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「あなたが修士行ったら面白いと思う」と言われ、修士課程に進学した話

大学生の時、私は自分のやりたいことがよく分からず、自発的に動かなかった。

ずっと思っていたのだ。私はやりたいこともない、これといった情熱も何も無いし、居場所もないと。

大学卒業する頃になったら、自分には何か「天職」が降りかかるのかも?と、そんな他人任せの淡い期待をしていた。

実際、大学3年という就活開始時期になっても、大学4年生になり就活を始めても、「天職」が降りかかるなんてことは無かった。強く自発的な動機を持って何もしてないのだから、当然だった。

しかし、当時もらった一言で、少しだけ自分が見ていた世界が変わった。
その時期のことを、書き留めておこうと思う。



*****

大学3年生の後半、私の研究室(生物系)では卒業研究のテーマを決めだす時期になった。この頃の私は、「就活は皆と同じようにしなければ!!!(めっちゃ力みながら)」と意気込んでいたため、説明会に参加したり1dayインターンに参加したりしていた。そのため、就活と同時進行でテーマ決めをしつつ、先輩から基礎的な実験を教わるようになった。

ちなみに当時のテーマは、まずは試していこう!という段階のものだったため、自分で実験のやり方を組み立てる必要があったが、一人では難しく、周囲に沢山相談していた。

また、先行研究に関する英語論文も、初めの2、3本は先輩や先生に聞いた。私は書いてある専門用語がほぼ分からず、1字1句調べていた。一本読むのに3、4日かけたりしていた。

そして大学3年の2月頃、就活解禁を目前にしてもなお、論文を読み、実験していた。

「なんか楽しいかも」
なんて思っていた。色々できるようになっていく(気がする)自分が好きだと思えて、そして何かカッコ良いって思っていた。

今まで流れに乗って皆と同じことをしてきたからか、自分の手腕で何かやる、ということがとても楽しかったんだと思う。

私は就活に対しては「通過できそうな選考をこなす」をしていたし、研究活動に対しては「降りてきたことをキチンとこなす」を、楽しみながら続けられていた。はずだった。

段々と、就活からは少し目を背けるようになっていたのかもしれない。とりあえずフィーリングが合うところ、という気持ちで続けてはいた。しかし、私はやっぱりやりたいことがよく分からないなと思っていた。6月頃になると、リモートワークかなんかの広告を見かけて、「いいかも?」と思った私は、片手間でプログラミング始めたりしていた。すごく迷走していた。

その傍ら、実験はとにかく楽しかった。ゴールがあるからだろうか。計画してやってみて、結果を見て(ここが好き!)、次のことを考える。
そして英語論文を読んでいる自分も、読めている自分も好きだな〜なんて思って、ますます勉強しがいがあった。

ある時、私が実験室で作業をしていた時のこと。そこでは博士後期過程の先輩も実験をしていて、しばらくすると、先輩の実験の待ち時間になった。

唐突に、先輩が私に言った。
「修士、こないの?」

本当に唐突だったのだが、それは私がずっと心のどこかで迷っていた道だった。だから、正直に答えた。

「正直、分かりません、迷ってて…興味はあります」

その時は、そうなんだね、と言われて終わった。

しかしこの時を皮切りに、周りの人から、「修士行くの?」「めっちゃ実験してるのに行かないの?」と聞かれるようになった。どうやら私の話が、先輩から研究室の色んな人に伝わっていたらしい。(笑)

その反応が、「就活も疎かでドン引き」というよりはむしろ好意的で、余計悩むようになった。今思えば、面白半分で言われていただけだったかもしれないけど。

とにかく、自分で積極的に選んだことがなかった私は、就活がほぼ視野から外れながらも、1ヶ月は悩んだ。途中でフィーリングで受けていた会社から、1社だけ内定を貰った。

その間、進学についてどう思っているか、親に1度相談した。両親は、私が就活してることすらも知らなかったくらいには何も気にしていないようで、「とりあえず修士?は行っていいよ」との事だった。今でも、大学院がどういうものかも知らない両親が、よく進学させてくれたなと思う。ありがたい。

内定ももらった(1社だけど)。
親もOKくれた(分かってるか分からないけど)。

じゃあ、私はどうしたいんだろう?と考えた。
ここまで悩んでるってことは、私、やってみたいんじゃないか?
そう思うようになってきた。

悩みすぎ、論文読みすぎ、実験詰めすぎで、頭が沸騰状態な状態だったある日、「修士こないの?」と聞いてくれた先輩に相談してみた。

すると、うーん、と呟いた後に言われた。
「あなたが修士行ったら面白いと思うよ」

「あなたが修士に行ったら面白いと思う」


私が今まで言われたことが無い種類(?)の言葉だった。
相手の主観で、良いと思われたから?それとも悩んでるのをほぐそうとしてるのを感じたから?
とにかく、その時私は、あ、大丈夫かも、と思った。
酷く安心したことを覚えている。
自分じゃなくて、他人の言葉で安心してどうするんだって感じだけど。

でも、これを聞いた私は、
(もしかして、私はこの研究室で求められている?
楽しんでるだけなのに、自分の存在を良いと思ってくれてる人がここには沢山いるのかも。つまりやって行けるかも!)
なんて気持ちになった。今思うと甘いが。

しかし、そう感じられるようになってから、私は与えられた研究に本気に励むようになった。

そして大学生がみんな夏休みに入った8月頃、私はひっそりと内定を貰っていた会社を辞退させていただき、大学院への進学を決めた。


*****

楽しいと思って目の前のことをやってたら、背中を押してもらえることがある。

それをこの時初めて知った。

本当に何も無いと思っていた私にとっては、楽しめたことを続けることは、居場所ができる手段になった。

私のような気持ちでいる人がいたら、楽しめる場所を自分から探してみてほしい。
たとえば、今大学3、4年で、実験や研究が楽しければ、その気持ちのままやるべきことを頑張ってみる。

もしかしたらそれを見ていた人が、背中を押してくれるかもしれない。

#あの会話をきっかけに

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