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転勤は妻にとって人生最高の幸せをもたらしました

私たち夫婦は、結婚1年目に転勤になりました。
妻にとってはショックだったでしょう。
東京から離れた経験がなく、しかも私の父がいる福岡だったからです。
妻の両親も相当心配していたようです。

私は、わがままな性格ですから、内心、妻が福岡へ行きたくないと言えば、離婚か、と考えていました。
そもそも実家がある福岡への異動は、前年私の母が急死したため、私が会社に無理をお願いしたことでもありました。
私には、この転勤を断る理由がないのです。
転勤するだけでした。

妻は、相当な覚悟が必要だったでしょう。
いっしょに福岡へいってくれることになりました。
私は、内心、本当にほっとしました。

福岡では、実家近くの公団住宅へ入居して、二人の生活ははじまりました。
営業の仕事をしていた私は、朝早くから夜遅くまで働きました。
もっとも、営業所のメンバーと飲み歩いていたときもたくさんあったのですが。。。
妻には、まだ友人もいませんでしたから、自宅でぽっんと一人で待っている生活でした。
当然、寂しかったことでしょう。

そんな折、妻が妊娠した、と二人で喜んでいましたが、すぐに流産してしまいました。
それから3年ほど子供ができない生活が続きました。
妻がもっていたいろいろなストレスは、私には理解できていなかったでしょう。
けんかも、しばしばでした。

そんなとき、父が、不妊治療で有名な産婦人科の井槌病院を紹介してくれました。
父は、知人から聞いてきて、井槌病院は不妊治療で評判がよいので、一度受診してみたら、と私と妻に話をしてくれました。
現在、この病院の先生は、二代目か、三代目になっておられるのでしょうか、よくわかりませんが、妻と私は、すぐに井槌病院へいきました。
妻にとって先代の井槌先生との出会いが、人生における最高の幸福もたらしてくれました。
実に親身になって不妊治療に対応してくれる先生で、この病院と井槌先生との出会いから、長男を授かることができました。
妻は、どれほどうれしかったことでしょう。
私の想像をはるかに超えていた、と思います。

妻は、福岡への転勤はしたくなかったはずです。
ただ、私についてきてくれただけでしょう。
しかし、そのことでこのような幸運に恵まれることがあるのです。

東京で生活していれば、私はもともと子供がいなくともよい、と思っていましたから、二人の人生はどのようになっていたのでしょうか。
ふっと、そんなことを思う日があります。

子供が生まれてからの妻は生き生きとしていました。
私も子供が生まれてはじめて、子供のかわいらしさを知りました。
妻は、子供を通して、友人が多くなり、福岡の生活を楽しんでくれるようになりました。
私たち夫婦にとって、井槌先生は大恩人です。
井槌先生には、本当に、幸せな家庭、よき人生を授かりました、と伝えたい気持ちでいっぱいです。
今でも、わが家は、井槌先生に感謝の言葉しかありません。


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