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自らの拠りどころとはなにか、どのようにつくるのか

偶然をつかまえて自分の努力で豊潤な人生を得ることが幸福であるとすれば、常にそのようなチャンスを得るための努力をする習慣が必要になるでしょう。
では、努力の内容は、と言われても、そんなものは人によって違う、というほかありません。
自分自身でみつけるものです。

ただ、いくつかのポイントがあるのでしょうか。
ひとつは、人生において大きな方向感覚や自分を貫くもの、あるいは自分の軸をもつことでしょう。
あるいは流されていく人生でも、節目だけはしっかりと将来をイメージしてみるとか。
また、自分が働いている組織が気に入っている場合や組織がもっている理念や価値観に納得できるとき、自分が職業生活を歩む上での拠りどころとしているものと可能な限り共振させて仕事をしていくことでしょうか。
たとえ、企業の価値観や実態と自分の拠りどころが衝突することがあってもよいのです。
そのうえで共振させる、共振できることが大切ではないでしょうか。

私は、ソニー子会社で当時の社長の経営行動に共振させていましたが、社長が定年退職されると同時に、私自身と共振できる相手がいなくなりましたから退職しました。
私が共振できるのは、企業の価値観や理念ではありません。
私の場合は、必ず対象が人なのです。

よい企業だけでは物足りないのです。
自分自身が躍動するのは、職業生活に限らず、そのような人の存在がベースにありました。
ソニー子会社を退職してからも共振できる人物を求めましたが、残念ですが、共振できる人物はいませんでした。
人生でそのような人との出会いが多数あること自体がめずらしいのでしょう。
とくに今の時代のように、人間は多いですが、尊敬できる人物がいない時代は、私には生きにくい時代でした。

自分が追求したいと思うものに従い自分を貫くという姿勢は、個人の拠りどころ(キャリアアンカー)をなにに求めるかで違ってきます。
私はキャリアアンカーを人に求めただけであり、多くの人たちは、人であり、家庭であり、企業であり、組織であってよいのです。
大切なことは、企業や組織の価値を共有しながらも、しっかりとした自分があることが重要なことではないでしょうか。

キャリアアンカーとは、米国の組織心理学者エドガー・シャインによって提唱された概念。 ある人物が自らのキャリアを選択する際に、最も大切な価値観や欲求のこと、また、周囲が変化しても自己の内面で不動なもののことをいう、とされています。

ひとつの企業で長く働くことも大切なことです。
とくによい価値観や理念をもつ企業であればなおさら、そのような企業と自分の価値観を共振させながらよい仕事をしていくことが可能となるでしょう。
会社を通して社会のための仕事をすることは、社会の役に立つ仕事をしていることで個人の生き方に価値を見出せることになります。
それは社会のため=自分のために働くという意味がある人生を送っていることではないでしょうか。

私は、本来であれば経営者タイプなのですが、それができないことでサラリーマン生活をしましたが、どんなによい価値観や理念があっても満足できず、人を求めるという性格ですから、一般的な人とかなり違う人生を歩いてきただけだ、と思っています。

職業生活(キャリア)の問題は、よい社会、よい会社にいたとしても究極的には、個人の問題です。
また、職業生活は、個人が仕事の場を通して自分探しをするという内面的な思索を伴う旅でもあります。
本来、人生そのものが旅なのですが、また、偶然を味方にしながら死ぬまで続く旅ですから、個人の人生には、職業生活と自分の人生という轍を作っていくという二面性がありそうです。
轍は、交わることがありません。
ほどよい間隔で轍ができることが理想的なのでしょうが、轍がうまくできない関係は、人は、職業生活と自らの人生をどのように生きるかという選択を突き付けられているときではないでしょうか。

ここがむずかしいところでしょうか。
会社生活(職業生活)は、自分の人生と重なるからこそ、自らの価値観や信念をもっている人には、轍がうまくできないような状況、いわば自分の価値観や信念と職業生活のベクトルが合わず苦しい場面がでてくることもあるでしょう。
このような場面というのは、自らの節目と感じるときでしょうから、本来であれば「人生いかに生くべきか」と問うタイミングなのでしょう。
それがうまく個人のなかでできないと職業生活に流されてしまい自分の人生の意味や自分の存在意義を見失ってしまうことになるのかもわかりません。

その意味では、人生における危機を危険と機会と思える人には、自らの価値観や信念に基づき、自分の轍を作るために行動することができるのだと、私は、本などで学びながら考えてきました。
そして、今の人生に辿りついています。
職業生活が個人の問題である以上、この問題は、個人が自分自身で考えて行動していく以外にないのだと、私は独断で思っています。

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