ぱくたそ加工2

あの頃の夢が叶いました。

約20年前から我が家にはパソコンがあった。おそらく一般の家庭よりもやや早めなのだと思う。その前にはワープロというものもあったし、私は小さい頃からそういった類のものに触れていた。

まあ、だから、小学校高学年では友だちとホームページを作ったり、かわいいフォントをダウンロードしてペイントソフトで文章を作成し、印刷し、ノートに貼り付け、交換日記もした。わざわざプリントして貼り付けるなんて今考えれば、紙の無駄である。だけどその”わざわざ”が楽しかった。

なぜ家にパソコンがあったかと言えば、父が印刷会社の営業マンで時々チラシの構成をしていたからだ。まずは手書きで、その次にパソコンを立ち上げて文字や写真を配列する。そして出来上がったものが、印刷工場で刷られてチラシとなる。(きっとそんなにふらっと工場に入ってはいけないのだけれど)その頃はそうして父の仕事を見ていた。インクの匂いの混じった父の作業服がだいすきだった。

なんとなく、こういう仕事がしたいな、と思っていた。気がする。


いつの間にか年齢だけが大人になり、私は食品会社に就職した。なんてことない、一般事務として淡々と業務をこなす。少しだけ出世もして、後輩もできた。それなりに楽しかったはずなのだけど、気づけば私は事務職の仕事を辞めて、動画制作会社やデザイン会社を経験することになる。

きっと、あの頃の父の作業服の匂いが忘れられなかったのだろう。

そんなクリエイティブな仕事への淡い憧れをしまい込んだまま、私は病気を機に社会から距離を置いた。

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運よく?同じ時期にコルクラボに馴染んできた私は、やさしいコミュニティに守られてかろうじて社会との接点を保ったまま生きていた。もし、一人だったら...というのは考えたくない。まだコルクラボに入って半年しか経っていないが、オンラインでもオフラインでもゆるい繋がりをもてたことは、とてもありがたいことだった。それでも、少し、引け目を感じていた。

『ただ居てもいい』

というのは、やはり難しくて、どんな些細なことでも貢献したいと、どこか思っていた。


そんな時に声をかけてくれたのが文化祭のPMメンバーの一人だった。

「チラシ、作ってみない?」

彼女は私の病気のことも知っていて、それでも頼ってくれたことが嬉しかった。デザイナーとして働いたことがない私だったけど、出来るだけやってみよう、と引き受けた。紆余曲折あったけどなんとか今日完成した。

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これだけインターネットが普及している時代に、”わざわざ”紙のチラシを作ることは無駄かもしれない。でもだからこそ、みんなの想いの詰まった企画を、一人でも多くの人に届けたいと思うから、ワクワクが伝わるようなチラシを心がけました。

私は将来デザイナーになりたい、と強く思っている訳ではない。それでも「誰かに何かを伝える」ということは根っこの部分にあるんだと思う。それだけは変わらないのだと気づいた。気づけてよかった。

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声をかけてくれたメンバーへ、出番を作ってくれてありがとう。おかげで忘れかけていた夢が叶ったよ。当日、たくさんの人に会えるといいねえ。

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なんだか、私的なお手紙のようなnoteになってしまったけれど、最後まで読んでくださりありがとうございます。

少しでもコルクラボや文化祭に興味を持ってくれた人は、ぜひ池袋に遊びに来てください。

▼コルクラボ文化祭の詳細はこちら



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