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朝倉宗滴で考える🤔~想いは子孫に伝わるか否か~

朝倉宗滴(朝倉教景)という武将、皆さまは、ご存じでしょうか?本人は戦国大名ではありませんが、戦国大名朝倉氏の一族(名家中の名家)で、越前(福井県)では戦国時代の名将として名高い存在です。ただ、少し全国区には及ばなかった感じの戦国武将です💧(私にとっては十分全国級ですが)
で、活躍した時代は、織田信長躍進の少し前といったところです。

さて、知らない方が多いかも知れませんが、この方、一説には「今すぐ死んでも後悔はないが、後三年、織田上総介(信長)の行く末が見たい…」と言い残して死んだと言われる人物でもあります。メッセージ的な意味としては、「織田信長は伸びて来るぞ!やばいぞ!」みたいな感じでしょうか?

そして現実はその上を行き、子孫はお家ごと滅ぼされてしまうのですが、その先見の明は凄いものがあります。

ただし、それは結果論であって、実際当時を想像しますと、朝倉家は絶頂期⤴️ですし、周囲(ファミリー・家族)の受け取りは、「おじいちゃん気にし過ぎ~」的な感じか?酷ければ、「朦朧(ボケ)したか?」と思われたかも知れません。

でも、このおじいちゃん👴ただのおじいちゃんではないんですね~💦

このおじいちゃんが、子孫に託したメッセージ集(※下写真・朝倉氏の家訓)によると、「人生で出陣したのは十二回、そのうち野戦は7度、自分は常に兵卒の前を行き、その為、従わぬ者はなかった」と書かれています。ただの名家のボンボンではなかったようですね💦

※朝倉宗滴話記を中心に、初代・朝倉孝景条々や築城記など、朝倉氏に関する資料が、わかりやすくまとめられている。

この「朝倉氏の家訓」ですが、内容は明らかに一般人に向けて書かれたものでなく、タイトルの通り、「本当に子孫に伝えたい!」気持ちがわかる書き方をしています。

詳しくは、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館に問い合わせして、ご購入して頂きたいのですが、人(部下や領民)の動かし方から、戦場での心がけや、陣立て、築城のノウハウなど、当時としては、門外不出級の資料ではなかったか?と思われます。

ここで、今回の投稿のサブタイトル~想いは子孫に伝わるか否か~ですが、私は、「この方の子孫は家訓を読んだ(または聞いた)」と思うんです!
ただし、伝わらなかったのではないか?と…💧

その対策というか、注意・叱責が、宗滴の「織田信長は伸びて来るぞ…」という言葉ではなかったか?

もちろん、この家訓を守っていたとしても、織田信長の侵攻を耐え凌げたとは思えないのですが、少なくとも最後の当主、義景(宗滴の次の世代)は努力次第で、武田氏や上杉氏、北条氏、今川氏といったメジャー級(認知度全国区)にまでは、上り詰めれたような気がします。また、実際にそれだけ格式も実力もあるお家でもあっただけに、本当に残念でなりません。

※昨年の大河ドラマ「麒麟が来る」では、この方が宗滴の子孫でもある、最後の朝倉家当主(義景)を熱演。

「朝倉宗滴」、大河ドラマは難しいとしても、どんな形でか、ドラマ化して欲しい戦国武将であります。

【まとめ】
想いを子孫に伝えることは出来るが、子孫がそこから学べるかどうかはわからない。ただし、伝えたいことが素晴らしい内容であれば、子孫ではなくとも、何者かがその想いを引き継いでくれ、広く書物として刊行される可能性がある。

※今回も、長文お付き合い、ありがとうございました。