乖離。

何も出来なかった。ただ眠い。体にあんまり力が入らず輪郭がぼんやりとする。
生理が近づいているみたい。つまりいつもの事である。特別でない事。よくある事。日常。
だからきっと耐え抜けば生きていられる。どんな気持ちになってもこの期間をやり過ごせばいいだけである。こんなに落ちても次の瞬間に笑っていたりする。大丈夫だと言いかせる反面、どうしようもなく全てが億劫にも感じる。虚しい抵抗をいつまで続けるんだろうと、ふと感じてしまった瞬間、気力や体の力が抜けていく。目の前が暗くなり、体がズシンと重くなる。


色んな私がいる。誠実に頑張りたい私。誰かの為に生きたい私。と、
もう頑張れない、頑張りたくないと逃げ出したい私。他人の気持ちの介入が邪魔でしかなく、優しさも冷たさも等しく痛みに感じてしまう私と。


苦しみは誰もが抱く感情だから、こうやって書き出せば殆どの人が共感できるのではないかなと思う。よくある感情。よくある苦しみ。だから甘えるな。みんなそうだ。苦しくても頑張っている。と言われれば、そうだよな。と思う。何故ならそれは、私自身が25年の人生のうち23年間くらいまでは、他人の為に生きて来たからだ。みんなそうだと思う。みんなそんなもんかも知れない。産まれてから死ぬまで、誰かのなにかの為で死んでいくのかも知れない。けれど少し、疲れてしまった。今はただ疲れた。

軽くなったり重くなったりする。昨日と今日で全然違う。だから明日にはケロッと楽しくやってるかもしれない。けれど突然、こうやってドブの底みたいに汚く暗いところに落ちてハマる。落ちる度にここにいることへの抵抗が薄まる。落差が激しい分、ずっとここにいた方が楽なんじゃないかと考え出す。いかれてるってやだな。自分が一番、しんどいです。甘えててごめんなさい。上手く生きれなくて申し訳ないです。みんなが出来ることが出来なくて、それでも私は生きていたくて、すみません。出来れば幸せになりたいです。
こんな気持ちはつらいです。

ぐじゃぐじゃの頭の中で、色んな声が聴こえてきて、その中に死にたくない。生きたいという声もあれば、今すぐ死にたい。今なら死ねる。そんな声もある。その中から、なるべく全部を否定しないように、刺激しないように、宥める作業を繰り返す。地味で不毛だ。よくなるかも分からない。これから先ずっと続けていくのかもしれない。
それでも、環境が変わって3ヶ月ほど経った今、前より出来ることは増えたし、少しずつ調子のいい日も増えている気がしている。


淡々と、うるさい時ほど、大事に静かに接する事。狂いそうでも1つずつ、その暴言を聞きいてみること。結局生きたいんだから、今の私にはこれしかない。早く安心したいです。


でも、いい事もちゃんとあります。
最近眠れる夜が増えてうれしいです。みんなも少しでも眠れる事を願ってます。
また書きます。


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