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逃げ。

最近のわたしは、「逃げる」を選択して生きている。

就活を辞め、
大事な学校行事も行かないを選択した。

なかでも、いちばん逃げていると感じるのが、
友人との関わりだ。

いつも、誘ってくれるのに、
いつも、理由をつけて断ってしまう。

なぜか、友人に会うのを拒んでしまう。
なぜだろう?
そんな疑問を抱いたときに、
一冊の本に出会った。

そこには、

友人関係において、グループ内での自分の立ち位置や「キャラ」が決められていて、一度決められると、変えることができない。これもしんどいと思います。
一度「あなたはこういう人だよね」と断定されて、キャラが固まると、周囲と上手く付き合うためには決められた「キャラ」を演じ続けるしかない。中高一貫校のように、狭いところで人間関係が長期間続くと、一度決まった「キャラ」を変更することは容易じゃないです。

『生きづらさについて考える』内田樹

との記載があった。
とても、納得した。
これが原因で友人に会いたくないのだと思った。

わたしは、友人と中学の時から現在まで、
同じ学校に通っている。

中高までのわたしは、
ヘラヘラしていたので、いじられキャラ。

いじられても、笑ってれば、
周りも笑ってくれるし、友達でいてくれたので、
そんな自分でいることを全く嫌だと思っていなかった。

むしろ、この環境で生きるために、
笑っていじられキャラでいることを
自ら、望んでいたのだと思う。

しかし、大学生になり、ありのままの自分でいたいと思うようになった。
それでも、友人関係は中高から変わらないので、
ヘラヘラキャラを演じることになる。

悩んでいることがあっても、
「いや、悩んでないけど。」みたいな素振りを見せながら、

愚痴を言うかのように、自分の悩みを笑い話として、
友人に共有することで、
そのグループでの存在を見出していた。

それから、大学外部にもいろいろな人脈ができた。
そこでは、わたしが望むわたしで、人と関わることができたので、
とても楽だった。

なのに、友人といる時、わたしはどうして素直になれないのか。

友人にではなく、自分の立ち振る舞いに落胆する。

そんな、自分に嫌気がさし、友人に会うのがどんどんと
億劫になった。


いつもに増して、色々な不安や悩みを抱えた不安定なわたしは、
当たり前のように、彼氏がいて、
進路が決まっている友人と比較してしまう。

だから、
自分が持っていない幸せを形にしている友人を目の当たりにするのが
怖いのかもしれない。

友人と同じ土俵の話題を提供できないことが、
わたしにとって、とても苦しくしんどいことなのかもしれない。

そんな、「かもしれない」に怯えて、
友人と向き合えない。

たくさん誘ってくれるし、声をかけてくれることに一喜一憂するも、
「会いたい!」と素直な気持ちになれない。

今は、友人に変なマウントを張り、
変な気を遣わせてしまいかねない。

わたしが、対等な友人として向き合えるまで、
もう少し時間をください。


なんて、わがままなんだろうな。


でも、こうやって逃げている自分にとことん嫌気がさし、
消えたくなったので、
新たな挑戦をしてみようと決意した。

まだ、言えるような状況にないので、
落ち着いたら、記録しにこようと思う。

今日のわたしは、逃げに逃げたので、
大っ嫌いだ。
だけど、
この挑戦をしたおかげで、ちょっとだけ好きになれた。


もっと、わたしを好きになれる行動を増やしていこう。
自分の納得する人生を歩もう。

以上。わたしの醜いお話でした。
今日も、最後まで読んでくださりありがとうございました。


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