見出し画像

【サッカー】【日本代表】歴史的勝利の裏側にもう一つの勝利が見えた話

日本サッカーは先日、歴史的な日を迎えた。6大会連続で出場しているワールドカップにおいて、初めて南米のチームに勝利したのだ。

前半3分に相手がペナルティエリア内でハンドを犯し、PKを獲得するとともにレッドカードで一発退場。その後は10人で戦わざるを得なくなった。終始日本はボールを支配したものの、なかなかチャンスを作ることが出来ず、後半に直接フリーキックを決められ同点に追いつかれる。

しかし、大迫選手がコーナーに合わせて勝ち越しゴールを決めると、その一点を最後まで守り抜き、歴史的な1勝を手にした。

審判のジャッジに首をかしげるシーンはたくさんあったし、それはあかーん!というようなマズいプレーもたくさんあったが、なにより勝ったことが素晴らしい。

この試合が始まるまでは散々な言われようだったので、闘った選手をはじめとするチームは「どうだ!見たか!」と胸を張って言える試合になったと思う。

素晴らしい!

試合後のインタビューでは、キャプテンの長谷部選手や西野監督が、口々に「数的優位になったときの試合運びは大変難しい」と言っていた。僕自身、高校卒業までかなり真面目にサッカーをしていたので、気持ちはよくわかる。

10人になったチームは、「もうやるしかない」という背水の陣を敷いていて、メンタル的にはいい状態にある。一方で11人のチームは、「普通にやっていれば勝てる」というある種の慢心を強制的に作られてしまうので、注意しないと雰囲気だけでひっくり返されるケースが多々ある。

先ほどのインタビューを聞いた時、ふと以前読んだ本の中で紹介されていた、仏教の話を思い出した。

その本は、サピエンス前史。2016年ぐらいに、世界的なブームを巻き起こした本で、我々ホモサピエンスだけがなぜこんなにも繁栄したのかを、人類が誕生する250万年(だったかな?)前から現在に至るまでの経緯の中で説明している。

面白い部分はたくさんあったのだが、僕は仏教が生まれたときのエピソードが非常に印象深かった。

ヒマラヤの小王国の王子だったゴータマ・シッダールタは、自分の周りの人たちが、いつも苦しんでいるのを見てきた。貧困な人は富を夢見て、富を得た人はその倍を得ることを望み、倍の富を得た人はその10倍を渇望する。人間の限りない欲望が、不安や心配を引き連れてきていることに気が付いた。渇愛は常に不満を伴うというのが、彼の悟りだった。

そこで、渇愛することなく、物事のありのままを受け容れるための瞑想法を開発し、渇愛の火を完全に消し去ることに成功した。これが「涅槃(ねはん)の境地」である。この涅槃の境地に達した人は、あらゆる苦しみから解放され、完全な満足と平穏が訪れるというのだ。

勝利を目指して戦うスポーツにおいて、「渇愛」を消し去ることは不可能に近い。であるがゆえに、勝っていても、数的優位に立っていても、常に不安が付きまとう。スポーツというのは、この不安との戦いなのだと思う。

日本はその戦いに勝ったと言えよう。

歴史的大勝利。大いに喜びたい。

今日も勝つぞ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?