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受刑者にとって「待つ」とは!? 戯曲「ゴドーを待ちながら」に挑んだ受刑者の実話をもとにした映画『アプローズ、アプローズ』

2022年7月29日から、映画『アプローズ、アプローズ』が劇場公開となりました。受刑者が、サミュエル・ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」に挑み、刑務所の外での公演を見事成功させていく物語なのですが、予想外の結末が最後待っています。フランス映画としてフィクションの物語ではありますが、スウェーデンの俳優ヤン・ヨンソンが1985年に体験した実話をベースにしているようです。

以下、Webサイトの作品解説より。

囚人たちの為に演技のワークショップの講師として招かれたのは、決して順風満帆とは言えない人生を歩んできた崖っぷち役者のエチエンヌ。彼は不条理劇で有名なサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を演目と決めて、ワケあり、クセありの囚人たちと向き合うことに。しかしエチエンヌの情熱は次第に囚人たち、刑務所の管理者たちの心を動かすことになり、難関だった刑務所の外での公演を実現するまでに。
ただ思いも寄らぬ行動を取る囚人たちとエチエンヌの関係は常に危うく、今にも爆発しそうでハラハラドキドキの連続。その爆弾は、舞台の上でもいつ着火するかわからない。ところが彼らのその危なげな芝居は、むしろ観客や批評家からは予想外の高評価を受けて、再演に次ぐ再演を重ねる大成功!そして遂にはあのフランス随一の大劇場、パリ・オデオン座から、最終公演のオファーが届く!!果たして彼らの最終公演は、観衆の 喝采アプローズ の中で、感動のフィナーレを迎えることができるのだろうか?

http://applause.reallylikefilms.com/

「ゴドーを待ちながら」は言わずと知れた不条理劇で、ウラジーミル(ディディ)とエストラゴン(ゴゴ)の二人の登場人物が、決してやって来ないゴドーを待ちながら様々な議論や出会いを繰り広げるというもので、そのセリフの言い回しやあるいは作品解釈をめぐっても、いわゆる難解なものとされます。

受刑者たちというのは、食事の時間や、作業の時間、ワークショップの時間、最終的には出所の日などを常に「待つ」という時間を過ごしています。そのことに注目した主人公のエチエンヌは、受刑者たちにこの難解な戯曲にチャレンジすることを呼びかけました。

そしてそれは成功し、刑務所の外での劇場公演で拍手喝采を浴びました。受刑者たちはステージで拍手を浴びたことに自信をつけていきます。ステージの上では本物の役者です。
しかし、その時間はほんの束の間。刑務所に戻れば花束は没収され、持ち物検査の裸体検査を受け屈辱的な気分を味わい、いつもの受刑者としての生活に戻っていきます。

何度も公演に招かれるたびに、受刑者たちは拍手喝采を浴びるステージ、受刑者としての惨めな自分、この行き来を繰り返していきます。そして、最後の公演でベケットの戯曲が最もその意味を発揮してしまう事件が起こります。その感動の結末はぜひ劇場でお楽しみください。

受刑者たちが演劇に取り組む映画は他にもあります。代表的なものは、イタリアのレビッビア刑務所を舞台にした『塀の中のジュリアス・シーザー』です。服役中の囚人たちが、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」を刑務所内で見事に熱演する過程を追った映画です。


こうした映画ではなく、実際の刑務所での演劇ワークショップやその公演というのは、欧米では広く行われています。かの有名な刑務所映画『ショーシャンクの空に』に出演していた俳優のティム・ロビンスは、Actors' Gangというカンパニーを結成し、カリフォルニア州の刑務所で演劇のワークショップを行っていて、再犯の問題に取り組んでいます。


日本の刑務所ではなかなか難しいものの、東京芸術劇場は昨年、ベルリンを拠点に刑務所演劇に取り組む団体アウフブルッフをオンラインで招聘した講演会を実施しています。登壇者には、映画『プリズン・サークル』にも出演されていた、同志社大学の毛利真弓先生もいらっしゃいます。

アウフブルッフの面白さはその団体のコンセプトにあるように思います。
アウフブルッフのウェブサイトを見ると次のように書かれています。

「受刑者は社会から排除され、その壁の内に社会を再現しているが、刑務所では一般の人々が排除されている。これがアウフブルッフの芸術制作の出発点である。目的は、通常は一般の人々が排除されている刑務所を、一般の人々が芸術(演劇)を通して利用できるようにすることである。
(中略)その目的は、個性的な人物とドラマティックなテキストの組み合わせから発展した、芸術的水準の高い生き生きとした演劇を創造することであり、その真正性と強い主張で観客を感動させることにある。アウフブルッフは、演劇を刑務所の内と外を仲介する芸術的なメディアとみなしている。」

webサイト より筆者訳)

一般の市民は刑務所を普段利用することができていないから、芸術(演劇)が刑務所の内と外とを仲介するメディアとなる、というところですね。あえて、一般の社会から隔離し閉じ込めている場所が刑務所であるにも関わらず、それを反対に「市民が利用できていない」と捉えているのは興味深いですね。

日本でも、刑務所演劇が見られる日はくるでしょうか。。。

文責:風間勇助(NPO法人マザーハウス)

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