silentが心に残るわけを考えた
美しいドラマに出会えた秋冬だった。
『silent』このドラマは、特別だったと思う。
これまでのドラマと違った。
何度も見返したくなる美しさがちりばめられていた。
等身大
まずは言葉。
セリフがセリフではなく言葉だった。
例えば最終回での想のお母さんの言葉。
紬と想の話をしている時、「きっとやっぱり」と言っていた。
言葉を綺麗に見せる時には出てこない言葉。でも、実際に話してると出てきてしまう言葉。
ドラマのセリフは綺麗すぎている。
例えば友達を慰める時、こんな言葉言えてればそりゃ親友になるよな〜と、視聴者としては思ったりしていて。
私は話すのが下手っぴだから、ドラマを見ながらこんな言葉言えたらとよく思っていた。
でも人生に台本はない。
なので、言いたい綺麗な言葉をうまく言えることはあまりなくて。失敗しちゃうこともあって。
ドラマはそれがないからドラマだと視聴者として感じていたんだな。と思わされた。
綺麗すぎない言葉がsilentにはあった。ありのままだった。
次にスマホの使い方。
湊人が想に「今日か明日〜〜」と連絡する場面。
「今日から」とうって、「ら」を消して、「明日〜〜」とうった。
普通のドラマだったらないシーンかもしれない。
実際に私もうってみると、「今日から」が変換の一番最初に出てきた。同じ文章をうちたい時、同じようにスマホを操作するのだ。
わかる、となると、共感が一気に芽生える。
最後にロケ地。
実際にある電車、実際にある駅、実際にあるお店。
この街で想と紬たちが生きているんだと感じられることでより物語が身近になるのだろう。
そりゃ聖地巡礼したくなる。
出演者たちが、ドラマの中ではなく、日常の中にいる。
これこそ等身大の姿なのだろう。
余白がある
最終回、何気ないデートの1日で終わった。
そこでの想と紬の耳打ち。
きっととっても大切なシーンなのに、そこで何を耳打ちしていたのか私たちは知らない。
それがたまらなくいい。こちらに想像させてくれて、各々が描きたい最後を心に残すことができた。
そしてもうひとつ。
何年後、とか、この先の話が出てこなかった。
この先がどうなったかは誰もわからない。
例えば5年後に結婚したとして、そのシーンをドラマに入れる。でも、それが10年後までずっと幸せという意味ではない。
だから、今、手を繋いで、言葉を耳打ちして、嬉しそうな幸せそうな2人が見えるところで終わるのは、最上の終わり方だと思った。
私たちに妄想させてくれるから、想像させてくれる余白があるから、みんな満足して終われた。すごい。
何度も見返して、また自分なりの思いを見つけて、好きな言葉を見つけて、
日々を大切に生きていくための道標のようなドラマにできたら嬉しい。
silent本当にありがとうございました!
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