誰もが暮らせる地域づくりを 南大阪自立支援センター 石野英司さんインタビュー vol.1
NPO法人福祉のまちづくり実践機構ではホームレスや障がい者、ひとり親家庭など職につくことが難しい人たちを就労につなげるしくみづくりとして、「行政の福祉化」の発展につながる調査研究に取り組んでいます。
このnoteでは、「行政の福祉化」に関わるさまざまな情報をお届けしていきます。
堺市の株式会社い志乃商会では50年以上前からおしぼりやリネンの事業を中心に障がい者雇用を続けてきました。2013年には営利企業のい志乃商会だけではなく、NPO法人南大阪自立支援センターを設立し、ともにーしょうりんじ(A型・B型事業所)やどりぃむワーク(B型事業所)でリネン業を中心にすえた、福祉的就労の場もつくり出しています。
また、刑務所から出所してきた人(刑余者)や罪を犯した障がい者(触法障がい者)の社会復帰や生活支援にも取り組むなど、誰もが暮らせる地域づくりもすすめています。代表の石野英司さんにお話をお伺いしました。
1回目は株式会社い志乃商会が障がい者雇用を始めるきっかけについてのお話です。
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株式会社い志乃商会
NPO法人南大阪自立支援センター
株式会社い志乃商会では、宿泊施設やジム、サロンにおしぼり、リネン、タオルの貸し出しとクリーニング事業を行っています。並行して、訪問看護事業や相談支援事業も行っています。NPO法人南大阪自立支援センターでは、障がい者が日中働ける支援事業や放課後等デイサービス事業などを行っています。
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父の代から障がい者雇用を始めて
ーー株式会社い志乃商会さんで障がい者雇用が始まったきっかけを教えていただけますか。
障がい者雇用を始めたのは親父の代からです。すながわ高等支援学校(当時は佐野養護学校)の進路の先生が近所に住んでいて、通りがかりでよくうちの仕事を見ていたそうです。その先生に「自分のところの生徒を実習させてみてくれへんか。1人で一人前にはならんけど3人ぐらいで一人前になる」と言われ「じゃあ、つれてきたら」というのが始まりです。当然障がいのある人は外に出ない時代なんでお母さんたちは喜んでました。給料は最低賃金を払っていました。
ーーじゃあ元々障がい者の人が働く姿についてはなじみがあったんですね。
私が物心ついたときから、会社には大勢いらっしゃいました。働いている人の障がいの度合いも、今で言う生活介護の必要なレベルの方もいらっしゃいました。重度の方は階段の上り降りができないから後ろからおしりで降りたり、働きながらオムツしてた方もいらっしゃいました。
一人前の仕事はできないので、例えばおしぼりを洗濯機に出したり入れたりするのに3人、使ったおしぼりを汚れのひどいのとひどくないのに選り分ける作業に3人というふうな具合で、多いときで27名ほどいました。
ーーそれだけいると大変だったと思いますが。
ここで私が働き出したのが18か19歳でしたが、そのときは10数名おられました。軽度の方も多かったので、けんか、お金がなくなるトラブル、ほかには汚いおしぼりで顔を拭いてしまって目が腫れたり、中に入っていた食べ残しを食べてしまってお腹を壊して病院に連れていったりと四六時中毎日何かがありました。
ーーお仕事はい志乃商会で受けて、NPO法人にも協力してもらっているという形ですよね。そうすると、納期を守ったり、品質を保ったり、営利企業としてお仕事を回していかないといけないということになると思いますが、そういったトラブルが起こる中で毎日の仕事をやっているわけですか。
そういうことになります。ただし、障がい者といってもみなさん仕事はちゃんとできます。一人前にはできないんだけど、例えば3人4人集まれば、一つの仕事ができる。それに、何と言ってもみなさん休まないし、さぼったり、文句を言ったりせずに朝から晩までやってくれるので助かっています。
触法障がい者や刑余者の支援に乗り出す
ーー障がい者就労からさらに触法障がい者や刑余者の支援に乗り出していったきっかけはなんですか。
障がい者就労の頃から、仕事の帰りに物を盗んだとか、ちょっとイライラしたから火つけたといったような罪を犯して、お仕事の帰りに捕まったりという方が多々いらっしゃったので、その延長で警察に行くようなことがしょっちゅうありました。
保護者に引き取りを拒否されるので、身元引受人として警察に行って、一時預かりでうちで預からせてもらっていました。
その延長線上で本格的に刑余者の方を支援していこうと始めたのがきっかけです。
ーー現在どれくらいの刑余者の方が働いてらっしゃるんですか。
NPO法人のともにーしょうりんじ方ではA型とB型の事業所があり、クリーニングの仕事がメインです。どりぃむワークはB型事業所でそこでは軽作業をしています。また施設外で企業さんに働きに行ってる方やマンション清掃などを行っています。それから大阪府から調達した水道メーターの解体の仕事があります。分担は本人に選んでもらっています。今は外に働きに行っている5名のうち4名が触法者ですね。
次回は刑務所を出た方の社会復帰について、出所直後から石野さんがどのような支援を行っているかについてお伺いします。