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ベンチャーほど失敗を視野に入れて挑戦するものだ

私は、ベンチャー企業に限らずその他の企業おいて、あるいは人間においての基本は“挑戦”することだ、と考えている。
“挑戦”という言葉は、かなり高い目標に向かっていくイメージがあるが、私は、目標の高さもさることながら目標を完遂するための原理原則を学び、その“実行”、あるいは“行動”だ、と捉え得ている。

ベンチャー企業に在籍した経験からすると、わずか4社ほどだったが、いくつかのパターンがあった。
そのうちの2社は、独自技術をもって創業していたが、1社は「撤退基準」をある程度もっていたと言える。
理由は、事業計画の未達等で株式公開をおこなうことができなかったが上場会社へ事業の売却をおこないベンチャーキャピタルや社員へ迷惑をかけることなく撤退できたからだ。
また、経営者は、相応のキャピタルゲインを得ることができ設立出資に報いたものになったように思う。

4社とも当初計画の目標達成にはほど遠かったが、もう1社は上場後、大手企業に対する株式割当増資を数回おこない、なんとか生き延びてきたが、当然、株価は長期低迷し、現在、すべての事業を他社へ売却している。
他の2社は、1社は独自技術をもっているとされたが事業化途中、いわゆる研究開発途上で開発を断念し、4年目に破産した。
事業途上で表向き業績悪化だとされていたが、実際は、ベンチャーキャピタルをはじめとする投資資金が底をつき社員の早期退職がおこなわれた。
また、この際、社員へ賃金一律カットの提案がおこなわれ、労働組合が結成され、しかも整理解雇と称して組合員だけを対象とした解雇をおこなうなど雇用問題を悪化させていた。

さらにもう1社は、同業種の経営者(オーナー)達による出資で立ち上げていた企業だが、業界内の専門的な知識、事業運営ノウハウ等をしっかりともっており、現在でもコンスタントに成長させている。
株式公開を目指していたが、事業運営における会計処理に課題があるとして、株式公開を中止するようアドバイスした。
現在、出資企業を中心とした運営で着実に事業の成長を図っている。
株式公開を目指しても、多くの点で株式公開要件に抵触すると思われるので、非公開型の事業運営が妥当なところだ。

新規事業はほとんど成功しないというのは、世の中でいわれているとおりで、私がみてきた狭い範囲でもなかなかむずかしいものだった。
また、成功している場合、既存ビジネスの延長線上に、新しいビジネスモデルを付加した場合だけだった。
この点からリスクコントロール(撤退基準)を明確にしておく理由がある。このような対策がない場合、むやみに突き進み、多くの利害関係者に迷惑をかける結果となる。

この点で、かなり前の話だが、マザーズに上場した株式会社エフオーアイという会社の問題は参考になる。
この会社の簡単な内容(Wikipedia参考)は、次のようなものである。
「有価証券報告書に記載されている2009年3月期売上高は118億円としていたが、実際は2億円程度であったことが2010年5月中旬に判明。粉飾の手口は出資ファンドからの出資金を簿外に移した後、製品の売上金として計上する手口で売上高を水増ししていたり、[1]架空の仕入先に代金を振り込み、架空の
売却先からの受注があったように装い入金させることで架空の売上を計上。[2]上場審査時の粉飾決算が明らかになったのは初。また、新規上場から上場廃止までの期間は過去最短となる」

要は、事業運営の実態がない架空の会社を上場させていたということだ。
このような実態から監査法人、東証等多くの関係者の責任問題に発展している。
この会社の社長は金融商品取引法違反ですでに逮捕されているし、会社もすでに破産し上場廃止となっているが、この問題の深刻なことは、この経営者が大手電機メーカーの出身者であり、ビジネスに精通していたことだ。
一般的に大手企業の経営を主導している立場にいた人というのは、起業における先導者として高いポジションで評価を受ける。
しかし、このケースは、むしろこれが仇となった格好だ。

私が経験した1社も同様に、大手企業において取締役まで務めた方であったが、本人がもつ「自信や自負心」からすると、なんとも危ないマネジメントだった。
私は、少なくともこのような経営者がもっている資質をみながら仕事をすることにしている。
大体において、このような自信過剰タイプの経営者は、真っ当な話に耳を傾けることがなく、逆に経営における専権的人事権を行使することが多い。
このようなタイプの経営者は、本来事業において「的確な人選が必要なところ」だが、往々にして不適格な人選をおこなうことが多いと思われる。
人事には、あらゆる面で経営者の経営哲学が現れるし、その企業を作っている骨格となる。
まさに、“企業は人なり”である。

事業運営上「予算実績比較を徹底する必要がある」が、ベンチャー企業に限らず、これがまた徹底されていない企業が実に多い。
予算実績管理ができている企業は、完璧ではないが人の人選がそこそこできており、予実管理が行動計画の源泉としてある程度徹底されている。
また、ある程度は経営管理能力がある社員を人選して事業をおこなっており、経営者がおこなう経営戦略を現場レベルの経営戦術として実践していた。
また、予実比較をおこないながら次のアクションプログラムに結び付けていくことができる。

本来、経営者と社員は、仕事を通したビジネスライクな関係に基づき的確な連携プレーがおこなわれ、戦略レベルを戦術レベルに転換し、事業計画の目標を達成していくことが要求される。
経営者と社員は、それぞれが経営戦略と経営戦術の役割と機能を分担しながら、事業運営をおこなうことで、ビジネスにおける良い結果を生み出すものだ。

だからといって、人間だから飲みにケーションまで否定しないが、ビジネスの本質はドライなものだ、と私は考えている。
ソニー子会社時代、仕事は、仕事であり、そこに人間的な関係はなかった。
評価は、仕事の結果(成果)だけである。
企業における人間関係とは、突き詰めれば仕事を実行するためだけにあるものだ。

人間があって、その仕事があるわけではない。
仕事があって、その人間が存在しているのだ。
もっとも、私は新たなことに、どんどん挑戦していたが、それは「仕事の報酬は仕事」というソニー哲学があったからだろう。
企業というところは、成果が出せない人間がいるところではない。
厳しいようだが、管理職や経営職などは、Up or Outが、ビジネスの本質だ。
成果を出してきたからこそ、企業を変わっても長く付き合うことができる人間関係になるのだ。

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