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気功生活 Vol.136

2023.5.8 発行

無一物中無尽蔵
何ひとつない。
尽きることなく、ある。

生老病死の自然 天野泰司
翠と平和の総会part 2 〜会計報告
講座ノート 努力を手放す
配信講座感想 からだの春 nanakusa
The Book of Life 4/17・5/3
初夏の養生
百花繚乱 吉田純子
寄稿 古園学くんを偲んで 林千章
けいじばん
講座案内


生老病死の自然

天野泰司

 蔦町の庭は今、苔と若葉の緑でいっぱい。原稿作りに忙しくとも庭に目を移すと、すっと心が落ち着きます。
 蔦町の新事務所を作り始めた時から、庭を囲む塀をどう再生させるかをずっと考えてきましたが、先日、京大北部の近くのお宅で、竹で作った簡易の目隠しをされているのを見つけ、そこからアイデアを膨らませ、塀の前に竹垣を作ることにしました。
 土台に瓦を並べて、竹が地面に直接触れないようにすると長持ちする、と庭師の良文さんから助言してもらったすぐあとに、お隣の葺き替え工事があって、瓦屋さんに相談し、状態のよい古瓦を分けていただくことが叶いました。
 連休明けには広間の窓三面に、簾掛けと簾を取り付けていただきますので、この夏は蔦町の庭がもう一段美しく生まれ変わっていくだろうと思います。
 人と自然との関係は、いつも、自然をどう生かすかということが根底にあります。庭は生活に自然の美しさを取り入れるための貴重な空間。そこにある全てが調和しながら、それぞれが生き生きしているように、手をかけ、目をかけ、心をかけ続けることで、私たちの中の自然もまた目を覚ましていくことでしょう。

自然に産むこと

 一昨年の年末に、長女たまちゃんのお産があってから、身近な会員さんの妊娠出産がいくつか重なり、最近のお産をめぐる状況の厳しさを改めて感じるようになりました。端的に言えば、自然に産むという当たり前のことが、なかなか難しくなってきているのです。
 自然に老い、自然に病み、自然に死ぬこともまた同様で、生きていることそのものが過剰に管理されコントロールされている、このあまりにも不自然な現状を見直していく必要があるでしょう。
 たまちゃんは自宅出産の予定で順風かと思いきや、血液検査で貧血傾向が出て、このままだと病院出産、なんとか数値をクリアすべく、ジビエ料理を食べたりしながらお産直前までかなり真剣に頑張っていました。自宅出産のOKが出たのは、なんとお産当日。予定日より早く陣痛が来て、駆けつけた病院の検査でギリギリセーフ。タクシーで自宅へとんぼ返り、助産師さんもすぐに来られて、私と吉田も講習を終えてすぐ、京都朝日会館から直行しました。そんなこんなのバタバタで、たまちゃんは朝からほとんど何も食べていない状態で夜のお産に臨み、ハードな一日だったと思います。正常値獲得のために、なぜここまでして頑張らなくてはならないのか、疑問を感じざるを得ません。
 子宮筋腫があるだけでも助産院で産むことができないし、血糖値や血圧が正常値の範囲内でない場合も病院出産に限られてしまいます。たくさんの「こうでなければいけない」基準がありすぎて、助産院で産むことは本当に狭き門になりつつあります。
 30年ほど前、たまちゃんが生まれた時にお世話になった神戸の毛利助産院では、多い時には年間200人ものお産を扱っていましたが、近年は20人ほどに減っているのだそうです。助産院自体の数も全国的に減りつつあり、病院以外で産む選択肢がない地域すら出てきています。
 私が当時、病院出産に違和感を感じたのは、「病気ではない自然なお産をなぜ病院で?」という、素朴な疑問からでした。まだネットが使えない時代ですから、大きな本屋に行って、お産関係の本を端から端まで見て回りました。気功と並行して整体も少し学んでいたし、パートナーの吉田が母に付き添って整体協会に通っていたので、野口晴哉さんのお産や育児関連の著作はすぐに揃いました。
 アイヌの産婆さんだった青木愛子フチにお会いできたことにも、大きなご縁を感じます。長井博さんの聞き書き『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ』(樹心社)は今も大切に手元にあります。その中で、強く印象に残っているのは「赤ちゃんは喜びながら生まれてくる」「生まれてくる時は赤ん坊の心を受けなければならない」という部分で、この世に生を受けるということの、どこか神聖でとても明るく喜びに満ちている感覚をしっかり受け取りました。
 死への旅立ちにいつも祈りがあるように、生を迎える瞬間にも静かな祈りのようなものがある。そうした魂の祝福者としての役割も産婆さんは担っていたのではないかと思います。

生と死

 そして、生まれることは常に死と隣り合わせにあります。受胎後3ヶ月あたりがその一つの節目になっていて、準備がまだ整わない場合や遺伝的な不具合があるときには、ここで流れることが多いものです。お腹の中で日々、いのちが育ちつつあるのだけれど、生まれてくるかどうかを天に任せながら節目節目を越えて成長しているように感じられます。
 私たちが生きているということも、常に死と隣り合わせにあります。私たちには病や死を恐れ、老いを嫌うような心の傾向がありますが、生まれてくる赤ちゃんは生死を区別せず、ただ全部の力を使って今を生きています。その生まれたままの心に戻り、充実した今を生きることで、後天的に作られた生死の観念を越えていくことも可能となるでしょう。
 そこに開けてくるのは、人と自然とがちょうどよく補い合うような世界です。どんなに避けようとしても、老いも死も必ずやってくる。ならば、なんとかして老いや死に立ち向かうよりも、自然な老いと死に歩み寄った方がよいはずです。息を吸う・吐く、食べ・排泄する、眠り・目覚める、病み・治る、成長し・老いる、生まれ・死んでいくことにも、それが自然であれば、必ずある種の快感が伴っているものです。
 だから不自然を少しでも減らし、自然を増やしていくことで、何かを追い求めて得られるのではない「天然の幸せ」に包まれるようになります。そして誰もがそのことに気付くようになれば、幸せに暮らすために必要十分な、ちょうどよい医療と社会が自ずと実現していくでしょう。
 本当の意味の進歩は、努力ということの対極にあるのかもしれません。今がちょうど時代の転換期、無理して頑張るのではなく、心地よい方へ楽に動く。このごく当たり前の自然な流れを、身の周りに広げていきましょう。


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