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コラム「境を越えた瞬間」2022年10月号-長田直也さん‐

プロフィール

長田 直也(おさだ なおや)

SMA当事者

1993年、日本中が脱力の深ーいため息を吐きまくり、国内の二酸化炭素濃度が2%ほど急上昇した「ドーハの悲劇」。その濃度が落ち着いたちょうど2ヶ月後誕生。
趣味は現実逃避。趣味が行き過ぎて、大学院では、地球外生命体がいるような星の発見方法を真面目に研究。
体力と気力が低めで、活動の波が激しい。


あえて境を創る


境を越えた瞬間。

なかなか抽象的なテーマである。国語のテストであれば、後回しにするのを推奨されるやつだ。誠実な私はそんなアドバイスを忠実に守り、半年以上後回しにしていたが、流石に取り掛かろうと思う(既に1ヶ月締め切りを過ぎていることは、ここで編集委員にお詫びしたい。「締め切りを越えた瞬間」ならいくらでもあるのだが)。

そうは言っても、なかなか浮かんでくるものでもない。
こちとら生まれてこの方28年間障害者をやらせてもらっているので、何が境かもよくわかっていない。環境に恵まれていたこともあり、保育園から大学院までいわゆる地域で過ごしてきたため、大きな環境の変化もなかった。もちろん自分が周りと違うことは自覚していたし、苦しい経験もそれなりにあった。だからといって、子供ながらにその状況を半ば諦めながら受け入れていた。

そんな自分でも、恐れていた境が一つだけあった。
親と子の「境」である。
実家にいるときは、一日数時間はヘルパーがいるものの、ほとんどの時間親に介助を頼まなければならない。そんな状態が何十年と続くと、お互いの境界線は曖昧となっていく。
食事を例にしてみよう。
自分が本当にこのブロッコリーを食べたいのか。親の食事介助の都合で口に運ばれたのか。好きで食べているのか。健康のためなのか。誰のための健康か。そこに自由意志はあるのか。

そんな思いを巡らせながら、ブロッコリーを食べる日々が後何年続くのかと想像すると、恐ろしかった。夢に出てくる前に、一人暮らしがしたくなった。
そうこうしているうちに、自立生活センターという存在を知り、一人暮らしの始め方を学んだ。自分という境を守るため、必死だった。

そして24歳の冬のある日、自分は新居にいた。市役所での転入手続きや荷解きなどで、食事をする暇もなく動き続け、疲れ切っていた。夜になって落ち着いた頃、ふと近所のラーメン屋を目指し、寒空の下、介助者とともに白い息を吐きながら歩いていった。そこで食べた一杯のラーメンが、これがまあ、美味し・・くもなく、不味くもなかった笑。こんなときでも冷静な自分と、そのラーメンを選んだのはたしかに自分だという事実、これから先の選択肢の多さに、思わず表情が緩んだ。


一人暮らしをしてから、時間を気にせず友達と外出できるようになった。


境を越えてでは、毎月「境を越えた瞬間」というテーマで、福祉や医療、障がいに携わる方にコラムの寄稿を依頼しています。
2022年4月号よりnoteでの掲載となりました。
それまではメールマガジン「境を越えて通信」での掲載となっていましたので、バックナンバーを順次noteへ掲載しているところです。バックナンバーもぜひご覧ください。