#41 何事にも感謝できる人になりたい
東日本大震災から13年が経ちました。13年前はちょうど中学校を卒業する時だったと思います。
卒業式の練習を終えいつも通りに帰宅をしました。テレビではどの局も津波や地震情報を流していました。当時ネットニュースなんて主流じゃないし、携帯も家にあるから帰宅してニュースを見るまで知りませんでした。
母はテレビの前でショックで涙を流し、私も訳がわからないままぼんやりとニュースを見ていました。
まさかこれが日本で起こっているとは思わず、どこか他人事のような気持ちもありました。
(子どもだったから許してくれ)
その時どんなに大変だったか、「大変」なんて一言で済むものではないと思いますが。その辛さは被災された方にしか分からないと思います。
ただ、ニュースを見ていると、家族や友人を失って、住むところも流されてしまった、そんな状況になっても今では前を向いて強く生きていらっしゃる方ばかりで、本当に本当に心から尊敬しますし、精神力が私なんかとは比べ物にならないと思います。
考えたくはありませんが、いつどんな災害が起こるかわからない時代です。極端に言えば、明日生きていることだって完全には保証されていません。(こういうことを考えると不安で寝れなくなるのですが)
なので私は後悔のないように生きたいんです。
話は変わりますが、私の住んでいる広島は1945年に原爆が落とされました。広島市では「国際平和文化都市」として、小学校から平和教育を徹底しています。
投下から78年が経ちました。焼け野原になった当時は「75年は草木も生えぬ」なんて言われていたそうですが、今ではこんなにも綺麗な街になりました。市民として誇らしく思っています。
一方で、被爆者の老齢化も進んでいます。被爆証言を直接被爆者から聞くことのできる機会が少しずつ減ってくるのでしょう。それでも我々はこの悲惨な過去を風化させてはなりません。
東日本大震災も同様、後世に語り継ぐ必要があるのかなと思います。
話があちこち行ってしまうのですが、先日リニューアル後初めて平和記念資料館へ行ってきました。正直、このような堅い場所は平和学習で訪れる学生か観光客くらいだと思っていましたが、実際は私と同じくらいの年代の方や家族など幅広い層の方がいて、土曜だったのでかなり混んでいました。
一番大きな変化は蝋人形が撤去されたことと、現物の展示がメインになったことでしょうか。この蝋人形の撤去には賛否両論だったようで(否の方が多かったような…)
ただ、被爆者によると、実際はこんなものじゃなかったとか。情報が一人歩きしないように撤去し、衣服や建物の一部、亡くなられた方が身につけていた現物を展示することで、訪れる人にその被害を感じてもらおうという趣旨らしいです。これまでに被爆証言は何回も聞いたことがあるし、平和公園にも何十回も訪れたはずなのに、じっくり展示物を見ていると涙をこらえるのに必死でした。
話は戻り、感謝について今回は書こうと思ったのです。ここまでかなり長くなってしまいましたが。
当たり前だと思ってる日常は当たり前じゃないのです。今日一日元気で過ごせたこと、家族でご飯を食べたこと、ふかふかのお布団で眠ること、全部ありがたいことなのだと思います。
あまり詳しくは書きませんが、私は幼少期に兄を事故で失っています。といっても物心がつく頃にはもう亡くなっていたので一緒に過ごした記憶はほぼないです。そして一昨年、突然の事故で祖父を亡くしました。まだ80だったので、少なくともあと10年は大丈夫なんて思っていたんですけど。当然だれも心の準備ができていませんでした。もっとお話しすればよかったな、どこか旅行に連れて行ってあげればよかったな、なんて思っても遅かったですね。
なので、後悔のないように、みんなが元気でいるうちに日々感謝を伝え、愛情を注ぎ(ちょっと重たいかな)生きていきたいなーなんて。
感謝をすることはとても大事です。そしてそれを言葉に出して伝えることはもっと大事です。
誰に対しても思いやりのある、あたたかい人になりたいと思います。
ここに書くだけではなく、行動に移せるように。
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