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ゴミだと思えるものから宝をみつける力

経験したことから学べる事実は本来すごいものだと思う。
この意味で、ベンチャー企業や創業期の経営は生の体験そのものだった。
実体験の価値は、これからも再評価されるだろうし、多様な解釈や見方の余地を残す現実を実際に体験し記述することで、情報の収集や活かし方というスキルが向上し、その人独自の視点や見識が生まれてくる、と思っている。
この意味で多くの人が経験を通してビジネスについて書くことはよいことだろう。
他方、情報の量が増し、情報の選択だけに時間を費やしていると、生の体験から遠ざかってしまうという問題が生じる。
まさに今の時代だろう。
私も振り回されているが。。。

本来、他人の観点や解釈が加えられていない生の体験をすることで、情報の取捨選択や活用するスキルが磨かれていくのだ、と私自身は体得できた。
しかし、現在では生の体験が少なくなり情報に振り回されているところだ。
お仕着せの解釈をきれいに語るスキルも重要なのだが、自らの見識に基づいていないと、学生時代のように正解探しばかりが仕事になってしまうようだ。
多様な解があるビジネスでは、体験はより重要であり、企業が成長するための有効な解は、企業の現場にしかない。
現場の生の体験を積むことで、何に着目し、何を優先させるかが、鮮明になってくる。
一見するとゴミの山にようなところから自らの見識で、注目すべきことを嗅ぎ分けることが重要なのだが、嗅ぎ分ける感覚は、実際、生の現場で磨かれていくものだ、と知った。

このような仕事のやり方は、他の人からみると無駄の連続に感じるだろうが、ある人が、仕事について「ゴミだっと思っていたものの中に宝の山がある」と書いていたが、その通りだとわかった。
仕事ではあったが、ごみの山のようにみえるなかから、自分の見識や視点をもって這い上がっていく(何をしていけばよいのか、何が大事なのかを考えながら)過程の中で私の嗅覚は磨かれた。
大体、毎日おこなう仕事自体、それほど大きな価値があるように見えないものだ。
しかし一人一人の小さな仕事が連携しあっていくと大きな力になっていく。現実は、毎日このような小さな作業(ゴミにみえる)の連続だが、ときとしてそのような仕事にスポットライトが当たることがある。

例えば、労働基準監督署の立ち入り調査などだ。
毎日基本どおりに着実に仕事をおこなっている企業では、結果として大きな問題や課題は残らない。
相手(労働基準監督官)が必要とし、納得できる解をしっかりと説明できる
からだ。
このような厳正な事実は、社員一人一人の仕事によって決まる。
とても管理職一人だけで対応できるものではない。
社員数が10名程度あれば可能だろうが、500名以上ともなれば間違いなく
社員一人一人の仕事に負うことになる。

リスクどころから、このような事実から社員一人一人の仕事の価値が理解してもらえる。
毎日つまらないという前に、やはりやるべきことは、その日のうちに基本どおりしっかりとやっておくことが大切だ。
毎日の仕事における経験など知れたもののように思うが、企業が成長していれば必ず課題があり、それを克服することで次の成長へつながっていく。
小さな経験でも、ここが大切だ。
事実、現場が強い企業は手強い。

企業実務の重要性は、このような一見つまらないと思える事柄の中に大切な要素が眠っている。
日常的につまらないと思える仕事をきちんとやることが、より良い解を見つけるための最良の方法になる。
なぜなら、企業が成長していれば、そこに必ず問題や課題が発生するからだ。
だからこそ、ゴミだと思うような仕事でもきちんと向き合うことができる人は、毎日自分を磨いていることになる。
生の仕事の経験を通して仕事における重要部分の理解や優先順位づけ、あるいは改善点などが的確にできるようになってくる。
仕事の宝とは、案外ゴミにみえるようなところに存在する。
多くの人たちは、このことを知らない。

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