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どうなる日本の教育

「分析・総合 話は最後まで」

時折、幼児教育の専門家の方でもフラッシュカードを批判される方がいる。「泥んこ遊び」を提唱し、「遊び」は大切だと声高におっしゃる方がいる。実際その通りだと思う。ただし一瞬を捉えた場合の判断ではそうなるだろう。どうも、我が国の気質なのだろうか、物事に白黒を付けたがる。フラッシュカード=知識の詰め込み、と決めつける。そして、プリント学習をしようものなら、幼児期の遊びの大切さを無視した知識偏重の教育だと口角泡を飛ばす勢いで批判される。

物事の端を切り取り、それが全てであるという判断は、こと教育に関しては危険である。私も大いに反省しなければいけないと、自分自身に言い聞かせるのだが、一つの側面だけを捉えて、全てが理解できる訳がない。まさしく群盲象を撫でるだ。

新たに取り組んだ幼児教育には、幼児に多くの、経験体験の必要性を説いている。2歳児にりんごの絵カードをみせて、「りんご」と言わせる指導は、具体的に実物を見せ、皮を切り取り、幾つかに切り分け食す方がより教育的であると言われた方がいる。私もその通りだと思う。しかし、それで、このカード学習は知識の詰め込みであるとは言えないだろう。私達のカード学習は、他のカード学習指導とは大きな違いがある。速さだけを意識したフラッシュカードではない。また、知識偏重に到る指導でもない。具体的な「りんご」と絵にした「りんご」、どちらの学習も大切なのではないだろうか。幼児であれば絵本読みを勧めると思う。絵本の絵は、本物ではない、勿論写真だとしてもそれは本物ではではない。実際の「りんご」と絵にした「りんご」が同じものであるという概念、認識は必要なのではないだろうか。また、2歳前後の子どもは多くのことばを覚え、使い始める。幼児は、耳でことばを聞き、いくつもの単語や話し言葉を覚える。つまり、ことばの獲得には耳を鍛える必要がある。

新たに取り組んだ幼児教育には、幼児に多くの、経験体験の必要性を説いている。2歳児にりんごの絵カードをみせて、「りんご」と言わせる指導は、具体的に実物を見せ、皮を切り取り、幾つかに切り分け食す方がより教育的であると言われた方がいる。私もその通りだと思う。しかし、それで、このカード学習は知識の詰め込みであるとは言えないだろう。私達のカード学習は、他のカード学習指導とは大きな違いがある。速さだけを意識したフラッシュカードではない。また、知識偏重に到る指導でもない。具体的な「りんご」と絵にした「りんご」、どちらの学習も大切なのではないだろうか。幼児であれば絵本読みを勧めると思う。絵本の絵は、本物ではない、勿論写真だとしてもそれは本物ではではない。実際の「りんご」と絵にした「りんご」が同じものであるという概念、認識は必要なのではないだろうか。また、2歳前後の子どもは多くのことばを覚え、使い始める。幼児は、耳でことばを聞き、いくつもの単語や話し言葉を覚える。つまり、ことばの獲得には耳を鍛える必要がある。

数学というと敬遠されがちだが、考えることの楽しさを味わうと、幾つもの問題にチャレンジしたくなる。指導する側が、学ぶ楽しさを実感できなければ、相手、つまり生徒には通じない。これは何事でも同じだ。人に伝える場合の原理原則であると言えるだろう。

面白い言い回しで書いた本もあった。『カードで「りんご」と言う母親の声はとげとげしい、実際の「りんご」のときはとても穏やかで優しい声なのです。』(原文のまま)と言い切られてしまった。断っておくが、この本はけして私達の指導を見て批判されたものではない。あくまでも一般論で述べられている。しかし、この本を読まれたお母さんは憤慨されていた。このように、言葉による誤解は付きものだ。だから話は最後まで聞かなければ分からない事が多い。実際、私達のカード指導では顔の表情についてかなり厳しく研修している。この方のおっしゃる通り、ことばを伝えるには優しい表情はとても大切なのだが、表現の仕方で大切な事が伝わらなくなる。自分自身にも言い聞かせなければならない出来事だった。

子ども達も大人同様の動きをする。最近目立って来たのが、話を最後まで聞かないで行動する子だ。また、文章も最後まで読まないで自分勝手に推測判断する子どもも目立つようになって来た。この先にある学習の躓きが「ケアレスミス」と言う事になる。国語でも算数でも問題を最後まで読まず、自分勝手な思い込みで答を書く。これは、既にケアレスミスの範疇を超えている。そして、このような状態にある子はたいていの場合、教師の指示に従えない。状況判断の出来ない子どもに育って行く。

算数など問題文を最後まで読まず自分勝手な推測をする、すると間違った式になる。「足し算だと思ったら引き算か」となり、ろくに考えもせず記号を直し、機械的に計算する。ここに思考はない。考えないから、学習として身につかないのだ。ただ式と答のみ写させても、無駄な時間が流れるだけだ。話しと文は最後までしっかり確認する必要がある。学習だけでなく人生に於いての基本だ。

2012/10/4


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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