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だから学力が伸びない!

「学習のレトルト化」

このブログでも何度も取り上げることがある「便利性の追求」は、身の回りにある家電から始まっています。家事の軽減化を考えた末の家電開発です。あれだけ苦労した洗濯は、予備洗い、洗い、ゆすぎ、乾燥まで全てをこなすことができる洗濯機が登場しました。ものを温めるにも電子レンジがその役目を担うようになりました。こうして、私達の生活は一変しました。すると、教育現場である現象が見られるようになりました。箒の扱い方に変化が出てきました。掃くのではなく、箒を押しているのです。それは掃除機を扱う仕草でした。タオルや雑巾も絞れなくなりました。

私は学生時代剣道部に所属していました。「竹刀は雑巾を絞るように振り下ろす」と指導を受けました。今の子にはどのようにことばの指導をするのでしょうか。

利便性の追求は、「食」に移行しました。インスタント食品、レトルト食品、冷凍食品、総菜の真空パック、手間暇かけることなくおかずやご飯が食卓に並べられます。これすらできなければお弁当屋さんや、コンビニ弁当があります。この利便性の追求で得たものは何か、その一つには時間があるでしょう。他には何があるのでしょう。

学習も同じ感覚に陥っていると思います。「短時間で学力を上げて欲しい、」「半年で高校受験に合格させて欲しい」私は、このような要望をに応えることで、自塾の教育内容の質をアピールできると信じ込んでいました。しかし、これはどこか延命治療に似ています。将来のある子ども達であれば、短期間だけの学習では伝えきれないものがある。そう思うと、子ども達を簡単に受け入れることができなくなります。子ども達にとって、本気で学ばなければならないのはこれからです。学習に利便性の追求は不要です。

昨年の大晦日、美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」を聴かれ涙を流された方もいらっしゃるでしょう。弱者を奮い立たせる唄であり、親が子を想い、子が親を想う唄でもありました。しかし、一部の人々は、売れるためだけの歌りではなく、心に訴えかけ、心に響く唄作りであった「ヨイトマケの唄」の存在自体を否定しました。50数年たった今、私達の前で蘇りました。この間、女装をした歌手が、髪を金髪にそめ歌い、人生相談を受けていると美輪明宏さんを見ていた人達の考え方は、この瞬間、根底から覆させられました。私達が本来求めるべきものは何だったのか、親が子を殺し、子が親を殺す、こんな時代に欠けているものこそ、私達が利便性を追求してきた間に、置き忘れてきたものではないでしょうか。

学習は、積み重ねです。見聞きしたこと、感じた事、想っていることをことばに置き換え、未知を既知に変えることが学びです。そして、同時に心を学ばなければなりません。教育の利便性はあってはならないことです。

2013/2/28


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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