしょう。。。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?